青薔薇は焔に散る

□第五章
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「ーー正直、驚きました。第1から第6、そして第8の大隊長は当然ながら。第7の大隊長まで召集に応じるとは」

しみじみと呟いたのは、荘厳な法衣に身を包んだ小柄な老人。彼こそは皇王ラフルス三世、血を分けたエイレーネの祖父である。

「はい、お祖父様。…あ、そちらに段差が。お気をつけあそばして」
「おお。すまないね、エイレーネ」

エイレーネの握るしわくちゃの手は枯れ枝のよう。その髪も、立派なあごひげも、雪のように真っ白に染まっている。けれどもその灰色の瞳には、確かな理性と慈愛の色が宿っていた。
ここは東京皇国の電力を一手に担う久遠式火力発電“天照”も程近い、各省庁や皇王庁の集まる皇国の心臓部とも言えるエリア。その一角、聖陽教の中心地ーー中央大聖堂だ。
エイレーネの本日もっとも重要な公務は、これより大隊長会議に臨席するラフルス三世の御伴である。主な議題は無論、暗躍する白装束の集団について。各隊の大隊長のみならず、烈火と直接交戦した森羅、カリム中隊長、そして烈火の件を機に人手不足の第8に出向中の環も参加する予定になっている。
良く言えばそれぞれの隊ごとの結束が強く、悪く言えば全体としてのまとまりや他の隊との協力姿勢に乏しいのが特殊消防隊。大隊長会議などめったに開かれるものではなく、また代理の枢機卿ではなく皇王が顔を出すのも異例のことだ。それだけ皇国及び聖陽教は、白装束の件を重く見ている、というアピールの意味もあるのである。

「今まで頑なに聖陽教との関わりを避けていたにも関わらず…。いったいどんな魔法を使ったのかね?エイレーネ」
「まあ、魔法だなんて。例え信ずる神は違えども、新門大隊長とて特殊消防隊の一員ですもの。皇国を脅かす炎の脅威の前に、隊の枠組みを越え協調するのは当然のことですわ」

ラフルス三世に随伴する枢機卿のひとりが、胡散臭いと言わんばかりの目を目を向けてくる。

「どうですかな。あの頑迷な原国主義者の辞書に、“協調”などという単語があるかは疑わしいところです。白装束への対処も自分達でやる、浅草以外がどうなろうと知ったことか、くらいに思っているのでは?」

ごもっとも、おっしゃる通りですと言うわけにもいかず、エイレーネはにっこりと微笑んだ。むしろ笑うしかない。

「まさか、そのような…。わたくしには読心術など使えませんので、新門大隊長のお心は図りかねますが。彼もまた責任感故にこの大隊長会議に足を運んでくださったものと存じますわ」
「うむ。彼が頑なさを捨て、我らに歩み寄りの姿勢を見せたと言うのなら。それは歓迎すべきことです。そのまま大いなる太陽神に帰依してくれれば何よりなのですが」

ラフルス三世はそう頷いたのだが。エイレーネはすでに、この先起こるであろう騒動が克明に予想できていたのだった。


◇◇◇


目に飛び込んできた光景があまりに自分の予想通りだったので、エイレーネは一瞬、己が予知能力を得たものかと錯覚してしまった。

「(この方の辞書には“協調”どころか、“礼節”という単語すらないのではないかしら…)」

ラフルス三世に随伴し、礼拝堂に足を踏み入れたエイレーネが見たものは。合掌する各隊の大隊長及び、中隊長以下の消防官が数名。親しくしている第1のバーンズ大隊長や、従姉伯母の火代子黄大隊長の姿もある。元気そうで、そこは安心した。
しかし問題は、礼拝堂の椅子に偉そうにふんぞり返った新門紅丸大隊長であった。前列の背もたれにドカリと足を乗せたその姿は、傲岸不遜という四字熟語を擬人化したかのようである。その隣では紺炉が背筋をピンと伸ばしてーー紅丸を嗜めてはいないがーー座っていた。
聖陽教や原国主義云々は脇に置くとして、一国の君主を相手によくもまあここまで大きい顔ができるものだ。エイレーネは一周回って感心する。勿論弱腰ではいつ浅草の文化的独立を崩されるかわからない、という危機感もあるのだろうが。もう少し礼節を弁えた方が、皇国人からの受けもいいと思うのだが。
彼と目が合ったエイレーネは親しみを込めて微笑んだのだが、紅丸はぷいとそっぽを向いた。そのつれない仕草に苦笑しながら、紺炉が目礼をしてくる。

「(…でも。決して頭を下げることのないこの矜持が、新門大隊長らしさよね。これでこそ“浅草の王”だわ)」

皇族という立場上、周囲の人間がへりくだることの多いエイレーネからすると。紅丸の身分をまるで意に介さないその態度は、いっそ小気味良く感じるほどだ。
とは言えこれはだいぶ贔屓目の入った意見であり、大多数の人間にとってはまた違うのだろうとはわかっている。実際にラフルス三世は眉をひそめ、枢機卿らは苦々しげに顔を歪める。開始早々火種がくすぶる有り様だ。この先の展開がわかりきっているエイレーネは、澄まし顔の裏で苦笑した。

「各隊大隊長ーー…揃ったようですね…。では、緊急大隊長会議を始めましょう」

皇王紋章を掲げた椅子に掛けたラフルス三世は、礼拝堂を見回し小さく頷いた。
「楽にしてよろしい」という一言で、(紅丸と紺炉以外の)消防官たちは腰を下ろす。全員が席に着いたところで、ラフルス三世は静かな口調で語り始めた。

「東京軍将軍や消防庁長官とも話をしました…。この国を脅かす者たちが暗躍しているそうですね。伝導者や白頭巾…。人工的に発火を起こす蟲の存在…。報告書で見せてもらいました。彼らの行いは、太陽神の加護を汚す行為です」

この時ばかりは語気を強くし、彼は力強く宣言する。

「特殊消防隊全部隊。伝導者を反逆者とし、討ち倒すのです」

コホンと咳き込む祖父に、エイレーネは白湯を満たした杯を差し出した。ラフルス三世がそれで喉を潤す間、枢機卿のひとりが「異議のある者はいますか?」と一同に問い掛ける。

「(白装束が皇国の敵であることを、疑う者はいないでしょうけれど…)」

祖父ラフルス三世は、本来慈悲深く温情ある聖職者である…のだが。いかんせん聖陽教を重んじるあまり、些かならず物言いが過激だったり、高圧的だったりするところがある。
今の宣言も太陽神を表に出すよりは、この国の平和や民の安寧を守ることの重要性を強調した方が、聞こえが良かったのではないか。ーー案の定。それに反発した人物が、舌打ちと共に冷たく言い放った。

「何が太陽神だ。くだらねェ」
「あなた…皇王の御前ですよ!!」

枢機卿の非難を歯牙にも掛けない紅丸に激昂したのは、軍服を隙なく着込んだ剃髪の男。第2の大隊長、グスタフ本田である。

「紅丸新門!貴様、無礼が過ぎるぞ!このグスタフ本田の制裁を浴びる前に、皇王へ詫びたまえ!!」
「うるせェ“本田グスタフ”。俺の名前は“新門紅丸だ”」

紅丸の口ぶりに、消防官の一部がざわついた。
名前を先、苗字を後に名乗る皇国の風習は、世界中から皇国に流入した移民に配慮してできたものだ。一方浅草の原国主義者は、この国が日本であった頃から変わらず姓、名の順番で名乗りを上げる。
大隊長が一堂に会する場面など、滅多にないことだ。紅丸が原国主義者であることを知らなかった者も、そもそも原国主義者を見るのが初めての者もいるだろう。皇国は浅草を除き、(表向きは)全ての国民が聖陽教徒とされているのだから。

「俺たち第7は元々自警団のバカ共の集まりだ。皇国と太陽神に中性を誓った覚えはねェ。第7は今まで通り好きにやらせてもらうぜ…」

言いたいことを言い放ち、紅丸は紺炉と共に立ち上がった。このまま大聖堂を出ていくつもりだろう。

「(これはさすがにまずいわね…)」

皇王の御前で太陽神を侮辱したあげく、大隊長会議を途中退席とは。この顛末が外部に漏れればーーいや、外部に伝わるのは時間の問題だろうーー。第7を特殊消防隊から除籍しろ、という声が高まるのは避けられない。
それはまずい。他の火消したちはともかく、少なくとも紅丸、と彼をサポートする紺炉だけは特殊消防官でいてもらわなければ(エイレーネとアレッサンドロが)困るのだ。仕方ない、とエイレーネは一歩前に出た。

「ーー皇王猊下。発言の許可を頂けますでしょうか」

エイレーネの凛とした声は決して大きくなかったが、大聖堂に不思議とよく通った。

「ええ、構いません。そなたの好きになさい」
「ありがとうございます」

ラフルス三世に一礼したエイレーネは、不機嫌そうにこちらを見つめる紅丸と向き合った。



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