小説 短編集.10
□Message of the rouge
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ぐすっ。
ぐす、ぐす。
すん、すん。しくしく。
目の前で剛が瞼を擦る。
ほろほろ、落ちる涙。
「………え、?」
…へ?
なんで?
しばし混乱。
なんで泣いてるのか?なんで?
全然、分からない。
「…ちょ、…つよ、…、」
また、ぐすっと聞こえる鼻を啜る音。
泣いてる理由は、分からないが取り敢えず謝ってみる。
瞼を持ち上げて剛がじっと睨む。
とても可愛いのだ。
「……、きらい…、」
ボソッと聞こえた声に頭の中に雷が降る。ずしーーんとのし掛かる嫌いという言葉。
重みを知ってる今はとても、とても、抱え切れるものでは無い。
「、な、…、なんで、泣いてんのよ、…、」
そんなしくしくされたら、お父さん困っちゃうって。
触れたいけれど、目の前の剛はとても華奢だ。細くて脆くてとても弱そうだ。少し痩せすぎなくらいの細い顔のライン。
鋭利に尖ったもみあげ。
活発な髪型。
俺が持っている剛のイメージが、そのまま目の前で。しくしく、すんすんしている。
俺が知ってる今の剛とは随分と掛け離れた、懐かしい様相だ。
「…ごめんて、」
「んぅ、…っ、なんで、…なんでぼく泣いてるか、知ってるん?」
ムッとした声音は少し震えている。
分からないけど、取り敢えず頷いてみる。また、嫌いと剛が俺を睨む。その瞳からほろりとこぼれ落ちる涙。
何をしたんだ?
この頃の俺は一体、剛に何をしたんだ?
考えても全く手がかり一つ見つからない。これじゃ宥めることもできない。
……って、なんとも言えない変な夢を見た。
後味が悪すぎる。
なんであんなに泣いてたんだろ?
タブレットを操作しながらぼんやりと思考は夢の中の剛を追いかけている。追いかけながら、視線は今の剛をじっと見てしまう。
くふくふ笑って楽しそうにしている。、
担当メイクとスタイリスト達とキャッキャしているのだ。
あの頃はよく泣いていたな。そう言えば。
合宿所から消えることもよくあったし。よく分からん奴から誘われたり、連れて行かれそうになったことも度々。
その度に剛の前に立ちはだかっていた。
泣かれることもよくあった。
理由はなんだったんだろうか?
また、夢の中の剛を思い出す。
あの時なんであんなに泣いてたんだっけ?あんな風にしくしく、すんすんしていたのは珍しい。………気がするが…。
どうだったかな。
また、ぼんやりと記憶の蓋を開けてみる。
とても重いのだ。
“言いつけてやる、”
不意に聞こえた幼い剛の声。
ここでハッとする。
そうだ、そうや。
理由は、些細なことだった、確か。
あまり思い出せないが、結構本気で怒っていたあの時や。
ふ、と記憶の扉が開く。
ーーーー
『光ちゃん、』
受話口の向こうで響くシャンっとした声。
適当に返事をしたら今度は棘のあるピシャリとした声が響いた。
『光一、』
「……、なんだよぉ…、」
受話口の向こう、声の主の背後で聞こえる、光ちゃんておうむ返しする姉の声。
心無しか、笑い堪えてそうだ。
普段聞かない母親の、ちょっと本気モードのトーン。
黙って口を噤んでいたら、あなたお兄さんなのよ、と。
「…………、」
『大切な子なんでしょ?守ってあげなくてどうするの?』
「………いや、…、」
剛くんが、こんなに泣いて。
あなた、分かってるの?母親の声が響く。剛、そこにいるの?って聞いたら、居るわよ。と一言。
なんで…。
なんで、そっち行くかな。
呟いたら、またピシャリと怒られた。
受話器を耳に当てながら、剛が残した小さなメモを見つめる。
たった一言書かれたメモ用紙。仕事から合宿所に戻って来たら布団の上にひらりと放置されていた剛の書いたメモ。
それ見た途端、行くやろうな、とは、思った。
絶対にオレの母親のところへ行くだろう、そんな気はしていたが。本当にそうだった。
受話口には聞こえないようにため息を吐いて肩を落とす。
受話口で母親がまたピシャリとオレの名前を呼ぶ。怖いんだよな。
母親ほど怖いものはない。
ボソリと小さな声で謝る。
『悪いと思ってるなら、ちゃんと迎えに来なさい、』
言い放たれて返す言葉もない。
頷いて電話を切った。
ーーーー
そうだ。
あの時、めっちゃ怖かったな、うちの母親。
しくしく聞こえる剛の声も耳に入ったし。
怒られて、慌てて迎えに行ったんだよな。
あれは参ったな。
光ちゃんのママに言いつけてやろうぜ、そう言ったのが親友だって知ったのはそれから何年も後の話で。
剛は、それからも時々うちの母親の元へ駆け込む事がある。
特に付き合い始めてからは、“光ちゃんのママに叱ってもらうから”って脅された言葉は数知れない。
本気で、母親から連絡きた時はマジで汗が噴き出るんだよな。
つい、懐かしんで笑ってしまった。
戻って来た剛が不思議そうに首を傾げる。
「んぅ?なぁに、?」
「ん?いや、…ふふ、思い出し笑い、」
「なにそれ、」
まだ付き合いたての頃の話をしたら、あぁ〜…と剛が歯に噛んだ。
お前、どんな気持ちでうちの母親のところ行くの?って聞いたらまた首を傾げた。
くふっと頬を上げて。
「んぅ〜…、ママから電話で叱ってもらうわ、マイダーリン、って気持ち。」
「ふは、なんやねんそれ、」
なんでしょうね。
呟いたあと鼻歌が聞こえてくる。
つい口ずさむ懐かしいメロディ。
”街はding-dong遠ざかっていくわ”
「俺は浮気はしねぇって、」
不服そうに申し立てるが、どうやら剛の方が上手だ。
「んふ、ママに言い付ける理由は浮気だけじゃないから、」
返す言葉もない。
黙る俺を見て剛が楽しそうに笑う。
「今度、ルージュのリップ、プレゼントしてね。」
…………。
こわいわー。
どんな伝言を残されるのか。
ーーーfinーーー