Balla cane !
□踊る半野良?
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このバーは、表から見るよりも存外広い。
フロア自体は広大と言うわけではないのだが、普通のバーよりもカウンターが広く作られているのと、厨房がやたら広いのが原因だ。
ここのオーナー兼店長は半端なことをとことん嫌う。
酒は自身がその舌で選びぬいた上質で旨いと感じたものだけを提供するようにしていたから、刀耶たちバーテンも「旨い酒が作れているか」を定期的にチェックされていたし、厨房で作られるつまみも高級ホテルのラウンジ並みの味を求められていた。
かといって一般のバーと価格帯がそう変わらないのは、店長と海外食品大手輸入会社の社長が懇意にしているからだと聞いたことがある。
そんな話を思い出しながら、オープンに向けての下ごしらえでごった返している厨房に挨拶を投げかけて横を通り過ぎた。
ロッカールームで手早くバーテン服に着替える。
ここのバーテン服は一部が独特だった。
蝶ネクタイの代わりに首輪が付いているのだ。
最初は抵抗もあったが、もう慣れてしまったのだから恐ろしい。
フロアに足を踏み入れると、唯一の友人であり、フレアの相方である青年が酒瓶をふいているところだった。
「森田、わりぃ!遅れた!」
気配に気がついて振り返った森田と呼ばれた青年が意地悪く笑う。
「お前が時間ギリなんてめずらしーじゃんよ。トーマ。」
すぐにボトルを拭く作業に加わりながら、ちょっとな、と答える。
茶髪に染めた髪は季節によって其の髪型を変えている。
洒落っ気など全く無い自分に対して、この二つ年上の青年、森田剛はいささか過敏ではないかと思うほど外見を気にしていた。
かけているメガネもいくつかの種類があったはずだ。
バーには6人のバーテンがいたが、実際にフレアと、日に3回繁忙時間に行われるショータイムに出られるバーテンは二人きりだ。
刀磨と森田はそれを許されていた。
本当はもっと増やしたいのだが、毛並みと実力が云々と店長は言っていたか。
「おっ、ポニーちゃんに浮ついた話かなぁ?」
「ポニー言うな!」
からかって言われ、噛み付くように窘める。
「ポニーちゃん」は猫毛の長めの髪を邪魔にならぬよう高い位置で結っている刀磨のあだ名だった。
言いだしっぺは店長だったか。
「浮ついてなんかねぇよ。実家に寄ってきただけだ。」
「沙姫ちゃん元気か?」
間髪いれずに入ってきた問いに、思わず顔をしかめる。
森田は無類の女好きだ。
休みの日はもちろん、そうでない日だって、合コンや昼コンの予定を詰め込んでいるのを刀磨は知っている。
「元気だよ。」
短く答えを返すと、明るく森田が笑った。
「トーマはマジシスコンだよな。いくら俺だって犯罪者にはなりたくないから安心しろよ。」
「どうだかな。」
ぎろりと睨みつけ、至極信用でき無いというと森田は傷ついたような表情で、オーバーに手を上げた。
「おお嫌だ!ダチを疑うなんてドンだけひねて育っちまったんだか!」
「ほっとけ。」
「でもお前の妹じゃかわいいだろーなー。絶対いけてると思うぜ。今度写真だけでも見せてくれよ。」
「いやだね。」
短いそっけないと感じさせる返事にも森田は全く怯まない。
二人はほぼ同時期にこの「Balla cane」にやってきた言わば同期だった。
其の頃の刀磨の応対のほうが余程ひどかったと回想する。
周りからの評判は無愛想でそっけないと言うものだったが、二人で組んでショーをやれと言う命令が店長から下されて以来この青年と顔を突き合わせていてわかった事があった。
刀磨は言葉を扱うのが、人と接することが、苦手なだけなのだと言うことだ。
付き合っていくうちに、それは自分の保身からではなく、他人を傷つけないようにするこの不器用な青年の精一杯の配慮なのだと言うことにも気づいた。
「人としゃべんの駄目なのか?俺は別にお前が何言ったからって、そうそう傷ついたりなんかしねぇから、安心しろよ。相棒。」
そう言ってやった時の刀磨の表情を森田は忘れない。
其の言葉をムキに否定するかと思われた刀磨は心底驚いたような、それでいて暗闇を怖がる子供のような、素の表情を晒していた。
直ぐにふいと顔を逸らしてしまったが、其れから刀磨は森田にだけは挨拶や仕事以外の話にも返事を返すようになった。
もともと歳が近かったせいもあり、半ば強引に森田はあちこち刀磨を引っ張りまわし、今は「ダチ」といっても怒られることのない関係を築いている。
打ち解けて、信用した相手にはとことん無防備な青年だと言うことも程なくして知り、意外と良く笑う刀磨の笑顔を見るのは嫌いではなかった。
思わずにやけていると、刀磨が不審そうに声をかけてきた。
「何へらへらしてんだよ?」
「いやー、べつに。」
「今日も昼コンだったんだろ?なんかいい女に当たりでもしたのか?」
からかうように刀磨が笑う。
ふと今日の昼コンの成果を思い出して森田はボトルを拭く手を止めて頭を掻いた。
「いやー。むしろ最悪。無駄な時間だったぜ?」