小説 短編集.10

□元カレ.A/*
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一緒に行く?

ベットの上、光一の身体に寄りかかりながら剛が呟いた。掠れた相槌を僅かに聞き取って思わず肩を揺らす。気まずそうな面持ちに、宥めるように唇を重ねた。

「んふ、あの人とのディナー、」

聞いたんでしょ?
行くって。
光一を見上げたら少しだけ不服そうな顔をした。何も言わずに頷く姿にまた剛が笑う。光一のこう言うところが可愛くて仕方がないのだ。

「社交辞令やと思ってたし、」
「んふ、ふふ、ぼくも同じよ、」

まさか、本当に誘われるなんて考えてもいなかった。ぶっきらぼうな声音。

でも、マネージャーだって付いてるし、デートではないのだ。剛が上半身を起こして光一を見下ろす。知ってるって呟いた掠れた声。むっとする顔に擦り寄ってまたキスを数回。

「怒らないで、」
「む…、怒ってへん、」
「だから、一緒に行きますか?」

もう一度囁いたら、剛を見たあと視線を逸らして光一が押し黙る。行ってどうするのか?行ったところで…、そんな疑問は悶々と心の内側に燻る。首を振って押し隠す。

「行ったって…なんもできへん、」

呟く小さな声。言い方がまるで駄々っ子の少年のそれ。また剛が笑った。

「彼氏って、紹介しようかな、」
「………、彼氏?」
「うん、」

俺のこと?
聞き返す光一をじっと見てから、また剛が肩を揺らした。男らしくて妥協を許さないこの男でも剛を前にすると案外、小心者なのだ。

そんな光一が剛は堪らなく愛おしい。

「そう、光一のこと、」
「……、一緒に行って?」
「んふ、そうやって、」

いい、いい。
光一が首を振る。ふ、と先日会った男の顔を思い出す。剛の好きそうな柔らかい笑顔だった。一番剛が辛い時を支えた男。
優しさの滲み出た笑い方だった。

やっぱりあの時言えばよかったな。今更思い出してもどうにもならないが。
つくづく、光一は後になって後悔するのだ。

今更彼氏でした、なんて。
どの口が言えるのか。光一が首を振ったあと剛に乗り上がった。

寄り掛かって来る身体を抱きとめて背中を撫でる手つきにほぅと深く息を吐く。

二人きりじゃないのが唯一の救いか。

目を閉じて頸に吸い付いた。


ーーーー



「ごめんね、お待たせ。」

助手席が開いて乗り込んできた剛が、八重歯を見せた。随分と陽気な笑顔。ほのかに香る酒の匂い。
キツくはないが剛にしては珍しく強い。ちらっと彼を見たあと光一が視線をフロントへ戻す。

運転席の窓から会釈をしたマネージャーへ片手だけ上げて、応える。送るよ、店で何度か剛が言ったが彼は首を縦に振らなかった。
光一もその為に、いつもの車とは違う車で来たのだが、届いたメールでも寄るところがあるので、と結局断られてしまったのだ。

助手席に回り込んだ彼に剛が手を振って挨拶を交わす。光一もありがとよ、一言だけ残してアクセルを踏んだ。

車の通りも大分落ち着いた深夜。
交差点の信号待ちで剛が光一の膝に触れたのだ。少しだけ身を寄せるように傾ける。

「んふ、心配やった?」

全然。
強がって首を振る光一の横顔を剛がじっと見つめた。うそつきめ。心の中で呟きながら、仕草や口調は甘えてみせる。

「お迎え、嬉しい、」

指先で、太ももに円を描く。
むつっとした光一の口元が僅かに歪んだ。どんな話だったのか、一体どんな内容だったのか。気にはなるが、決してそれに対して反応出来ないのが光一の不器用なところだ。
そわそわと、剛が口火を切るのを待つ。

「こぉんなに、分厚いステーキ食べた、」

くふっと笑う声に耳を傾けて光一が眉間に皺を寄せる。剛が指で厚みを作ってる。そんな姿を横目に感じてくっと視界が狭くなった。前方にだけ集中したままハンドルを握りしめて左に切る。

「………、お、ごり?」

相手が出したの?
聞いた光一にまた、剛がくふっと笑った。
こんな時でも剛の小悪魔は健在なのだ。どうだったかなぁ、ボソッと呟いて座席に深く腰掛けた。

どう…って。

言葉に詰まった光一に楽しむような視線が刺さる。数秒焦らして飽きたのか剛が息を吐いた。

「んふ、はーふあんどはーふ、」
「…は?」

奢られるなんて、そんな事する筈がないじゃない。剛がツンとした声音で答える。

「やって、光ちゃんとご飯行ったわけ違うし、」
「……………、」
「なんで、旦那様おるのに、ご馳走してもらわなならんの?」

さも当然のように剛が呟く。
きっちりみんな、ハーフです。視線だけを光一に向けて、そのあと窓の外へ移す。

「そ、そうか、」
「そうよ、」

友達でもないのに。
一緒に付いていったマネージャーも含めてしっかりとお支払いは分けたのだと。それを聞いて光一が内心で一息つく。
見ず知らずの、知らないこともないが。
昔の男から誘われて、奢られたとなればそれもそれで悔しいのだ。

いつだって剛に関わるのは自分でありたい。少なくとも昔の、あの頃には戻れないが、守れる今となっては全部、自分が剛のためにしたいのだ。
言葉にこそ出さないが、いつだって光一は信念を燃やしている。

「…もう一度、付き合わない?って言われた、」

1人なら。
誰も居なくて、…空いてるなら。男から聞いた言葉を思い出しながら剛が目を閉じた。少しだけワインを飲み過ぎた。饒舌な愛の告白を適当に流しながら、好きなところを述べられる度一口ずつワインを含んだ。

告白の言葉と共に飲み込んで、消し去った。

「……、ほ、んで、」

カタコトの光一の相槌に少しだけ肩を震わす。真っ直ぐ前を見る横顔を眺めながら、あぁ、この人はやっぱりかっこいいな、ぼんやりとそんな事を考えるのだ。

「んふ、ほんでぇ、1人じゃないねん、て答えた。」
「………ぇ、…、」

やって、指輪付けてるし。
左手を掲げて剛が薬指を見た。今更おしゃれ感覚で薬指に指輪を嵌める事はやめたの。剛が伝えたら男が小さく息を呑んだ。見えたシンプルなデザイン。3つの宝石が埋まった可愛らしい形。
よく見なくてもわかる。ツインだ。

「今更、光一以外の人考えられへんもん、」
「…ん、」

妙な熱気が二人を包む。
光一が冷静を装って息を吐いた。心臓がキリキリと痛む。ハンドルを握る手に力を込めて緩やかにアクセルを踏んだ。

「……俺だって、」

そうだよ。
小さな声で返してから、瞬きを数回。
やっぱり気になるのだ。剛の初めてはアイツだったのか。キスはしたのか、手は繋いだのか、愛を囁いて、囁かれたのか。…どうして別れたのか。聞くに聞けない。言うに言えない。

察した剛がくふくふと笑う。
口元に手を当てていつもの仕草。視界の端に捉えて光一がまたドギマギする。

「光一が思うほど、の関係じゃなかったよ、」
「…………、」
「ぼくな、お前が今のぼくを知ってるほどえっちじゃなかったからね、」
「へ?」

あの時は健全だった。
男の子だったけれど、あの時の剛はウブな少女のような少年だった。16歳から時は止まってそのまま二十歳を超えた。
手の握り方も、キスの仕方も分からない。男を受け入れられるほど、肉体的な準備は整っていなかった。整わせる概念もあの時の剛には無かったのだ。

寂しさを埋めるために、選んだ男が、あの男だった。寂しくなったら泣きついて、甘いものが食べたくなったら甘えて。
全部、全部。本当に埋めて欲しい人は剛に見向きもしなかった。
だから、代わりを立てた。そんな悪い女のようなお付き合いをしていたのだ。

「だから、キスも光ちゃんが初めて、」
「…………、」
「手を繋ぐのも、」
「…………、」
「えっちも、」
「…………、」
「助手席に座るのも、」

下手したらお家にだって行った事はなかった。入れたこともなかったけれど。純粋にお食事と言うデートを楽しむ関係だった。
剛の話を聞きながら、光一が僅かに男を憐れむ。

そんな雰囲気に一度もなった事が無いはず無いだろうに…。

剛のガードは思う以上に硬かった。

「だから、最後はフられたの、」

また剛が深く座り込んで息を吐く。目を閉じたまま薬指の指輪を摘んだ。
お食事に誘われた晩、男から自宅の鍵とホテルの鍵を渡された。抱えた花束を胸に剛がぼんやりとその薔薇を眺めた。
綺麗で美しい、鮮明な赤だった。
レストランの上で一泊して、明日からはうちに来て欲しい、一世一代の男の告白だった。それが出来ないなら、別れたい。待ってるから、一言残して席を立ったけれど、剛はその鍵を受け取らなかった。
薔薇の花束もテーブルの上に置いたまま。

ごめんね、と書かれた手紙と男が渡した一式だけがサービスワゴンに乗って戻ってきた。

話を聞いていた光一が暫し考える。

「え、…おまえ、それ…、」
「んぅ?」
「いや、……フられたの?それ…?」
「うん、別れるって言われたし、」

泊まりたくなかったし。
家にも行きたくなかった。まるでお嬢様のような口振り。光一が戸惑ってそれから、すぐに妙な可笑しさが込み上がってきた。

あまりに剛らしくて。
その行動があまりに剛なのだ。

「……別れるって、言わなかったら続いてた…?」

恐る恐る光一が訊く。

「んぅ〜…、」

わざとらしく悩んだフリをして剛が肩を揺らした。そんな事あるわけないじゃ無い。
言葉にこそ出さないが、剛がもう一度光一の横顔を見た。

あぁ、やっぱりかっこいい。

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