長編

□With A Thousand Sweet Kisses
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「…旨ェ」


宵の海。
物静かなその海に浮かべた船の上。
月が見たくなったので、たまには外で飲もうと言い出したのはサンジだった。

秋に移り変わる匂いがする風を受けながら、ゾロが呟く。

サンジはその声音にしばし聞き入っていた。



2人は普段からこんな風に酒を酌み交わす習慣がある。
互いに飲みたいと思った時、それは自然と交わされていた。

春に夜桜。
夏には星。
秋に満月。
冬には雪。

それで充分酒は旨い。

小さな頃から酒を嗜む男達に囲まれて育ったサンジが、初めて口にしたその独特の香りと味は大層舌を狂わせたものだ。

よく、こんなものが飲めるなと。

眉をしかめた彼を見て、育ての親がおかしそうに笑ったのを鮮明に覚えている。

その料理長が、琥珀色の酒を喉に流しながら機嫌良さそうに語った。

――お前もいつか酒の味が解るようになる。
そん時ァ旨い酒を酌み交わそうぜ――

そう言ってサンジの頭をポンと叩いた。



――懐かしい。

隣の男の声を聞いて、そんなことを思い出し、思わず口元が綻ぶ。

「…ああ、旨いな」

サンジは答え、目を閉じた。

とても心地良い。
眼前には穏やかな海と夜空に浮かんだ満月。
そして。
柔らかな空気を纏い、酒を楽しむ隣の男の雰囲気が何よりも心地良かった。

酔いたくないような、
酔ってしまいたいような、そんな曖昧な気持ちにさせられる。


昼間の子供臭さが消えたその男は、こうやって酒を酌み交わす時、あまり口を開かない。

何故か普段より寡黙になり、ただ酒の味を楽しんでいるようで言葉数が少なかった。

サンジが喋らなければ、その後甲板にはグラスの中で溶ける氷の音しかしなくなる。
しかしその沈黙さえ、サンジには心地良い時間に思えた。

脱ぎ捨てたジャケット、緩めたネクタイ、
それに裸足で。
この海のように穏やかな心で飲む酒は格別に旨かった。

これ以上のものはないと思えるほど、上等な空間をこの無骨な剣士は提供してくれるから。
ただそれに身を任すようサンジは目を閉じた。

優しい風に撫でられて、サンジの金髪がふわりと舞う。

何もかもが緩やかに2人を包んでいる、そんな気がして自然に酒が進んでゆく。



しばらくの間その沈黙を楽しんでいると、ふいにゾロが口を開いた。

なあコック、と。

月を見上げたまま、隣で目を閉じているサンジを呼ぶ。

「なに?」

薄く目を開け、サンジは答えた。

胡座を掻いているゾロの横顔に視線を送りながら、後ろに手をつき体重を預ける。

聞く態勢になってやると、ゾロは相変わらず月を見つめたままポツリとこんなことを呟いた。

お前、オールブルーを見つけるんだろう?と。

それから隣に在るサンジのことを確かめるようにゆっくりとゾロがこちらを向いた。
薄く微笑している。

なぜ今更そんなことを聞く――?

眼差しに問い掛けを乗せて、サンジはゾロを見つめた。
ゾロは言えよ、と顎を向けて促してくる。

真意を読み取る間もなくて、サンジは怪訝に思うもはっきりと言葉にして答えた。

「ああ、見つけるよ。それが俺の夢だから」

この世界のどこかに存在する『奇跡の海』をその瞳に映して、サンジは目の前の水平線を眺めた。

ゾロがその答えに満足そうに小さく頷く。
それから、グラスの中の酒を一気に飲み干して呟いた。

「俺も連れて行けよ。そのオールブルーとやらに」

空になったグラスの中の氷が小気味良い音を立てた。
再び舞い降りた沈黙の中で、その音だけがやけに響いた気がする。

今度の沈黙は耳が痛い。綻んでいた口元をサンジ
は無意識に引き締めた。

連れて行く。
この男を。
俺の、夢の世界に――?

その唐突な要求は途方もなくサンジを困らせた。

どんな風にその言葉を受け取れば良いのか、サンジにはわからなかったからだ。

歩む道が互いに違いすぎると分かっていながら、傍らに居ることを望んだ筈なのに。

これ以上の関係を欲しがるつもりはなかったのに。

別れがいつか迎えにくることを最初から分かっていた筈なのに。

――そんな事言われたら、割り切れなくなるじゃねェか。

サンジは輝く満月を仰ぎ、自嘲を浮かべた。

「…嫌だね」

ため息のように呟き、その口元を隠すように煙草に火を付けた。

これ以上深みに嵌るなんて、それだけは勘弁してくれ。
それは初めて口にした酒よりも後味が悪そうだ、と心の中で呟いた。

「そう言うと思った」

笑いながらそう答えたゾロの声は案外穏やかなものだった。
喉の奥でクックと笑い、よく冷えた酒を一口煽る。

分かっていながら、何故敢えて聞く必要があるというのか。
ゾロの酔狂さに、サンジは複雑な笑みを浮かべた。

ひとしきり笑っていたゾロが、空になっていたサンジのグラスに酒を注いでゆく。




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