青薔薇は焔に散る

□第三章
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第8特殊消防隊教会を後にしたエイレーネは、休む間もなく次の目的地へと移動を始めた。貧乏暇なしとは言うが、多くの使用人にかしずかれる立場の皇族であっても公務スケジュールはギチギチである。

「えーっと確か、次は病院への慰問でしたよね」
「ええ、退役軍人病院へ参ります。その後は第三皇子妃殿下主催の昼食会、午後は市民ホールでの交通事故遺児支援機構のチャリティコンサートの鑑賞、建国祭のドレスの仮縫いに…」
「ふぇええ…相変わらずの殺人的スケジュール」

大袈裟な十六夜の驚きように、エイレーネは小さく苦笑する。

「肉体労働というわけではありませんもの、それほどでもありませんわ」
「でも人前じゃずーっとにこにこしてなきゃならないし、立ち居振る舞いも色々気を付けなきゃいけないでしょ?」
「皇族とはそんなものですわ」

実際、エイレーネの公務はまだまだ政治に直接関わらないものがほとんどだ。才媛だなんだと言われようが、所詮エイレーネは16の小娘。しかも生母が妾であるため、皇孫と言っても皇位継承権は低いのだから仕方ない。
いずれは政治の舞台に立てるよう、有力皇族としての確固たる地位を築きたいとは思っているが、焦りは禁物。今はまだまだ与えられた公務を地道にこなして、経験を積み、人々の信頼を獲得する時だ。勿論、現在の公務とて真摯に向き合っている。
傷ついた人々、弱い立場の人々の心を慰撫すること。為政者の目の届きにくい人々の話を聞くこと。あるいは、為政者の言葉を代弁すること。どれもエイレーネに課せられた。重要な役割だ。

「(今日も頑張りましょう)」

気負うわけでもなく自分に言い聞かせていると、「あれっ」と十六夜が声を上げる。

「裁判所の前、人が一杯居ますねぇ。なんでだろ」

たまたま通りがかった地方裁判所の前に、興奮した様子の人々が集っていた。中にはプラカードを掲げた人もいて、必死に押し止めようとする警備員にも構わず何かを叫んでいるようだった。

「まあ、十六夜ったら。忘れたんですの?今日はあの連続殺人犯、節男 宮本の判決が出るのではありませんか」
「ああ〜、あの消防官の恥さらし!今日が判決だったんですねぇ」
「連日ニュースで報道していたでしょうに」
「えへへ。私、テレビはバラエティとアニメとドラマしか見ないんですぅ」

自慢することではない。
炎から人々を守る“ヒーロー”、消防官でありながら、罪なき四人もの人間を殺害した快楽殺人犯。この事件を機に、消防庁や消防官に対しての世間の不満・不信が大きくなった。消防官らにとっては頭が痛いことに、出勤中に罵声を浴びせられたり、無言電話をされたりと嫌がらせを受けるケースも発生している。

「精神鑑定で無罪になるのではないか、という予想されているとか」
「ええっ、冗談じゃないですよぅ。無罪なんかになったらますます真面目な消防官まで白い目を向けられるじゃないですかぁ。大体人を四人も殺すようなやつ、まともな精神状態なわけないじゃありません?」

まったくもって同感である。エイレーネは心底からの同意を込めて頷いた。

「例え一審で無罪になろうとも、検察側も即日控訴するでしょうが…。裁判が長引くほど、遺族の方々の精神的負担は増すばかりでしょう。現行犯逮捕された、冤罪の可能性のない事件なのですもの。正義が成されることを祈りますわ」
「ですねぇ…」

暗澹たる気持ちを抱えながら、エイレーネは公務に勤しんだ。
退役軍人病院では患者一人一人の手を取り話をし、職員たちから現在取り組んでいる様々なプログラムや病院運営における問題点、行政への要望を聞いて、院内の設備を視察する。休む間もなく皇王庁に引き返し、鉄壁の笑顔でもって皇族たちの嫌みを受け流しつつの昼食会。贅を凝らしたフレンチをじっくり味わわぬままに市民ホールに向かい、近隣高校の吹奏楽部の奏でる軽快なポップスに聞き入った。

「ーー素晴らしい演奏でしたこと。今回のチャリティは大成功ですわね」
「そーですねぇ。知ってる曲ばっかでテンション上がりましたぁ。あの、何でしたっけ。動きながら演奏するやつ面白かったです」
「マーチングバンド、かしら」
「そうそうそれですぅ」

主催者や吹奏楽部の代表者との挨拶を終えたエイレーネと十六夜は、旋律の余韻を噛み締めながらホールの外に出た。柔らかな日差しと、頬を撫でる風が心地いい。絶好のお茶会日和だが、生憎エイレーネたちには呑気に3時のおやつを食べる暇も存在しなかった。

「今回のコンサートを機に、交通事故遺児支援について、人々の関心が高まることを願いますわ。やはり世間の人は遺児と聞くと、真っ先に“焔ビト”の被害者を連想するでしょう。ですが悲しいことに、この皇国に生きる民を脅かすモノは“人体発火現象”だけではなく…」
「あーっ、あーっ!姫様、難しいお話は後にしましょうよぅ。ほらほら、急がないと約束の時間に間に合いませんよ?」
「ああ、そうでしたわね」

この後は馴染みのオートクチュールで、新しいドレスの仮縫いの予定が入っている。正直エイレーネはあまり自分が着飾ることに関心がないのだが、立場上それなりの身なりは整えなければならない。皇族の権威を損ねるような格好をするわけにはいかないのだ。

「(まあ、この見目が役に立つことも多いわけだし。…そういう意味でも、おばあ様には感謝しているわ)」

両親は共に美しい人だったが、エイレーネの曙光で染め上げたような黄金の髪と冬空色の瞳は、皇国一の美姫と謳われた今は亡き祖母に生き写しだと言われている。
腹を痛めて産んだ我が子の存在すら忘れていた節のある母親と、為政者としては極めつけに有能だがお世辞にも家庭人と言えない父親に代わり、心からの愛情でもって自分を育て、皇族として大切なことを何もかも教えてくれた祖母。生涯を奉仕活動と鎮魂に尽くし、現代の聖母と称えられた彼女の似ていると言われることは、エイレーネの誇りだ。
もっとも自分は彼女ほど清らかな人間ではないけれど。

「にしても、仮縫いならお屋敷にお店の人呼べばいいんじゃないですかぁ?他の皇族の方々って、そうしてるでしょ?…あ、いやそっか。赤坂のお店で晩餐会があるから…」
「ええ。移動の手間を考えるとこの方が時間の節約になるんですの」
「ああ、のんびりご飯も食べれないなんてしんどいですぅ」
「ごめんなさいね。屋敷に戻ったらすぐに食べられるよう、あなたの食事の用意をしておきますわ」

話しながら車に乗り込もうとした時。駐車場の向こうの通りから、複数の悲鳴と「“焔ビト”が出たぁあ!!」という叫びが聞こえてきた。
先程までの穏やかな空気が霧散する。十六夜の灰褐色の瞳に、別人のように冷たい光がすうっと宿った。

「姫様」
「ええ、許可します。すみません、わたくしの今日の予定をすべてキャンセルするよう、じいやに伝えてくださいな」

気心の知れた運転手にそう依頼する。彼が頷くのを待たずして、十六夜はすでに駆け出していた。愛用のナイフと拳銃を抜いている。



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