松のべる

□痛いの、頂戴。【おそおそ】
2ページ/2ページ

今日はの夜は夜番だった。
静まり返った街に煌々と灯る街灯を眺めながら、お決まりのパトロール。時刻はとっくに零時を回っているから、当然誰もいない。それをいいことに正義のおまわりさんであるはずの俺は煙草の煙を燻らせながら警棒を前に構えて歩いた。 
口と肺一杯に煙草の煙が満ちて、えむを言えない多幸感に酔いしれる。あー、やっぱり煙草だけは止められねぇな。
とっくの昔に、この煙に脳の全体が依存しきっているのだ。 今さら止める、なんてことになったらきっとストレスで死ぬだろう。言わばこれは俺のストレス発散なんだ、そうだそうだ。
ぷかぁ、と口の中に溜め込んだ毒をゆっくり吐き出して、ため息をつく。今日も一日疲れた。
迷子の子供に落しもの。挙げ句の果てには強盗事件。いつもはなんにもないくせに、なんで俺が夜に当たったときに限ってこうも忙しいんだよ、ふざけるな。
つい苛立って、煙草をくわえながら癖になってしまった舌打ちを打つ。この癖があるから子供にも怖がられるし評判悪いんだけど。なんだよ元ヤクザって。そんな面倒くさいこと、誰がするか。目付きが悪いのもしょうがないだろ。俺の遺伝子に謝れ。
またふつふつとイライラが込み上げてきて、さらに煙を吸おうとした瞬間、くわえていたはずの煙草が、何かに引っ張られて俺の口から離れた。驚いている間に、消し潰されたようなジュッとした音と、煙が漂う。とっさに俺は暗闇に向かって警棒を構える。
「ぷっ、ふふ、はははっ!」
…暗闇の中から、腹の立つ笑い声が聞こえてきた。すごく聞き覚えのある声で再生されたその笑い声に、ふつふつとさらに苛立ちが込み上げてくる。
カシャン、と金属の音と、その金属を動かすための油の独特の匂い。街灯で照らされた光を遮る薄暗い大きな影と、その大きな飛行物体から溢れる排気ガスの排気音。
これだけのことで誰かわかるんだから、俺も大分ほだされているのだろうか。
頭上に浮かぶ飛行バイクに乗るそいつをギロリと睨みあげて。
「…お前、また何やってんだよ」
「へへっ…おこんばんわぁ、おまわりさん!」
普通は警察官に声かけないであろう、その身に赤を纏う半機械の追われ人。
語尾にハートでも付きそうなくらい甘ったるい猫なで声をだした目の前のバカに、俺は今日一番の大きなため息をだしたのだった。あーあ。










「てかお前何しに来たんだよ、こんな夜中に」
浮かせた飛行バイクを路肩に止めるそいつに呼び掛けた。ゆっくりと振り返ったそいつはにぱっ、と人懐っこそうな笑みを浮かべて言った。
「え〜?もちろんお巡りさんが恋しくて会いにきちゃった♡みたいな?」
「うわ、きも」
「酷くない!?」
キビシー!と叫ぶそいつにまたため息をつきながら、俺はちらりとそいつを盗み見る。
俺によく似ているが、俺と違って表情がころころ変わる顔、幼い態度に明るい口調。朗らかな雰囲気に似合わない、鉄臭いごつごつとした無骨な義手と義足。

俺がつけた傷が、大きく残った体だ。

ちらりと考えたその思考だけで、背筋にゾクゾクとしたものが走る。感じてしまった快楽に嫌悪感を抱いて舌打ちすれば、目の前のこいつがビクッと肩を震わせた。
「ど、どしたのお巡りさん…?…あ、機嫌悪いんだろ〜!夜番だし!」
「ちげーよ。…黙れ」
思った以上にドスの効いた低い声が出た。明るい声音から一転して、怯えたような、こいつの顔。やめろ、そんな顔すんなって。やめろよ。
沸き上がるどす黒いものに、頭が呑まれそうになって、警棒を握る手が痙攣して。心配そうなこいつの顔が、声が、全部全部全部全部。

壊したくなって。

義手から漂う潤滑油の匂いが、さらに強く匂った気がした。息が荒くなる。だめだ、やめろ。やめろやめろやめろやめろやめろ。職務中だろ、俺。もし街のやつに見られたらどうする。ただでさえ低い評判がさらにがた落ちだぞ。あ、でもこれだめだ。あー、やばいやばいやばいやばいやばいやばい。

ぷつり。

切れた音が聞こえた。

「おまわりさ…い゙ぎっ!?」
鈍い音と、呻き声。目の前のこいつを殴り付けた警棒が少し赤く滲んでいて、絶句。ああ、またやってしまった。
とてつもない罪悪感と、後悔。だけどそれを上回るほどの、欲求が満たされていく、満足感。
「おま、わりさ…?」
歪んだこいつの顔が、たまらなく愛しく思えて。狂ってるな、なんて他人事で。口許が緩む。動悸が治まらない。もっと、もっともっとその顔が見たい。痛みを与えて、苦しませて、その顔をさらに歪ませたい。
苦しい。苦しい苦しい苦しい。殺したい。殺したい殺したい殺したい殺したい。頭の中で、血塗れた赤黒い欲が、狂った俺をさらに狂わせて。あああああ。
「…ごめん」
治りかけたこいつの頭の傷を、抉るようにまた警棒で殴り付けて。鈍い音と低い苦しそうな呻き声が静まり返った夜の街に響く。痛いよな、ごめん、ごめんごめんごめん。でも。


楽しくて楽しくて、仕方ねぇの。


「ふ、あは、ははっ…ごめ、ごめんな」
目の前で震えながら踞るこいつが、傷口をおさえるこいつが。愛しい、可愛い、愛しい愛しい愛しい愛しい。狂ったように、また殴り付けて。こいつの血が頬にかかる。浮かんだ罪悪感なんてすぐに流されてしまった。あ、制服が返り血で汚れちまった。血って落とすの面倒なんだよな。
「あ゙ぐっ…あ゙、お゙まわりっ、ざ…」
頭から血を流したこいつが、ゆっくり顔をあげる。

愉悦に浸った、その顔を。

この状況には似つかない、その笑み。殴り付けた傷が、マジックのように綺麗さっぱり消えていく。
「…あーあ。せっかく俺のってシルシ、つけたのに。消えちまったじゃん」
血塗れた警棒を振り回す。ぴっ、と血液が飛んで近くの壁が汚れた。
「しょうがないよぉ。イモータルは道具の傷はすぐ治っちゃうんだからさぁ」
むくれたように、やれやれと首をふるそいつ。頭の傷はもう完全に治っていた。つけたシルシは、ない。チッと舌打ち。
「殴られて喜ぶとか、ドMか」
「しょうがないじゃん、好きなやつからの傷ってすげー気持ちいいんだもん」
「男がもんとかつけんなきもい」
「辛辣!!」

俺はキルで、こいつはイモータルだ。俺はこいつのことを殺したくてしょうがないし、こいつは殺しても殺しても死なない。むしろ喜ぶ。そーいうもん。
「痛みが気持ちいいとか理解できねぇわ。痛覚ねぇし。痛覚あったときでもなかったわ」
「え〜?でも痛いのもあるんだよ〜?おまわりさん以外のはすげー痛いし」
あっそ。
そっけない俺に、にまりと気持ち悪いくらいに笑うこいつ。
「ねぇ、俺の大好きなおまわりさん。…だからもっともっと、俺のこと傷つけて、殺してよ」
おまわりさんに殺されるなら、俺本望だよ。なんて。期待を隠しきれない声音で言うなよ。殺すぞ。
「ばか、お前殺しても死なねぇじゃん。キルの俺でも殺せない」
「あー、そうだったぁ」
思い出したかのように言うそいつ。忘れてたのかよ。
あー、殺したい。殺したい殺したい。この無防備なところを襲って、驚愕を浮かべた顔を絶望に塗り替えて。それができたなら、どれだけ快感だろう。
好きなんだ、愛してるんだ。殺しても殺しても殺し足りないくらい、愛してるんだ。

だから、俺は傷つける。だってこれは俺の愛のシルシだから。

「…おまわりさんのつけてくれた傷、治らないよ。まだ残ってる」
ぼそりと呟いたあいつが、愛おしそうな目付きで義手を撫でる。右腕の義手。なくなった右腕。
俺が切り落として、その傷口に噛みついたせいで、再生しなかった腕。
大きな大きな傷。右腕を見るたびにこいつは、俺のことを想うのだろうか。今みたいな目で、俺のことを考えるのだろうか。
「…そりゃ、つけたかいがあった」
帽子で目元を隠した。けど歪んだ口元までは隠せない。
歪んで狂った、俺達の愛情。

ぽたりと、警棒からこいつ…おそ松の血が滴って、地面に染み込んだ。
「ねぇ、おまわりさん。もっと、俺に痕つけてよ」
欲を孕んだ、おそ松の声が静かに響く。期待に膨らんだ笑い顔。じわ、とおさまったはずの黒いものが、また。
「お前みたいな狂人とっとと豚箱に放り込まれたらいいのに」
警棒を振りかぶって。





ごすっ。鮮血。














3282字。御粗末。
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ