松のべる
□夢の中【チョロおそ】
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「アリス。こんなところでどうしたの。迷子かい」
ふと、頭上からそんな声が聞こえた。
頭に着けた大きな赤いリボンを揺らしながら、アリスはゆっくりと上を見上げた。
「よぉ。イモムシさん」
にしし、と笑い鼻の下を擦るアリスに、声をかけた張本人であるイモムシはため息を吐きながら持っていた水タバコを燻らせた。大きな葉を生やした周囲に白く濁った煙が充満していく。
「…森の奥のお茶会に行ったんじゃなかったのかい、僕達のアリス」
「だって俺紅茶あんまり好きじゃねーんだもん。それに、あそこ退屈だよ。帽子屋は狂ったみたいに訳のわからないことを言うし。俺にはわかんねぇわ」
アリスが不満そうに鼻を鳴らす。傲慢なその態度に、イモムシはまたため息をついた。
「好き嫌いしちゃ、大きくなれないよ」
「俺はもう大人だよ」
「違うね。君はまだ子供だ。少しも成長しない、愚鈍な子供だ」
イモムシの細い目が一層細まった。アリスより少し高い位置にある葉に乗ったイモムシの吐いた煙が、アリスの顔をくすぐる。
「まーな。確かにお前の言う通り、俺は子供かもな」
やれやれ、と手を振りながら、まとわりつく煙を払うこともせずにアリスはくすりと笑う。それはもう意地悪く。悪ガキのように。実際にアリスは悪く言うと悪ガキだが。イモムシは再度ため息をつく。今日はため息の多い日だ。
「…ほら。行きなアリス。次の分かれ道をずうっと右に行けば、お茶会の会場に着くよ」
「えー?行かなきゃダメー?」
「アリスは僕らのアリスだからね。僕一人で独り占めしちゃいけないのさ」
実のところイモムシは一人になりたいだけなのである。体よく追い払おうとしたのを察したアリスが、柔らかな頬をリスのように膨らませた。
いや、イモムシとてアリスを独占したい気持ちが無いのかと言われれば嘘になる。それは彼もこの世界の住人だから。この世界の住人は皆が皆、アリスのことを愛している。
だってアリスはこの世界の「主人公」だから。アリスのための世界だから。アリスは愛されるし、何をしたって許されるのだ。
「ねぇねぇー、イモムシさん」
またアリスがイモムシを呼んだ。それはもう甘ったるい声で。子供が親にねだるような、恋人に甘えるような。そんな糖度を含んだ声。砂糖菓子のようだ、まるで。
「…なんだい、アリス。僕は忙しいんだよ」
「水タバコ吸ってるだけじゃん」
「僕は水タバコを吸うのに忙しいんだよ」
「つまらないなぁ」
「つまらないイモムシで悪かったね」
ふん、と不機嫌そうにイモムシが鼻を鳴らした。バカにされた子供のように。アリスがくすくす笑った。
「…なんで笑うんだよ、アリス」
「べっつにぃ〜?」
にやにやと笑いながらアリスがイモムシの乗る葉によじ登り始めた。イモムシはそれを止めることをせず、ただ黙って眺めていた。
アリスが、イモムシと同じ目線に立った。
「へぇ〜、ここ以外と高いね〜」
キョロキョロと辺りを見渡すアリス。それに合わせて頭のリボンが揺れた。
「そりゃ、葉の上だからね」
「なんで葉の上にいんの?」
「イモムシは葉の上にいるものだろう?」
「そーゆーもんなの?」
「そういうもの」
へー、と興味無さそうに相槌を打つアリス。聞いてきておいてこの態度はなんなのかと短気を自覚しているイモムシは苛立ちに少し顔をしかめたが、アリスはそんなことはお構いなしで、今度はイモムシの水タバコに手を伸ばした。
「なぁ、これ旨い?」
「子供にはわからないよ」
伸びてきたアリスの手を避けて、イモムシはまた煙を燻らせる。ふわりと漂う煙。アリスが不満そうな顔をして強引にイモムシの手から水タバコを取り上げた。
「何するんだよ、アリス」
「子供じゃないって言ってるだろ」
拗ねたような声音で呟いたその声ははっきりと聞こえた。
「返して」
「やだ」
「アリス」
「やだもん」
イモムシはまたため息をついた。拗ねたアリスはこれまた面倒くさいのだ。なんとかして葉の上の安寧を取り戻さないと。