五条
□幸せをつかむとき人は不安になる
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吹く風が肌を刺すように寒い季節。
今日は彼と付き合って3年目の記念日だ。
普通なら心が躍り浮き足立つはずだが私の心は反対にどんよりと沈んでいた。
この3年間とても幸せだった。
彼は胸焼けがしそうなほどに甘く、そのまま溶けてなくなってしまうのではないかと思うほどに熱く私を愛してくれた。
ゆうならば夢見心地だった。
そう夢見心地なのだ。
幸せすぎるからこそ夢のような時間は突然に終わってしまうのではないかという漠然な不安に押しつぶされそうになっていった。
そうなれば私は深く傷つき、ひどくつらい空っぽの日常を過ごすことになるだろう。
そして、ずるい私は考えついてしまったのだ。
彼が私の前からいなくなるよりさきに、わたしが彼の前からいなくなろうと・・・
彼はどんな顔をするだろうという考えがぐるぐると頭をめぐってまたさらに心がどんよりと沈みだす。
待ち合わせのレストランに着くと個室に案内され扉が開けられるとロイヤルブルーのスーツに身を包みめずらしくサングラスをつけていない彼が微笑みかけた。
「ごめんなさい、待たせたみたいで」
彼は私を見つめたまま静止している。
「・・・悟さん?」
「息を呑むほど綺麗だよ」
という彼のほうが100億倍は美しいというのに。
嬉しいありがとうと軽く流すと彼の白魚のような手が私の手を取ると唇を落とし、親指の腹で私の手の甲を優しく撫で始めた。
彼のスキンシップが過度なのはいつものことである。
少しの間、撫で終わるのを待つがなかなか終わろうとしない。
彼の視線が私の手の甲と顔とで交互にゆっくり移り変わる。
「悟さん、店員さんに見られたら恥ずかしいからっ」
そっと彼の手から逃れると唇を尖らせ少し不服そうにしたがすぐにこれ◯からもらったネクタイ!と身につけていたネクタイを持ち上げて嬉しそうに笑いながら私に見せつける。
あまりにも無邪気な彼にこれから別れを告げないといけないと思うと心が傷む。
「今日はサングラスしてないんだね」
「うん、今日は特別な日だからね」
と彼はウィンクして見せると店員を呼び出すとコース料理がはじまった。
美味しい料理に舌鼓、デザートに差し掛かると彼が心なしかそわそわしているように見える。
変に思っていると
「◯・・・」
いつものヘラヘラとした調子はどこへやら。彼は真剣な面持ちでどこからか四角い箱を出すとおもむろにその箱を開けた。
そこにあったものは3カラットはある指輪が私の眼前にお目見え。
予想だにしないことでパニックである。
きっと私の顔は驚きでひどく歪んでいるだろう。
スーツにキラキラした指輪ときたらこれがお決まりというような言葉を彼は続けようとしていた。
「ごめんなさい!」
私は慌てて荷物を取りレストランを出た。
最悪だ。
別れをつげようと思っていた矢先これだ。
とてもじゃないけどわたしには受け止めきれない。
急いでタクシーを捕まえ乗り込むとその辺の公園で降りた。
肌を刺すような寒さがぐちゃぐちゃになった頭を冷静にさせてくれる。
ひとつため息をつきうつろげに前に視線を投げると公園の出入り口のほうから誰かが走ってくるのが見える。
ロイヤルブルーのスーツに光沢のある青緑のネクタイにすけそうな髪色の彼が走ってきているではないか。
彼は肩で息をし、少し苦しそうに両手を膝につき呼吸を整えると顔を上げた。
「どういうこと?」
「ごめんなさい、私、あなたと別れたいの」
え?彼は一瞬目を見開くと理解できないというように眉を下げた。
「なんで?」
「好きかどうかわからなくなっちゃった」
本当の理由を言ったらなんとしてでもと説得されそうで怖かったからウソをついた。
彼はひどく傷ついた顔をしている、あまりにもみるに耐えなかった私は下を向いた。
「嫌いになったってこと?」
「うんうん、違うよ、でも好きかどうかもわかんない」
「なにそれ、一番最悪じゃん」
チクリと胸が痛むとこのままでは泣いてしまうと唇を噛み心を無にして彼の目をしっかりと見つめた。
「あなたにはきっと恋愛上手でとびっきり可愛い子がすぐ見つかるよ」
私は彼の頬をなでると彼の目から一筋の涙が溢れた。
サファイアでもエメラルドでもない宝石みたいな綺麗な瞳が涙でさらにキラキラしていて不謹慎にも綺麗だと思ってしまった。
「俺は◯しか考えられないと思ってるのに?」
「それは付き合ってるときはみんなそう思うんだよ」
「◯が世界で一番可愛いのに?」
「それも付き合ってるときはみんなそう思うものなの」
彼が首を横に振るので涙を指でぬぐうが濡れたままだ。
捨てられた子犬のように私を見つめるので手を離したがその手を彼が嫌だと掴んだ。
「・・・別れたくない」
つくづくわからない。
彼の容姿と性格であればいくらでも素敵な女性と巡り会えるというのに。
どうして私なんかに固執するのだろう。
「ごめんね、いままでありがとう」
笑顔を見せることはせず私が告げると彼が握っていた手の力がゆるんだのでこのまま流されないようにとすかさず離した。
自分に自信がないせいで愛されるに値しないと思ってしまうから彼の大きすぎる愛を受け入れるのが怖かったのだろう。
そんな情けない理由でこんなにも男性としても魅力的な彼を振るなんて何様のつもりだとあきれられるだろうし、本当に最低だ。
心の中で自分を嘲笑しながら彼に背を向け、
一度も呼び止められることもなく、一度も振り返ることもなくその場を後にした。