One day

□お姉さんは綺麗
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あんなside


海外留学から帰国した私は、J国系列の大学に転入した。
母国のK国への違和感に少しでも傷つかないようにと、ホジュンさんの助言を受け入れ、また新しい環境も一人暮らしも自分で選んだものだったけれど。

暖かい日差しが降り注ぐキャンパスで。
一人ベンチに座っていると、不意に。
どうしようもない喪失感に襲われ。
逃げるように近くの校舎に駆け込んだ。

指の間からこぼれ落ちた日常。
もう戻らない、戻すことはできない。
自分で決めたこと、それでも。
それでも…………

〜 本当に夢のようで…… 〜

ふと。
優しくしっとりと響く声が聴こえてきた。
涙をこぼす私の心を覆うように。
その歌声は寄り添ってくれて。

〜 眩しく輝いた…… 〜

もっと近くで聴きたくて、声に近づく。

声楽教室を覗くと、色白の男の子が歌っていた。
目を閉じて少し首を傾けながら。

〜 運命だったんだ…… 〜

窓から降り注ぐ日差しがゆったりと彼を照らして。
甘く柔らかな声がふわりと流れ。
……心にじっくりと沁みる景色だった。

ふと彼は私と目が合い、一瞬硬直し慌てて姿勢を正す。

「あっ、す、すみません、勝手に入って!すぐ出ます!」

「あ、違うの、私も音楽科の学生じゃないから、あの、」
「で、でも、僕も違うので、失礼します!」

さらさらの黒髪に細い切れ長の目、白いふっくらした頬。
中肉中背だけど、線の細さから私より年下そうだった彼は、真っ赤になって私の横をすり抜けて、教室を出ていった。

「……もっと、聴きたかったのに」

私を蝕んでいた寂寥は消え、彼の歌声の余韻が温かく私を包んでくれていた。

(もう、一度聴きたい)

強く思った。

だから、その後でゼミの教授に呼び出された会議室に彼の姿を見た時。思わず叫んでしまって。

「さっきの……!」
「え、あっ!あの……っ」

顔を真っ赤にして私を見上げる彼の瞳に、ずきっと心臓が鳴った。

この瞳は……

「なんだ、森下知り合いか?」
教授が驚きながら声をかけてきて。

「あ、いえ、少し……」
「丁度よかった、大学からの指示で系列高校生のボランティア活動の手伝いを引き受けてな。彼らは海水を利用した巨大な水槽を作るんだと。お前、J国にいた時水処理システムの科にいたんだよな、任せたぞ」

教授の言葉に、慌てて頭を下げる男の子が、オニュだった。

打ち合わせに使っていいぞと、教授が会議室を出ていく。
おずおずと私の様子を伺いながら、オニュは自己紹介を始めた。
この大学の系列高校の副生徒会長であること、生徒会のプロジェクトとして海水を濾過して綺麗にした水でのアクアリウムを期間限定で街の大通りに設置する計画がたち、協力を依頼しにきたこと。

「声楽科には、なんで?」
「あっ、幼なじみのヌナがいて、そ、それで……」
少し慣れたのか、しっかり顔を見て話すようになってくれて。
「あなたは高校でも声楽科なの?」
どうしても彼の歌声に興味がある私は、課題よりそっちの話をふってしまう。
「あっ、はい……一応……」
オニュは一瞬口ごもると、力なく呟いた。
「一応……?」
「あんまり巧くないから……」
「ええええええー……!嘘だよね?」
さっき聴いた声最高だったのに!
「ほ、ほんとです、あまり成績もよくないから、多分留学とかは無理だってこないだも、先生に言われて……」
悔しそうに俯く顔が、小さい子供のようで……なんだか、慰めてあげたい、と思った。

「世の中の基準が理解できないんだけど、でも……」

私の声にオニュが顔をあげる。

「私は、あなたの声にずっと浸っていたかったよ」

すうって切れ長の目が見開かれて。
また胸が傷んだ。

やっぱり似てる。この子……

こうして、これから、こんな痛みは日々あって。
耐えていくしか、ない…………んだろうな…………

「そ、んな……」

じわじわと首を真っ赤にして、オニュは小さな小さな声でそう、言って。

ああ。
この子といると……きっと傷つく。
話を断ろうか、とも頭をよぎるけれど。

「私に、また聴かせてほしいの」

この子の歌声が。
どうしても聴きたくて。

「は、はい……!」

私に懐かしさも痛みも全て感じさせる笑顔。
この子と知り合ったのは、運命なのかな、と思った。

『 こうなった以上 どうやっても傷つかずには 生きてはいけないんだ…… 』

そう……生きる以上、この日々は繰り返されるから。
傷ついても……
この子の歌があれば……きっと……

私は、そっと、オニュの手を握った。



オニュside


その日の僕は結構、いやかなり凹んでた。
授業で先生に
「オニュ君はもう少し表現を覚えないと。……もうそんな時期でもないよ?」
そう注意されショックだった。
 子供の頃から歌うことが好きで好きで。歌うことで生きていきたいと、J国系列の高校の声楽科を受験して、合格して。肉屋を経営する実家は、どちらかというと裕福な方だったけれど、けた違いのお金持ちの子供達が通う高校で肩身の狭い思いをしながら一生懸命
「オニュは歌いかたが独特すぎる。基本の発声を学びなさい」
そう言われたから頑張ってきたのに。
今度は……
もう三年生、進路を見据える時期で。
先生の言葉は暗に僕の夢は諦めるよう示唆していた。
おまけに、生徒会長のミノから大学への訪問まで押し付けられて。
『オニュ、知り合いいるんだろ、ちょうどいいじゃん』
アクアリウム計画をたてた本人がいけよと突っぱねたけど、サッカー部の全国大会の予選練習が忙しいと言われ。
「全く、知り合いっても、ボアヌナは声楽科で依頼する教授は水域環境科。全然違うだろーが」
それでも、なんとかツテを探ってくれた幼なじみのボアヌナを捜して声楽科の校舎をウロウロしていたら、たまたま開いたままの教室があって。
高校よりも格段に音響設備の整った教室につい、引き込まれ。
自然と歌ってしまった。

伸びやかに響く声を楽しんでいたら、ふと視線を感じ、はっと喉を閉ざす。

教室の入り口に、日に焼けた肌の黒髪の女性が立っていて。

日差しがきらきらと彼女の周囲を照らし。
とても神々しくて。

(……なんて綺麗な……)

肩より少し長い真っ直ぐな髪、褐色の肌に細い線の整った顔立ち。

(神秘的……と言うのかな……)

一瞬見惚れた僕はすぐに我にかえり、慌てて教室を飛び出す。

その時は部外者が勝手に歌った後ろめたさの方が強かったけれど。

「さっきの……!」
「え、あっ!あの……っ」

あんなヌナと再会し、二人になったとき彼女に

「私は、あなたの声にずっと浸っていたかったよ」

そう、言われた時。

僕は彼女に。

恋に堕ちた……ん……だ……


でも、恋……なんて、中学生の時に可愛い先生に淡い憧れを抱いたぐらいで、ずっとソロでいた僕はどうしていいかもわからず。
ふらふらと戻った高校の生徒会室で、さっき握られた手とあんなヌナの連絡先の入った携帯をひたすら眺めるだけで……

「おっ、オニュお疲れ、どうだった大学」
どろどろに汚れたユニホーム姿のままのミノがタオルで頭を拭きつつ入ってくる。
「いい人紹介してもらえたか?」
「あ、ああ……うん」
「……?お前大丈夫か……顔真っ赤になってんぞ……」
そこに、書記のキーが入ってくる。
「ちょっと、ミノなんで勝手にオニュだけ行かしたの、頼りにならな……何があったの?オニュ……」
「だってお前、ファッションデザイン科の課題大詰めとか騒いでたじゃん」
「や、それは、てゆうか、オニュ?目泳いでるよ?」
目ざといキーは僕の様子に気づき、結局あんなヌナへの気持ちを白状させられ。
「くそー俺が行けばよかったぁ!」
「黙れサッカー馬鹿……オニュがねぇ……オニュにねぇ春がきたかー」
頭をかきむしって悔しがるミノと、感銘深げにうんうん頷くキー。
「とりあえず……応援団結成だね、オニュ、さっそくデートしといで!」
「えっ」
「口実なんていっぱいあるじゃん、そのヌナオニュの歌声気に入ってくれてんだし、あ、そうだ、アクアリウムの見本知りたいからって言って、水族館いっといでよ!」
「おっ、それいい口実だな」
「そ、そんな、いきなりデートだなんて……」
僕が戸惑っている隙に、ミノに携帯を取り上げれキーがメールを打ち込んでしまう。
「うわっ、返信はやっ!オニュ、絶対向こうもオニュに気があるよ!」
「ヒューヒュー、初デートで初キッスもすましてこいよー♪」
「よし、では、今度の土曜日ではどうですか、と……今からオニュの家にいって、服の準備しなきゃね〜」
「ちょ、まっ……!」

あれよあれよという間に話は進んで……

「あ、お、おはようございます」
「おはよう、オニュ君。いい天気でよかったね」

僕は待ち合わせ場所の駅で佇むあんなヌナに声をかけたんだ……


〜 続く 〜


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