青薔薇は焔に散る

□第七章
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「おおー、ここが噂の第8教会ですか。聞いていた通りだいぶ…」
「だいぶ?」
「…趣があって素敵ですね。やっぱり教会っていうのはこう、多少古…えー、味がある方が雰囲気ってものが出ると思うんですよ、ハイ」
「まあ、ふふ。お褒めいただきましてありがとうございます」

二日後、エイレーネは侍従見習いのディーの他にとある人物を引き連れ、勝手知ったる第8教会を訪れた。事前に連絡を入れていたため、森羅とアイリスが出迎えてくれる。

「ごきげんよう、森羅隊員、シスター・アイリス。良い朝ですこと」
「お、おはようございます、殿下」
「おはようございます。あの…目は大丈夫ですか?」

両手を胸の前で組んだアイリスが、不安げに問いかける。エイレーネは潤んだ空色の瞳に柔らかく微笑み返した。

「痛くない、と申し上げれば嘘になりますけれども。傷を受けた当初ほどではありませんわ」
「そんな…しばらく療養されたらどうですか。無理をして倒れたりしたら大変です」
「ふふ、そこまで酷くはありませんので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

エイレーネの右目は相変わらず医療用眼帯に覆われている。冬空の色を映した瞳はいまや、常にグツグツとマグマのごとき熱を孕み疼いているのだ。この傷は普通のものではないため、いずれ医療用ではなくバーンズ大隊長のような眼帯に変えるべきかもしれない。
痛いか痛くないかと言えば、はっきり言って物凄く痛い。だがこの痛みはベッドで寝ていれば治るものではなく、また片付けるべき案件は雨後の竹の子のごとくいくらでもポコポコと生えてくる。エイレーネは苦い顔のハロルドと無表情のうちにも心配の色を滲ませるディーを無理矢理言いくるめ、鎮痛剤を打って公務に臨んだ。
正直こうしている間も、ディーの普段より二割増し重い視線を感じる。心配をかけて申し訳ないが、他に任せられる人間が居ないのだからしょうがない。灰島や“アドラバースト”に関わる話は、人に丸投げするにはデリケートすぎる。

「桜備大隊長はいらっしゃって?」
「はい、定期パトロールをさっき終えたばかりなので。…それと火縄中隊長、火華大隊長も一緒です」
「書類を持って来たついでに姫様たちの話を聞いたみたいで。義姉さんったら、協力者の自分も無関係じゃないからって同席する機満々なんです。その…」
「勿論構いませんわ」

むしろその方がこちらとしては都合がいい。アイリスはほっと安堵の息を吐いた。

「浅草の件もあって、皆様もお仕事がたまっているでしょうに。お時間を取らせてしまい申し訳ございません」
「いや、それはいいんですけど…」

エイレーネの連れに、森羅が不審物を見るような視線を向ける。もっとも向けられた当の本人は特に気にする素振りもなく、ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべるばかりだ。確かに怪しい。
緊張した様子の森羅に先導され、作戦室へと足を踏み入れる。待ち構えていた桜備、火縄、火華と型通りの挨拶を交わしたあと、一同に向かってにこやかに連れを紹介した。

「こちらはこの度第8特殊消防隊科学捜査官に配属された、ヴィクトル・リヒト捜査官ですわ」
「どーもー、リヒトって呼んでください」

ボサボサの黒髪にヨレヨレの白衣。いかにも不健康そうなモヤシ体型。ヘリウムガスよりも軽そうな笑みを浮かべる灰島の科学者に、桜備、森羅と火華はあからさまに警戒に満ちた表情を浮かべた。予想通りの反応である。

「隊員の補強と言っても、いくらなんでも不自然に早すぎます。そもそも何故灰島の者が第8に配属されるのですか!!」
「あら。元々灰島さんは装備からマッチボックス、灰病にいたるまで、様々な形で特殊消防隊に貢献してくださっていましたわ。優れた研究者であるリヒト捜査官の派遣はその一環ですのよ」
「しかし、こちらの了承も得ずにというのは強引すぎやししませか?…何か企んでいるんじゃないだろうな」

美人が怒った姿には言い知れぬ迫力がある。グラビアモデルも真っ青な美女に睨まれるも、リヒトの落ち着きっぷりに変化はない。こういうところは彼の直属の上司である、グレオ社長にそっくりだ。これくらい図太くなければ魑魅魍魎渦巻く伏魔殿こと、灰島の中枢でやっていくことなどできないだろう。

「強引だなんて人聞きの悪い。伝導者の一件で、各隊科学捜査の強化を行うよう、皇国からの指令があったはずです」
「確かに科学班は不足していて、探してもいたが…。第5の火華大隊長に協力を得て対応していた」
「他隊の大隊長にいつまでも頼るわけにはいきませんでしょう。火華大隊長にもご自身のお仕事がおありですもの。たびたび第5のコンビナートから第8教会に足を運ばれるのも、ご負担でしょうし」

いかにも善人面で述べ立てるエイレーネに、火華が痛いところをつかれた顔をする。
そもそも多忙な(はずの)特殊消防隊のいち大隊長が、しょっちゅう他の隊に顔を出しているこの現状がおかしいのだ。日々の業務に支障は出ていないとしても、外聞はあまりよろしくないし、大隊長の不在は第5の隊員たちの不安を招く。
エイレーネの正論に、桜備も火華も黙るしかない。

「必ずお役に立ちますんで、どうかよろしくお願いします」

語尾に☆でも付きそうな調子で、左手の敬礼をするリヒト。エイレーネは彼の白衣を引き、「特殊消防隊の敬礼は右手で行うものですわよ」と教えてやった。

「…特殊消防隊の捜査官だというのなら、心得ていただきたい」
「ありゃ、スミマセンッエイレーネ殿下、火縄中隊長。科学者なもので、しっけいしっけい」

まったく誠意のない調子で謝罪したリヒトは、困惑顔でこちらの様子を伺う森羅に目を留めた。

「挨拶は終わりですよね。それじゃさっそく…」
「?」
「殿下と同じく“アドラバースト”を持つシンラ隊員。君のことは是非詳しく調べたいと思っていたんだよ」

リヒトは躊躇いなく床に這いつくばると、サンダル履きの森羅の足を覗き込んだ。足の指の間の臭いまで嗅げそうな急接近に、森羅もさすがに「キモッ」とドン引きである。

「リヒト捜査官。品位に欠ける行動は慎んでくださいな。特殊消防隊の名に傷がつきますわ」
「そうだそうだ!シンラに気安くさわるな!!」

突拍子のないリヒトの行動に怯えつつも、それにしても、と森羅は呟く。

「“アドラバースト”って、やっぱり稀少な力なんですね。灰島の能力者が目の色を変えるくらい」
「ああ、まだまだ未解明の部分が多いからな。なにせ歴史的に見ても保持者は数えるほどで、公的な記録も少ない。これまでは研究したくともしようがなかった」
「それが森羅隊員にエイレーネ殿下と、立て続けに保持者が現れた。それも殿下は第二世代でありながら第三世代の能力を併せ持つ、煉合能力者として覚醒!いやぁ、これで“アドラバースト”の研究は飛躍的に進むことでしょう!なんともめでたい!」

今にも万歳三唱しそうなリヒト。エイレーネはくすくすと笑い、森羅は疲れきった表情を浮かべる。

「この人、俺と姫様のこと研究対象としか見てませんよ」
「まあ、“アドラバースト”の研究が進むことはわたくしたちにとっても喜ばしいですわ。スペックも不明の武器を使いこなすことは難しいでしょう?」
「それは…そうですけど」

森羅もエイレーネも、“アドラバースト”に目覚めてから日が浅い。凄い力だ、稀少な力だと持て囃されてもいまいちピンと来ないのが実情だった。



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