青薔薇は焔に散る

□第六章
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エイレーネの目の前で、轟音と共に民家が数棟吹っ飛んだ。瓦と折れた木材が木の葉のように宙を舞う。
予定していた公務が先方の都合で中止になったため、おっとり刀で浅草に駆けつけてみたらこれだ。エイレーネは天を仰ぎたくなった。

「(新門大隊長は今日もお元気ね)」

纒を弾丸のように射出し、民家を数棟まとめてぶち抜く。そんな真似ができる人間は、少なくとも浅草の街ではただ一人しかいない。

「姫様、危険です。どうかお下がりください」
「ええ、ありがとうディー」

相変わらず無表情のディーに庇われつつ、街の様子を伺う。早速エイレーネの姿を見つけた第8の面々と、第7の隊員たちが駆け寄ってきた。

「姫様!いらしてくださったんですか!」

驚きと安堵の表情を浮かべる森羅たち。その隣では、纒を掲げた第7の若衆がわはは、と豪快な笑みを見せた。

「おう、姫さん!いいとこに来たな!今から祭りが始まるぜ!若の勇姿、その目に焼き付けてってくれよ!!」
「若!!派手にかましてくれー!!」
「こいつら何言ってんだ…!?」
「こんなの第一でやったら厳罰ものだぞ」

鎮魂を“祭り”と宣う第7の連中に、森羅たちは完全にドン引きしていた。にこやかな笑みを保ちつつも、エイレーネも内心わかる、と頷く。金にうるさい父アレッサンドロ皇子が見たら静かに激怒しそうな惨状だ。

「“焔ビト”となったのはどなたですの?」
「三丁目の勘太郎です」

エイレーネの脳裏に、矍鑠とした老人の姿が浮かぶ。浅草は狭い街だ、この二年足しげく通ったおかげでたいていの住人とは顔見知りだ。勘太郎とも何度か言葉を交わしたことがあった。

「お気の毒ですわ。まだまだお元気でいらしたのに」
「なぁに、嘆いたところで仕方ねェさ。ジジイだって湿っぽく送られちゃあ敵わんだろ」

視線の先で、紅丸が纒に着火した。ロケットのように噴射炎の尾を引いて、“焔ビト”に向かって飛んでいく。第8の隊員たちがざわり、と困惑の声を上げた。

「飛んでったぞ…」
「あの大隊長の能力はなんなんだ?姫様はご存じですか?」
「ふふ。もう少しご覧になればわかりますわ」

皆、最強の消防官と名高い紅丸の実力と、彼の能力が気になるのだろう。彼の後を追い走り出す第8の隊員たちに、ディーをつれたエイレーネも続いた。
視線の先で、紅丸が動いた。第7の若衆が宙に放り投げた、四本の纒。それらは瞬きひとつの間に着火する。紅丸はそれらを弾丸のように射出した。

「まぁ…」

風を切り飛んだ纒は“焔ビト”に命中したが、当然、被害はそれだけに留まらない。衝撃の余波と逸れた纒の直撃により、“焔ビト”の周囲少なくとも六軒が全壊した。一部損傷を受けた建物はその倍ではきかないだろう。森羅たちが顎を落として絶句する気配を感じる。

「…」

エイレーネは無言で首を振った。曲がりなりにも為政者たる皇族の端くれとして、涙を禁じ得ない光景である。民家だけならばまだしも、灰島関連企業の店舗が含まれていたら悪夢だ。グレオ灰島社長が嬉々として第7の“保護者”であるエイレーネに嫌味をぶつけてくるだろう。保険が降りたとしたって、損害は損害だ。

「どうなってんだ、着火させて炎の操作もしてるのか…?」
「あの纒に何か仕掛けがあるんですかね…。滅茶苦茶ですよ」
「ふふ、新門大隊長の纒に仕掛けはございませんわ」

別に勿体ぶるようなことではない。エイレーネはあっさり種明かしした。

「新門大隊長は第3世代の発火能力と、第2世代の炎の操作能力、両方を使ってらっしゃるのです」
「え…えぇええっ!?そんなんアリなんですか!?」
「第2世代と第3世代、両方の力が同時に使えるだなんて…信じられません」

茉希たちが戸惑うのも無理はない。通常、能力者の力は第2世代と第3世代、どちらかにはっきりと分かれている。各々が持つ能力を鍛え上げることはできるが、他の世代の能力を後から得ることなど不可能だ。

「驚かれるのももっともですわ。現在公的に確認されているのは、新門大隊長のただ一例きりですもの。ある意味アドラバーストよりも稀少なお力と言えましょう」
「ああ、姫さんの言う通り。自由自在に着火して、操作することもおちゃのこさいさい。唯一無二の煉合消防官だ」

自慢げに言い切る紺炉。その彼の目の前で、まさにその若こと紅丸が半壊させた民家が、自重に耐えきれずぐしゃりと潰れた。惨い。

「“焔ビト”じゃなく、ほとんどあの人が壊してるぞ」

呆気に取られる森羅の背後で、「いいんだよ」と柔らかな声が聞こえた。見れば、そこには小柄な老婦人の姿があった。勘太郎の伴侶だ。

「家はいくらでも直せばいい。でも、“焔ビト”になっちまった勘太郎の命は、これで最期なんだ」
「まあ、奥様。このたびはなんと申し上げれば良いか」
「そんな顔しないどくれ、おひいさん。人間生まれた順に死ぬもんだ。…若い子でなくてよかったよ」

そう言いながらも、老婦人は寂しげに目を伏せる。
この位置からだと、ちょうど倒壊した民家の影になって紅丸たちの姿が見えない。老婦人の足では回り込むのも大変だろう。エイレーネはちらりと森羅に目を向けた。勘のいい彼はこくりと頷き、しゃがんで老婦人と目線を合わせる。

「あの…俺がお連れしましょうか?勘太郎さんのお見送りができるように…」
「ああ、ありがとう」

老婦人を背負った森羅が駆け出す。エイレーネもその後を付いていった。
彼らに少し遅れて現場に着いたエイレーネが見たのは、“焔ビト”の胸をコアごと手刀でひと突きにした紅丸の姿だった。

「よく頑張ったな」

紅丸の囁きが、薄れいく意識の片隅に届いたのだろうか。
“焔ビト”が燃える右手を紅丸の肩にかける。しかしコアを喪ったその身体はたちまち燃え尽きて灰と化し、風にさらわれてしまった。後に残るのは身体の一部とも、服とも判別できない燃え滓のみだ。

「(…灰は灰に、塵は塵に)」

ふと、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
“焔ビト”となった者は、鎮魂の後骨も残らない。あまりにも寂しい人生の終わりだ。残される遺族や友人からすれば、少しでも華々しく送ってもらい、弔いとしたい、と思うのは当然なのかも知れなかった。

「ありがとね、勘太郎の最期…見届けられたよ」

老婦人が、森羅の背中からひょこりと降りる。

「第8の消防官さんには、紅丸ちゃんの鎮魂は荒っぽく見えたかい?」
「それは…はい、少し」
「はは、そうだろうねぇ。でもね、聖陽教に祈りがあるように、街を壊すのも手向けなんだ。この世の中は誰もが“焔ビト”化の炎に恐怖し、死に場所を探してる」

白装束の用いる蟲が、人工的に“焔ビト”化を引き起こすことは判明した。だが、自然発生する“焔ビト”の原因はいまだ不明である。“焔ビト”化する人間は年齢、性別、人種などに共通点がなく、無差別に変異しているとしか考えられない。つまりこの東京皇国に生きる無能力者すべてに、“焔ビト”化の可能性があるのだ。
明日にでも自分が、あるいは自分の大切な人が。“焔ビト”と化し命を落とすかもしれないーー。能力者であるエイレーネでは、きっと一生完全に理解することのできない恐れだろう。

「ここのみんなをどうせ死ぬなら、紅丸ちゃんに殺されたいと集まってるのさ。浅草の破壊王新門紅丸にね…」

安全が確保されたことで、浅草の町民たちが通りへと出てきた。彼らの歓声を浴びつつも、紅丸はただ静かに、“焔ビト”の焼け焦げが残る地面を見下ろしている。
一度“焔ビト”となってしまったら、もはや人間には戻れない。ならば最期はせめて、信頼する人間の手で終わらせてほしい、と願うものなのかもしれない。だがーー。



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