青薔薇は焔に散る

□第四章
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後日エイレーネが再び第8特殊消防教会を訪れると、桜備がこの世の苦悩をすべて背負ったかのような顔でデスクに突っ伏していた。

「あ…申し訳ございません、殿下。失礼を」
「いえ、どうかお構い無く。お疲れのようですわね」

ちらりと視線を落とせば、デスクの上に鎮座する物体が目に飛び込んでくる。乱暴に書きなぐられた『シンラの給料を上げろ!!!』の張り紙に、“オウビ”と書かれた藁人形(五寸釘付き)だ。誰が持ち込んだのかは言うまでもない。

「まったく、第5はよっぽど暇なのか…!?曲がりなりにも大隊長ともあろう人間が、他の隊にしょっちゅう遊びに来るなんて…!森羅もすっかり餌付けされちまったし」

今や第8に入り浸りの火華は茉希やアイリスとすっかり仲良くなり、今は一緒にシャワーを浴びているそうだ。森羅もまた、差し入れの弁当にホクホク顔の模様である。

「俺だってアーサーと一緒にラーメン誘ってやってんのに…」
「まあまあ、桜備大隊長。そうおっしゃらず。消防官の皆様が隊の垣根を越えて交流を深めるのは素晴らしいことではありませんの」

しかし、『第5の大隊長が第8の二等消防官に入れあげている』との噂が立つのは不味い。適当なところで釘を刺すべきだろうとエイレーネは内心頷いた。もちろん火華が森羅だけを目当てに第8に足を運んでいるわけではないのはたしかだろうが、世間がどう思うかはまた別の話だ。

「大隊長が連れてってくれる店のラーメンは絶品だぞ。奢りというのがまたいい。姫君も今日の帰りにどうだ?」
「バカ、姫様が下町のラーメン屋に行けるはずないだろ」
「ふふ。ありがたいお誘いですけれども、この格好では少し難しいかもしれませんわね」

素人目にも高級とわかる白を基調としたドレスには、皇族の証でもある聖陽教の十字が刺繍されている。見る者が見れば皇族の娘であると一目でわかるだろう。公務の際はこれでいいのだが、私用で町に出るとなると悪目立ちしすぎる。

「確かに白だとスープのシミが目立つか」
「そういう問題じゃねェだろうが!」

ギャーギャーと取っ組み合いの喧嘩をする森羅とアーサー。『争いは同じレベルの者同士でしか発生しない』という言葉を思い出す。

「(力に差がありすぎると“争い”ではなく一方的な“蹂躙”あるいは“虐殺”になってしまうものね)」

物騒なことを考えていると、じっくりシャワーを浴びて身も心もホカホカになった女性陣が戻ってくる。花のような洗髪料の香りを漂わせるアイリスは、笑顔でエイレーネの袖を引いた。

「姫様も今度一緒に入りませんか。洗いっこ楽しいですよ」
「こらアイリス、殿下を困らせるな。…しかしお前たちといると青春を取り戻しているかのようだな」
「そんな、火華さんだってまだまだですよ」
「茉希隊員のおっしゃる通りですわ」
「皆さん、随分仲良しになりましたね」

にこやかな女子たちの様子に、森羅が小さく苦笑する。

「ああ。裸の付き合いをした仲だからな」
「…!は…クソ…はだ…かで付き合う…かよ…」
「森羅隊員、世のお子様に見せられない顔になっていますわよ」
「まったくだ。そのえげつねェ顔で何がヒーローだよ」
「顔は関係ねェだろ!」

再び掴み合いの喧嘩。まったく飽きない子たちである。

「ここまで来ると、一周回って仲良しのような気がしますわ」
「え、あれ仲がいいんですかね?」
「ええい、いい加減にしろ貴様ら!!」

火縄の手で無理矢理引き離された森羅とアーサーは、それぞれぷいっと反対方向を向く。その癖夜は相部屋の二段ベッドでお喋りしながら眠るという話なのだから、これはもう親友と言っていいくらいではないか。喧嘩するほど仲が良い、という奴だ。

「殿下、そろそろ作戦の話を…」
「ああ、失礼いたしました。どうぞ、こちらを。ちょうど消防長官の認可が降りたところですのよ」

エイレーネが差し出した書類に目を通し、桜備が「成程、さすがは姫様だ」と叫んだ。

「よし、シンラ!!アーサー!!お前ら第8から出て行け!!」
「エエッ!?そんな…大隊長…第8を出て行けって…俺たちクビですか!?せっかく消防官になれたのに…ヒーローへの道が…」
「騎士王への道が閉ざされていく…」
「お二人とも、どうか落ち着いてくださいな。桜備大隊長、お言葉が足りな過ぎますわ」
「む…申し訳ない…」

どんよりと落ち込む少年二人の頭をよしよしと撫でてやる。茉希とアイリスからも援護射撃(?)が飛んだ。

「クビは酷すぎなのでは?バカとは言え…」
「どうかご慈悲を…あんな二人ですけど…」
「まあ、酷い言い様ですこと」
「待て待て早まるな、ちゃんと説明するから」

桜備の手から書類を奪った火華がほう、とひとつ頷いた。

「新人研修配属制度を使って第1への潜入捜査か…。成程その手がありましたか。さすがは殿下」
「お褒めに預かり恐縮ですわ」
「新人…配属制度?」

キョトンと首を傾げる森羅とアーサーに、エイレーネは懇切丁寧に説明する。

「新人研修配属制度は、消防隊の規約にある研修制度ですの。文字通り入隊一年目の新人隊員は、見聞を深めるため他部隊に短期入隊できるのですわ」
「へぇ…そんな制度があるんですか。俺、知りませんでした。訓練校の座学でもやらなかったし」
「まあ、存在すら知らない隊員がほとんどだろうな。何せ、入隊一年目の新人はたいてい厳しい訓練や鎮魂活動に付いていくのに精一杯、他の隊に目を向ける余裕などない」
「だが、化石のような代物とは言え正式な制度だ。これを使えば大手を振るって第1に潜入できる」

第1の消防官、それも小隊長から中隊長クラスの隊員に、“蟲”を用いて人工的に“焔ビト”を作り出している者が存在する可能性が高い。

「そいつの手がかりをつかんでほしい!人体はっか解明のための重要な任務だ!頼んだぞ二人とも!」
「了解です!もし本当に人が発火を起こしているとしたら許せねぇ!!」
「第8からだけでは不自然に思われるかもしれない。第5からも隊員を出そう」
「他の隊にも協力していただけないか、声を掛けてみますわ。もちろん、作戦の真意は伏せて」

研修期間や事前準備に何が必要か、など細かいところを詰めていると、「それにしても」と火縄が感心したように呟く。

「よく第1が大人しく研修を受け入れてくれましたね。これだけ“焔ビト”が多発しているんだ、いくら人手があっても忙しいだろうに」
「バーンズ大隊長は快く受け入れてくださいましたわ。あの方とは長い付き合いになるので、良くしていただいておりますの」
「皇家と聖陽教の結び付きは深い…というより、聖陽教そのものですからね」

代々の皇王が聖陽教のトップでもあるのだ。当然(真面目な)皇族は宗教行事の大半に列席するし、必然的に特殊消防隊の中でも聖職者が多くを占める第1との交流は深い。たいていの神父や高位のシスターとは顔見知りになる。

「あの方は優れた消防官であると同時に、敬虔な神父様でもいらっしゃいますので。初めてお会いしたのもミサの場でしたわ。確か、わたくしが5歳になったばかりの頃かしら」
「そんな長い付き合いなんですか。じゃあ、十六夜さんとも同じくらいから…?」
「歳が近いので遊び相手にと、バーンズ大隊長より紹介を受けましたの。幼馴染み、と呼べるほど親しく遊んでいたわけではありませんが。一年ほど前、勢いで消防官を辞めて途方に暮れていた彼女を護衛に迎えたのですわ。腕が立つことは昔からよく知っていましたので」
「あの、聞いて言いことかわからないですけど…十六夜さん、どうして消防官を辞められたんですか?宮本を鎮魂しようとした時、能力を一切使わずに消防斧と銃のみでアイツを追い詰めていました。あれだけの実力があるのに…」

森羅の遠慮がちな質問に、火華は軽く眉をひそめた。

「確か…1年前新宿で“焔ビト”大量発生による大火災が起き、あれも大怪我を負ったと聞いたが」
「ええ。大怪我と言っても肉体的な損傷はそれほどでもなかったのですが。短時間に能力を使用しすぎたため灰病発症の危険に陥り、お医者様から能力禁止を言い渡されたのですわ。次に能力を使用すれば命に関わる、と」
「そ、そんな…」
「…また、その現場では第1の隊員の方々が幾人も命を落とされています。私とて詳しく聞いたわけではありませんけれど…その中には、彼女が親しくしていた方もいたのやもしれませんわ」

しん、とその場が静まった。単なる好奇心で踏み入ったことを恥じるように森羅が目を伏せる。
普段は呑気な十六夜だが、彼女もまた炎の恐怖と戦い、人を鎮魂する苦しみを乗り越えてきた消防官であったのだ。エイレーネの知らないところで涙を呑んだこともあったのだろう。

「…特殊消防隊でも定期的なメンタルチェックやカウンセリングを設けてはいるが…。消防官の現実は過酷だ。“焔ビト”となってしまった人の死。火災に巻き込まれてなくなってしまった人の死。あるいは、仲間の死。多くの喪失と向き合っていかなくてはならない。時に悲しみに沈む遺族から、厳しい言葉をぶつけられることもある。…身も心も傷つき、疲れ果て、現場を自ら離れる者は少なくない」

桜備大隊長の言葉は深刻だが、紛れもない事実だった。
鎮魂という言葉を借りてはいるものの、結局のところ消防官が“焔ビト”に行っているのは殺人だ。放置するわけにもいかず、元の姿に戻す方法もない以上仕方ないことではあるのだが、割りきれる者ばかりであるはずもない。
だからこそ、エイレーネは特殊消防官たちを尊敬する。皇国の平和は日々炎と戦う彼らの献身と犠牲の上に成り立っているのだ。

「…十六夜は今、シスター修行と称して第1に一時的に出戻されているんだったな?いくら調査のためとは言え、そういう事情ならあれには酷なんじゃないか?」
「まあ、ありがとうございます火華大隊長。あの子を気遣ってくださって」
「べ、別にそんなんじゃないぞ!ちょっと気になっただけだ」

大丈夫ですわ、とエイレーネは微笑む。

「わたくしとて無理強いをしているわけではありませんわ。彼女が本気で嫌がっている訳ではないからこそ、十六夜を第1に送ったのです」

十六夜はいまだ迷っている。消防官として生きるか、その道を捨てるか、どうか。二度と戻らない覚悟で消防隊を離れたのならば、あんなにも、悲鳴を聞いてまっすぐに“焔ビト”の元まで走るはずがない。
選ぶのは彼女だがーーこれでも長い付き合いだ。エイレーネには彼女が最後にはどちらを選択するかわかっていたし、皇国の未来のためにはその方が良いとも思っていた。

「(…新しい護衛を手配せねばなりませんわね)」

気の早いことを考えるも、何事も準備なのは確かだ。エイレーネはシスター服姿の十六夜が涙ぐみつつも祈りを捧げる姿を想像し、くすり、と小さく微笑んだのだった。



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