実家

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新品の安物スーツに腕を通し、お気に入りの服を何着かとスマートフォン、携帯の音楽プレーヤー、好きな漫画の全巻セットを旅行用バッグに詰めて、森は玄関に向かう。体が重い。世界滅亡の三日前という気分である。
玄関ではニコニコとした両親と、黒いスーツを身を包んだ三十代後半ほどの男性が一人立っていた。大丈夫ですか。男の口が素早く動く。大丈夫。それが荷物のことを指していると気付くのに森は時間がかかった。そしてなんとか首肯する。
当分会えないけど元気でね。スーツ似合ってるわよ。しっかり頑張るんだよ。忘れ物はない。うるさい。しんどくなったら何時でも帰ってくるんだよ。だから、うるさいよ、もう。


森が外に出ると太陽が輝いていた。眩しさに目を細める。何時ぶりだろう、外へ出るのは。曜日感覚が全くない。自分が自室に引きこもり始めてからどれ程の年月が経ったのか、明確な数字が森には解らなかった。
男性はICカード、森は切符を利用し、共に電車に乗る。市街地には、政府が管理している審神者の専用ビルが建っていた。審神者とは国の存続をかけた一つの任務に就いている職業人の事を言い、これから森はその仕事に就く。
過去に男性から聞いた話を要約すると、特殊な力を使い刀を動かし、歴史修正主義という危険思考を持つ集団から歴史の改変を阻止する役割を持つのが審神者であるらしい。
そんな訳の分からない集団も怖いが、今の森は何より光が嫌だった。まるで台所に出る黒い害虫のようだが、何時もはカーテンを閉め切った部屋に居る為に暗い視界が眩しく感じる位に明るいと只々落ち着かない。
電車には自分と男性以外に幾人の乗客が居た。
森は最近の数年間、自分を優しく包み込み許してくれる世界、つまり自室で一日の大半を過ごしてきた。森にとって、見ず知らずの他人が同じ空間に入り込んでいる状況は恐怖でしかない。じわじわと絶望が森を襲う。

着きましたよ。唐突に肩を叩かれ我に返った。
電車を忙しなく降りる男性に続く。駅を出れば、高層ビルが立ち並んでいた。森達はその中の一つに入ると、エレベーターで21階まで上がる。
審神者の管理は、その審神者が生きる時間と同時点に存在する政府によって都道府県の各県庁所在地に用意された審神者専用のビルにて全て行われている。
今日森が男性に連れてこられたのもその建物で、実際過去に一度だけ講習会を受けに来た事があった。
あの時は親と今目の前に立つ男性に引っ張られる形で車に押し込まれ此処まで来たのを覚えている。寧ろ、それしか覚えていない。講習会の内容を思い出そうとすると、頭に霧がかかったように真っ白になった。それに参加した意味があったのかどうかは甚だ疑問である。

チンとエレベーターが目的の階への到着を知らせた。廊下を少し進んだ後に森は男性の指示に従い、幾つも並んだ扉の一つを開き、中に入る。
室内は全面ガラスで二つに仕切られていた。手前に設けられたスペースにはSF映画に出てくるような機械と大きなモニターの前に政府の制服を着た職員が三人座っており、両壁には向かい合う形で警備員が二人立っている。全面ガラスには扉が一つ付いていた。
奥のスペースには何もなく、床にグレーの円のみが描かれている。審神者達はこれを使い、自分の本丸に向かうのであろう。
森は、内心で混乱した。2017年の現在にこんな装置がある事、自分の預かり知らない所で存在すら認識したことがない敵と戦っている集団がいる事。そして、それが目の前で実際に起きているのだと自覚すると同時に興奮した。しかし、その集団に自分も含まれるとなると話は別である。
死刑台に向かう気持ちで周りに促されるままガラスの扉を潜り、円の中心に立った。
いいですか。スピーカーから声が届く。全然よくない。では、いきます。だから、やなんだって。
心の声は誰にも届かない。森は自身の体に加わる急激な力に耐えるように目を瞑った。
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