Book-black
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悪態をついて、男勝りを装って、物分かりのいいフリをしていれば、失わないと思った。失うものなんて、もう無かったはずなのに。
知らず知らずのうちにそう思ってしまったのは、私自身が弱いからなのだろうか?
秋口の肌寒い夜なのに、汗ばんだ肌。首筋に顔を埋め、必死に声を殺して縋り付く。聞き慣れたはずの声も息遣いも、耳元で響くそれは非現実のように官能的で、気が遠くなるような快感が襲う。気を許したら、いつ隣部屋から“誰か”が、殴り込んでくるとも知れない。ベッドがギシギシと安っぽく軋む音だけが、意識を繋いでいた。それだけが、現段階で唯一、理性と呼べるものだった。
月明かりが差し込む、カーテンのない窓。引き剥がされて覗き込んでくる瞳は月光を吸収したかのようにきらきらとしていて、まるで心の中まで見透かされている気がして少しの恐怖すら感じた。それでも、目を逸らせない。恐怖が、愛しい。
いっそのこと、その恐怖で心ごと壊してもらいたい。いつか失う前に、闇に溶けてしまえたならどんなにいいか。
私の瞳に、涙が滲んでいたのだろうか。それともはやり、見透かされていたのか。悟空は一瞬、顔を歪ませ、余計な思考に囚われることを疎ましく感じている様子で、噛みつくような口付けで何かを言い掛けた私の唇を塞いだ。
柔らかい髪がくすぐる。夢中で貪る唇の端から零れる唾液が首元を伝っていくと、熱い舌がそれを追うようにして舐め取り、痕を付けた。
感覚が、満たされない。
「離れちゃ、やだ…」
それはいつもの、お菓子を買ってほしいとか食後のデザートは最低3皿食べたいなんて陳腐な我儘とは違う。怯えている。今、確かに感じる感触が、声が、匂いが、温もりが、足りない。幾ら目を盗んで身体を重ねたところで、寧ろ身体を重ねる度に、心の中の隙間が大きくなっていく。全てを飲み込んでしまう闇のような、真っ黒な恐怖が支配する。
「俺も、おんなじだから」
額と額を合わせ、手を握り、ぎゅっと指を絡ませる。どちらが年下か分からない。まるで泣きじゃくる子供を諭すような、しっかりした優しい声。少しだけ余裕な、普段とは違う私しか知らない悟空が切なく微笑んでみせた。
溺れてしまった。いつも行動を共にしているから好きになった、そんな簡単な動機じゃなかった。全部に、全身で惹かれた。それが本能とでもいうのだろうか。心ごと溺れて、助からないまま。
すき、ただそれだけなのに。
怖い。
失いたくない。
繋がれた両手が不自由で、涙が拭えない。代わりに、それを味わうかのようにゆっくりと、舌先が目元を這い、時折頬を啄んで小さく音を立てた。その間も、ベッドの軋みは止まないし、白く綺麗だったシーツには最早どちらのものとも区別がつかない体液が広がっていく。そして、壊れた人形みたいに同じ言葉を繰り返して、何度だって悟空を困らせる。
きっと、いつか失ってしまうその時まで。
恐怖からも、逃げられない。
vivid shadow
それは、鮮やかな狂気。