Book-black

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夕刻から降り出した雨は、私たちの行く手を阻んでいるようだった。もうすぐ人里だと示す地図を信じジープで山道を走り抜け、小さな町に辿り着いた時には全員どうしようもないほど全身ずぶ濡れだった。

運良く小さな宿屋はあった。取れたのは二部屋。誰が誰と相部屋かと相談する暇もなく、機嫌が悪い三蔵は無言で八戒から鍵を奪い取ると私の手首を掴んで引き摺った。よく『野郎と同じ部屋は御免だ』と、口にしている。虫の居所が悪かったから尚更だったんだろう。振り返ると、三人が笑顔で手を振っていた。触らぬ神になんとやら。これで自分たちが被害を被ることはないと、安堵しているような表情だった。

ひとまずお風呂に入り、冷たくなった身体を温めてから全員で隣の飲食店で夕飯を済ませたけれど、その最中も三蔵は悟空の問い掛けに数回答えただけで眉根を寄せていた。頼んだビールも普段より少なかった。反して煙草の本数は多くて、終始不機嫌だったのは誰が見ても明白。

それは部屋に戻ってからも続いた。強引に同室にさせられた挙げ句、居たたまれないこの雰囲気。何より非喫煙者の私は、三蔵と悟浄とは同室を遠慮していたというのに。

窓の上には小さな屋根がついていて、雨が入り込むことは無かった。それが開け放ってあったのでそんなに煙たくはなかったけれど、代わりに、冷やされた空気が部屋を支配していて寒かった。いつもなら誰より先に眠りにつくくせに、こんなときに限ってまだ寝る気配がないのだから困ったものだ。

否、恐らく眠れないのだ。


「ねぇ、寒いよ」

「あぁ?」


刺すような目で私を睨む。三蔵との間にある見えない壁が見えた気がした。増幅した苦手意識が、僅かに恐怖へと変わり、蛇に睨まれた蛙のように脚が竦む。その一瞬にして絶対に勝てないことを悟って、すぐに目線を下にずらす。

思わず小さく謝って、背を向けた。
雨音は少し、小さくなっていた。

冷え込むことを予想して、薄手とはいえカーディガンを荷物の中から出しておいたのは正解だった。パジャマの上から袖を通しながら三蔵を横目にすれば、相変わらず眉間に深い皺を刻んだまま椅子に深く腰掛け足を組み、まるで落ちていく無数の雨粒でも数えているかのように窓の外に目を向けながらもくもくと煙を吐き出していた。傍らの灰皿は、何処を探しても火を消す隙間がない。


「もうやめたらいいのに…」


思ったことが口に出ていた。

火を着けたばかりの煙草を、隙間のない灰皿に無理矢理押しつける。傾いたアルミの灰皿が机上で音を立てながら、数本の吸い殻と灰を溢す。椅子は大きな音と一緒に三蔵の後ろに倒れた。

あっという間に視界が変わり、痛みではない衝撃が身体に走って、咄嗟に目を瞑る。


「何様だ」


すぐ上から、いつにも増して低い声がした。

ああ、そうか。
所謂、ベッドに押し倒されたってやつ。

ゆっくり瞼を開けて目線を上げれば、歪んだ綺麗な顔がある。私が点けていた少しの明かりが作った陰影が、本来持ち合わせている近寄りがたいくらいの美しさを際立たせていて、この世のものとは思えないほど幻想的に見えた。


「吸いすぎだって思っただけだし…」

「五月蝿ぇんだよ、塞ぐぞ」


何を、なんて聞かなくとも、冗談だと思った。私を黙らせるために、脅しているだけなんだと。

それなのに、顎を掴まれ強制的に視線が交わり、勢い良く唇がぶつかって、そのまま舌が割って入ってきた。好きじゃない、煙草の匂いがした。

頭の上で両手は纏められていて動かない。両脚は三蔵の膝に挟まれていて、抵抗らしい抵抗なんて身を捩ることくらいしか出来なかった。初めてのことで息の仕方も分からない。歯茎をなぞられたり引きずり出された舌を噛まれたり、誰かの唇が触れる感触すら知らないうちに刻み込まれる、決して気持ちがいいとはいえない妙な感覚。同意の上だったとしたら、捉え方は違ったのだろうか。

喉の奥に引っ掛かるどちらのものか判らない唾液と、十分じゃない酸素で窒息しそうで涙が一筋零れて流れた。

それがどのくらい続いたのか。唇が離れたところで一気に酸素を吸い込むと同時に、顔を背けてゲホゲホと咳込んだ。肩で息をしながら三蔵を睨んだけれど、相手には全く効いていない。そればかりではなく、表情だって微塵も変わらない。


「サイテー…」 


腹立たしいほど色香が漂う男を、これでもかってくらい睨み上げる。それは身体が動かない私の、今できる全力の抵抗だった。

なんでどうして、なんて、今更訊くのも負けた気がする。言葉が出てこない理由はそれだけではなかったけれど、臆してると気付かれたくない一心で目を逸らさなかった。


「そりゃ結構なことだな」

「ちょっ…、なにして!!」


骨ばった形のいい手が、パジャマの裾からするりと侵入して、そこで初めて大きな声を出せば、その反応が面白かったのか目は細まって唇の端がつり上がった。


「この状況で男と女がやることなんざ一つだろ」

「やだやだ絶対やだなに考えてんの退いて!!」

「抵抗は逆効果って知らねぇのか」


私と三蔵は、そんなんじゃない。一緒に居たって会話もロクに続かない。いつか悟浄が酔って口にした『愛が無くても勃つモンは勃つんだよオトコは』って言葉が頭を過ぎった。

三蔵への一方的な想いを持て余したまま、中途半端に情事へと引き摺り込まれるのは御免だ。腫れ物を触るみたいに女扱いされるのも鳥肌が立つけれど、やっぱり女なのだと痛感する。

気に入られていないのは最初から分かっていたけど、こんなのってあんまりだ。


「ほんと…やだってばさんぞー…」


胸を掴んだ手が、ぴたりと動きを止めた。恐る恐る窺った顔は何故か困惑色に染まっていて、今から犯すと宣言した三蔵の方がそんな表情をするのは間違っていると思った。











「…そんなに嫌か」

静かな問い掛けが、驚くほどに優しい頬を撫でる手付きが、心を揺らす。顔を背けて首を横に振れば、温かい舌と唇がゆっくりと首筋を這った。


























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