One day

□魔王 6
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豪華客船の客室にシウミンが緊張に頬をひきつらせながら駆け込んできた。
手にノートパソコンと数本のペットボトルを持っている。
「ルハン、ヒョンを支えて」
そう俺に声をかけてくるけれど。
「ルハン!」
浴室の扉から覗くイェソンヒョンの細く白い足に近づくことがどうしてもできなかった。

「……な、んで……こんなことに……」

俺は膝をついたまま。
呆然と。

目の前で。
凍り付けにされているクリスを眺めていた。

棺のような透明のカプセルの中で。
クリスは瞳を閉じ胸に手をあて横たわっていて。
長い睫毛には薄く氷が張っていた。

定期的に電子音を刻むカプセルの末端に装着している機械に見覚えがあった。
あんなヌナが海で採取した生物をどこかに発送する際に使っていた機械。

『ルハンっ、下手したら手凍傷で取れちゃうんだからね!絶対触っちゃだめだよ!』

「……ヒョン……く、リスを……」

ほんの半日前、プールであんなヌナとはしゃいでいたクリスは幻だったんだろうか?
イェソンヒョンとも穏やかに笑い合っていたクリスは……

言葉も発せず。ただただ……
横たわっている……

「凍結させた。このまま帝国に運ぶ予定だ」
耳元で声がしたかと思うと、シウミンに半ば担がれるようなイェソンヒョンが立っていた。
バスルーム姿で睡眠剤がまだ抜けきっていないのか、酷く青白い肌で眉を寄せている。
それでもおぼつかない足取りで部屋の隅のノートパソコンが数台並ぶデスクに座ると、猛烈な勢いで状況のチェックを始める。
「シウミン、各SP達との通信が途絶えているのはお前の仕業だな」
「…はい」
「とりあえずそれを解除してくれ、あと乗客リストの洗い出しを。僕達のリストを送るからそこから弾き出された客は全員身元を調べて帝国との関連を探ってほしい」
シウミンは頷くとノートパソコンを開き、パチパチとキーボードを叩く音だけが響く。
「ひょっ、ヒョン、な、なんでこんなことにっ、ぬっ、ヌナもっ、ヌナもっ、誰かに!」
俺の叫びに表情一つ変えずイェソンヒョンは口を開く。

「クリスはあんなを負傷させた。制御がきかない状態になった。それだけだ」

ゾクリ 俺とシウミンの背筋に悪寒が走る。フラッシュバックしたのは。
俺達に凌辱されたヌナの姿。

ヌナと共に暮らしていた時、イェソンヒョンは常に穏やかな温かい目で俺達を見守っていた。研究所にいる時からも恐らく最も俺達を人間として扱おうとしてくれていた人物だ。
帝国からの監視者の立場で俺達と過ごしていることがわかっても、見下されている気も飼育されている気にもならなかった。
俺達と同じ檻に共に入り。
過ごすしていたヒョンの……ヌナと二人で俺達を見守りながら微笑み合う笑顔が。
決して偽りのものではないのが感じられたから、だ。

そんなヒョンが。

クリスを……

『帝国には死罪より重い刑罰が存在する。それは凍結。半永久的に凍り付けされた罪人は永き刑期を経て解放されたとしても、変わり果てた世代に絶望し自ら死を選ぶ』

俺達は顔の位置を一ミリもずらさないまま、視線だけを交差させた。

ヌナとのことを知られたら。
俺達も。

「ヒョン、SP達の通信制御の解除終了しました、帝国へのデーターベースへのブロックはヒョンが掛けてるんですね、それも解除しますか」
「そこはそのままで。必ず一度SM国の研究所経由で帝国へのデーターには侵入するようにしてくれ」
「船で偶然ヌナを見つけてどうしても会話がしたくてSP達を探りました、ヒョン、このSP達は帝国の通信機を所有していない、どういうことですか」

シウミンが片足をとん、と鳴らした。
ヒョンの顔はパソコンの画面から離れない。
今だ。

「い、イェソンヒョン、俺達の部屋でヌナが連れ去られたけど」
「今回の移動に関して…帝国にはまだ報告していない。SP達は僕が個人で雇っている。シウミン、あんなが連れ去られた方角の飛行データーを全て探ってくれ、現場の遺留物の検証も。くそっ、あと五時間で到着か…僕は各国の情勢を調べるから」
「詳細な位置データーを確認してきます、ルハン、行くぞ」

冷や汗を拭わないように注意しながら俺は客室を飛び出し、後ろからシウミンがついてくる。
シウミンが唇を噛んでいたので、指で示した。

俺達がヌナにしたことは絶対に知られてはならない。
わかりきってはいたことだけれど、現実に下された刑罰を見て心が真っ黒に塗り潰されたように重く苦しい。

それはシウミンも同様だったようで、握る拳が小刻みに震えている。

「ルハン、なつきを」
「わかった」

俺達がヌナとどう過ごしていたのかの追求は、ヌナの捜索で頭が一杯のヒョンからもうされることはないだろう。ここにいた理由も伝えた、後は証拠を残さぬようにするのと。

なつきが眠っている部屋にそっと入り、ベットの傍らに立って、また毛布を蹴飛ばして腹を出してしまっている姿を見つめる。
白くてふっくらした頬に長くて黒い睫が揺れていて。
柔らかそうな唇が時折ピクピクと蠢く。

幸せそうな寝顔に、ちり、と胸が痛んだ。

「お前がキーマン…になるのか?」

俺とシウミンはイェソンヒョンと過ごした時間が長すぎる。
どこでボロが出るかわからない。
俺達とヌナの接近をタブーとしている帝国から逃れ、無事にA国に戻るためには…

「ごめんな…」

なつきが頼みの綱だ……

俺はなつきを抱き上げながら、その滑らかな頬にそっと口づけた。


なつきを抱えイェソンヒョンの部屋に向かっていくと、シウミンがヒョンの隣の部屋の扉を開けて入っていくところだった。
俺に気づくと手招きで来い、とジェスチャーする。
部屋に入り、なつきをベットに横たえると、
「解眠剤は」
小声でシウミンが囁く。
「あと三時間ほどで目覚めるようにした。ヌナの捜索は?」
「乗客のリストから何件か不審なIDを発見したけど、売却された国籍IDでそれも複数重ねられているから今洗い出しソフトにかけてる。各国のIDデーターにアクセスしないといけないからかなり時間がかかるけどな……ヒョンは帝国にクリスだけを引き渡してヌナが連れ去られたことは伝えない気だ。独自での捜索を継続してる。そこに参加して、僕はこのままH国でヌナの捜索を続ける、ルハン、お前は帰国してA国からの情報を送ってくれ」
俺はシウミンの肩を掴んで激しく揺すった。
「シウミン、お前も帰るんだよっ、俺とA国に!!俺達にはもう新しい生活があんだろ、課せられてることいっぱいあるんだ、ヌナの捜索はヒョンに任せたらいい!!」

口の中が渇いて声を荒げると喉が痛む、でも、もっと辛いのは。

「……僕のヌナを……取り戻すんだよ、ルハン……それが僕の課題だ……」

完全に捕食者の瞳になったシウミンと見つめ合うこと。

泣き腫れた瞳には濁った光が浮かんでいて。
それはヌナを抱き潰して見下ろしていた時と同じものだった。

シウミンのヌナに対する執着が。
あの。
ヌナの嬌声に絡む俺達の欲からだとしたら。

「……僕にはヌナしかいないんだ……」

地を這うような低い声。絶望と同じ色をしたシウミンの表情。

それが満たされるまで……シウミンはヌナを追い続ける……の……か……

俺じゃ……俺が共にいるのでは……

駄目なのかよ……シウミン……

国籍を与えても待遇のいい養子先を斡旋しても一度は廃棄処分を言い渡した帝国は、俺達に対する警戒を解くことはないだろう。少しのことでもクリス同様の扱いをされるのが目に見えているのに。

燃え盛る橋を渡っていくようなシウミンを。
俺は止められないのか……

「ルハン、なつきちゃんの状態は?」
部屋の入口からイェソンヒョンの声が聞こえた。
振り向くと、眦をあげ口元を歪にしたヒョンが立っていた。
スーツを着用し、足取りも既に通常のものになっている。

俺達がイェソンヒョンの部屋に到着した際の浴室に充満していた催眠剤の量からすると驚異的な回復力だ。

「異常なく眠っています。なつきにはノータッチだったようです」
「よかった。あんなの生命反応は確認できた。無事だ、ただ所在地が全く読めない。個人でできる規模の誘拐ではないから、犯人の目的は恐らくあんなを誘拐して帝国に何らかのコンタクトを取る気なんだろう…なつきちゃんにもしばらく護衛をつけないといけないな…」
「ヒョン、部屋に目立った痕跡は見た当たらずでした。毛髪鑑定をかけますか」
イェソンヒョンは眠り続けるなつきにちらりと視線を向けると、首を振り、俺達をベットルームから出るよう託した。

リビングルームに移動した俺達はソファに座り、改めてイェソンヒョンに向き合う。

イェソンヒョンは昔のように優しい目つきで俺達を見た。
それはあんなヌナと再会した時に送られたものと全く同じで。
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