過去拍手話

□楽園という檻の中で シウミンside
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耳を澄ます。
今日も耳を澄ます。

ぴんと張り詰めた空気に。
あなたの気配がする。

閉ざされた空間の中で微かに。
存在するあなたの心音。

この音が聴けるのは………
あと………どれぐらい………

ヌナ………


整理のされない音の雨が四六時中降り注ぐ。
喉から声帯を使い出されるものだけでなく白い服を着た者達の息遣い、喉を鳴らす音、厭わしさから放たれる手つき、全てがだった。
その怒濤のような情報を抱えきれず幾度も身を屈め胃をよじらせた日々。
いつも息を潜め音を払うことばかり考えていた。
「シウミン」
傍らで放たれるルハンの澄んだ声は心地好く脳を撫でる。こびりついていた音の欠片が流れていく。
4つの同じ細胞から生き残ったのは僕とルハンだけ。それは僕に留まるものへの浄化の為なんだろうか。

外部からの音を必要なものだけ聴くコントロールができるようになった時。

その声が不意に僕の世界に現れた。

「シウミン」

シ、ウ、ミ、ン。

好奇も恐怖も嫌悪もない。

僕の心に流れ込んだその声。

「シウミン」

その声はくっきりと輪郭を作りながらただただ音として僕の中に残った。

その音を出したのはあんなという白衣を着ない人だった。
ルハンと共に連れてこられた部屋の片隅にいた僕の前に。
柔らかな風と共に現れた人。

首をかしげると髪からさらりと音がした。
微笑むと周囲の音の角が緩んだ。

そして僕とルハンはあんなと暮らすことになった。
今までとうってかわって、機械音は極端に減り
、海の音や木々の揺れる音が満ちた環境。
何より、ルハン以外の造作と声に溢れた日々。
共に暮らす、イェソンヒョン、クリス、タオの、それらはどれだけ降ってきても不思議と僕に苦痛を与えなかった。

「シウミン」

環境がかわっても、どれだけ聴こえる量をコントロールできるようになってもあんなヌナの声は特別だった。

実験物として扱われていた僕に。
僕と言う存在を教えてくれる。

番号じゃない。

僕はシウミンとして在ることを。

音のコントロールに失敗して苦痛を感じた時はあんなヌナの傍に行った。
ヌナはいつも微笑んで僕を抱き締めて、沢山名前を呼んでくれた。

「シウミン、シウミン」

もっと。

呼んで欲しい。

僕の名前を。

ずっと。

僕は極力ヌナの傍にいた。ヌナのたてる少しの音も好きだった。好きなものを見つけて駆けていく弾んだ足音。階段を下りる時の独特のリズム。煮詰まった時に頭を掻く癖の音。右側から咀嚼する音。僕達の頬にキスをする時の弾んだ音。

季節の変わりが響いた頃、ヌナに告げられた。

「シウミン、もう大丈夫だよね。世の中にはどうしても拾っていかないと生きていけない音があるの、それを学んできてね」

僕達は皆学校に通うことになった。新しい音は確かに新鮮だったけれど。
帰宅するまでヌナの音が声が聴こえない。僕の不満は日々募り、僕はどうにかならないかと試行錯誤を繰り返した。

「あ」

『………だから、その結果だと………』

グランドの隅のベンチは海側に開けていて。
昼休みサッカーを楽しむルハン達からも程よく離れていた。家の方角に耳を向けて集中すると、運良くヌナ達の海水研究に使っている離れの部屋の音が拾えたようだ。

途切れ途切れでも響くヌナの声が嬉しかった。

『………二人は………大丈夫………でも、クリス………』
『あんな様今は………状況を見ましょう………』
『どうしても………駄目………かな………クリス』

最初はただヌナの声を感じたくて始めたことだった。
毎日重ねるごとにヌナとイェソンヒョンの言葉が繋がって僕達の実態を構築していく。
研究者達が落としていったものより強固な事実。

「シウ?顔色悪いぞ?どうした?」
ルハンが僕を覗き込む。
僕と同じ音を察する彼だけれど、僕よりは幾分聞き取りが弱い。それは功か負か。
僕は僕達についてヌナ達が話していることをルハンに伝えていった。
僕とルハンは切断したされた肉体が未だ残ると感じさせる幻肢痛の症状が互いにある為自然と傍にいることを欲すること。
全員に混じる獣のこと。
それらがどう僕達の育成に影響を与えるのかヌナ達が案じていること。
僕達の出生、現在おかれてる立ち位置。
ある程度は研究所にいる時に聞こえていたと、ルハンはそう動揺しなかった。
僕より疎いゆえに情報処理が簡易だったのだろう。ただ彼が知りたがったのは。

「俺らどうなんの」
「それは………よく話をしてるけれど………決定されてることはまだないよ」
「それわかったら教えてくれ………あんま、聴きすぎるなよ………」

ルハンはゆっくりと僕を抱き締めるとそう言った。

でも僕は止められなかった。
僕達が近くにいる時はヌナとイェソンヒョンは絶対に僕達についての話はしない。
ただ、日常の会話だ。タオをどちらが甘やかしすぎてるかケンカしたり、ヌナの作った料理に納得できないヒョンが僕達を巻き込んで
「広島焼きVS大阪お好み焼き大会」をやろうと騒いだり。
「もーほんっとイェソン頑固やわ!」
「あんなが信じられん、広島焼きなんて邪道や!」
二人が心底昂っている時にだけ時折出る発音。

「ヌナ、さっきの………やわ、ってなに?」
「ん?あ、そっか、えっと、方言………難しいな、同じ言語なんだけどイントネーションが違うんだよね………イェソン、いい資料あるかな、そろそろ皆にも教えとこうか」
イェソンヒョンが用意してくれた映像を皆で見る。
その時を音量を気にかけてくれるヌナの僕の耳を撫でる仕草。

この手が在り続けるなら。

「シウミン、沢山色々な声を聞いて辛くなかった?」

そう僕の名を呼んでくれるヌナの声が在り続けるなら。

僕は………ここに………いたい………よ、ルハン………

『………あんな様、二人の養子先が見つかりそうです………』
『国籍が先でしょう!どう………どういうつもりなの!どのように扱うつもりなの!』

僕達の外見にも顕著な変化が現れだした頃、ヌナとイェソンの会話に僕とルハンの名前が頻繁にあがるようになった。
それをルハンに伝えると彼は素直に期待していた。この地に飽きてきているのはわかっていた。彼は皮肉にも音が少なすぎるのが退屈だったんだ。
そして僕はもう1つ気づいていた。
ヌナとヒョンの話の最後に必ずヌナが口にする名前を。

「………クリス………ごめんね………」

僕でもルハンでも日頃幼さに押されて甘やかしているタオでもない。
いつも切り離された影のようにヌナの背後を見つめるクリスの名前。

クリスの生体は僕達の中で一番不安定で、解明できないことが多いとイェソンヒョンがよく呟いていた。
クリス自体は気遣いに溢れた人柄だったけれど、彼の造作の音は複数の獣の音が混じる。それも未知の獣のものもあり、その底知れぬ闇が僕にいつも微かな緊張を与えた。
危うさからヌナが彼を思うのはわかる。

………わかる………けれど………

一度意識してしまうともう駄目だった。
誰の名を呼ぶかカウントしてしまう。
そして、その結果は僕の心に積もり腐敗していく。

『あんな様、クリスのことは………』
『もういい!私が………お願い、私の命を渡せばいい?何でも渡すから、もういらない、いらない、ユンホに何を渡せばクリスを自由にしてあげられるの?!』
『………あんな!』

ガタッ 人が人を押し倒す音がした。

『………イェ………ソ………ン』
二人の荒く乱れた息が鼓膜に響く。
『………脅迫………は二度としないと………約束したはずだよ………』
『………違う………逃げ………たい………だけ………ど………どうしてこんな………どうして私がクリスでなかったの………どうして私で………終わらなかったの………んっ………』
ヌナの声が途切れた。
微かな息遣いが重なる。ぴちゃりと湿った音が
落ちた後、
『君を………終わらせれなかった………気持ちが………僕は………わかる………』
布擦れの音がする。
二人が出す音が線を繋ぎ浮かび上がる。
『自ら………生きることを放置しようとしたら………赦さない………覚えてるよね………また………思い出させるよ………』
『………やめて………』
『やめない………代わりでもいい………あんな』
重なる二人の声。
互いの素肌に触れあう音。
湿った音が強くなる。

『………ぁ………あ、………あ………や、め、あ………っ』

ヌナの声が響いた瞬間僕は電流を流されたようにガクガクと震えた。

なんだ。

今の音はなんなんだ。

いつも僕の胸に在るヌナの声とは全く違う。

『………ぁ………ん、は、ぁあ、あ………』

肉と肉がぶつかる音に混じるその声は。
酷く甘くて重くて。
僕の脳内にべたりとへばりつき。
ぬらぬら溶解しだし。
じわじわと全身に浸透していく。

『………ぃ……ェ………っ、ンぁ………!』

一際高い音が流れた瞬間、僕の腰が跳ねた。

「な………」

僕はいつかのように身をよじらせ息を詰めた。
腹部が生暖かい。じとりと粘りの在るものがまとわりついている。

「………まさか」

僕はヌナの嬌声で精通していた…………
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