からっぽの箱
□6話
1ページ/1ページ
side.S
『山本先生、図書委員会の担当をお願いします。あ、木下先生。先生は美化委員会をお願いしますね』
始業式での挨拶が終わりほっと一息ついていると、主任に呼ばれて委員会について説明をされ担当を割り当てられた。
『ここの図書室は凄いんですよ。なんでも司書さんが校長先生と同級生とかで、なにかとお願いをすると通してくれるみたいで。なかなか豪華なんです』
自慢げに語る主任をつまらなそうに見てる百花を小突くと、主任に見つからないように舌を出してしかめっ面を返された。
一通り話して立ち去った主任を見送り、図書室へ向かう。
『この性格で美化委員会やって。笑うわ』
「いいんちゃう。自分の内面も掃除するつもりでやればいいやん」
『うっせ。彩はいいよな。本好きやし天国やろ』
「まあな。どうする?百花も見てく?」
『パス。今日はもう帰っていいらしいし、帰って寝るわ』
その天国に着いて百花と別れ、わくわくしながら比較的新しい校舎には似つかわしくない古びたノブに手をかける。
ぎい、と音を立てて開かれた扉の向こうは教室十数個分くらいの広さで、壁に沿って床から高い天井までびっしりと本が埋まっている。一番上の本を取るには脚立がいりそうだ。凝った彫りが施された大きな本棚がいくつも置かれていてそれにもびっちり本が詰まっている。本棚が多すぎて向こう側が見えない。やけに明るいなと思って上を見ると、ところどころガラス張りになっている。
これは図書室というより…
「図書館やな…」
高校のレベルの図書室じゃない。はぁ、と思わず感嘆のため息が漏れた。カウンターを見ると誰もいないみたいだ。本棚の間を縫うようにしてゆっくりと歩く。少し古ぼけたこの空間にいると時間が止まっているような気がした。
気がつくとだいぶ奥まで来ていたみたいで、天井近くの本に向けていた視線を落とすと、ひゅっ、と自分の息を飲む音が聞こえた。
アンティーク調の椅子に腰掛け、本を読む中性的な少女。陽光を受けて輝く髪と長い睫毛が整った顔に影を落としていて、一枚の絵画から出てきたような光景だった。
あの日、私を抱いた彼女に似ている。
いや似ている、というより…
だけど、雰囲気がだいぶ違って見える。
「なんで…」
制服を着た彼女を見て掠れた声が喉を通った。
『…、』
私に気づいて一瞬目を見開いたあと、また読んでいた分厚い本に目線を戻した。
「っ、夢ちゃん…よな、」
ぱたりと本を閉じてゆっくりと視線が戻ってくる。あの日の、わんちゃんみたいな目でも、熱く捕らえるような目でもない。涼しく冷たい目。
『やっぱり、彩さんだったんですね』
冷めた声でさして興味なさそうに言う。
『こんな偶然あるんですね。壇上に立ってる彩さん見て、焦りましたよ。今までこんなことなかったのに』
失敗した、とでも言いたいような彼女はどこまでもあの日の夢ちゃんとは違う。確かに私もこんな形で彼女に再開するなんて思っても見なかった。
「…夢ちゃん、ハタチって言ってたやん。どういうこと?」
『さすがにそのまま17歳って書くのはまずいので。少し化粧したら誰も疑いませんでしたよ』
「どうして、出会い系なんか、」
そう聞くと再開してから初めての笑顔を見せた。でも、あまり見たくない笑顔だった。
『ただの暇つぶしです。初対面の人なんかにに騙されて必死に求めてるとこ見たら、なんかクセになっちゃって。前は同じ人と何回かヤることもあったんですけど、一回面倒なことになってからはその日限りってのを続けてます』
言葉を失うということをこれほどまでに実感したのは初めてだ。目の奥が熱くなって喉が締め付けられるように苦しい。なんとか声を絞り出す。
「そ、んな、の…」
夢ちゃんの目が細められてさらに温度を失った気がした。固まってしまった私に近づいて来て、手首を片手でまとめて捕まえられ本棚に押し付けらた。その動作にも慣れを感じて胸が締めつけられる。上に持ち上げられ爪先立ちになってしまった。
『べつにいいでしょ。本気にする方が悪いんじゃないですか』
吐息を感じるような距離で言われる。動けない私を見てふっと口角を上げて笑う。
『それに、きもちよかったでしょ』
間髪入れずに唇を奪われ、何度も角度を変えて重ねられる。抗議の声を漏らすと、その隙を待っていたとばかりに舌でこじ開けられた。
顔を振り、離れようとしても顎をもたれ許されない。手を抑えていない右手が私のシャツのボタンをぷつっとはずした。隙間から侵入して来た掌が胸に触れる。長く、酸素を奪うようにされるキスに思考が止まってゆく。なんとか力を振り絞り口内を暴れる舌を噛んだ。
『っ…、』
血の味が広がるのと同時に解放された手で唇と頬を拭う。ぼたぼた溢れる涙が止まらない。
「、最低っ」
『…ふふ、そうですよね、ほんと、さいてー…』
私の言葉を聞いて、また笑う。
でも、さっきの冷たい笑顔じゃなくて。
悲しそうで、辛そうで。
そう思いたいだけだったのかもしれないけれどそう見えてしまって。
少しの沈黙を破って扉が開く音が聞こえた。
『おーい、ゆーりちゃーん。まだいるかー?もう帰っていいぞー』
少ししわがれたこの声は、ここの司書さんなのだろうか。入り口の付近から呼びかける声がする。
「…ゆーり?」
『…夢と、くさかんむりに権利の利、で、ゆうり。夢は偽名です。てか、彩さんみたいに本名の人の方が珍しいですよ』
そう言って行儀よく、はーい。と返事をして鞄を掴み、ゆーりちゃんは出て行った。残された私は少し遅れて出て行き、司書の方に挨拶して図書室を後にする。暗くなり始めた窓の外を見て一気に現実に引き戻される感覚がした。
でも、さっきのことも現実だった。
「ゆーり、ちゃん」
あんなに最低なことをされたのに、唇の感触を思い出し、顔が熱くなる自分に悲しくなる。
「…夢莉ちゃん」
もう一度はっきり口に出して言う。
忘れようとしていたのに、ほんとの名前を知れて嬉しく思ってしまっている自分に、また悲しくなった。