青薔薇は焔に散る

□第一章
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ごくごく一部の例外を除き、特殊消防隊は東京皇国の国教である聖陽教と深く結び付いている。“焔ビト”の鎮魂には必ずシスターが同行して祈りを捧げ、本部の建物は教会を利用しているか、併設しているものが多い。が、つい最近新設されたばかりの第8特殊消防隊の本部はーー。

「いや〜、絵に描いたみたいなオンボロですねぇ」
「趣があると言ってくださいな。これでも水回りその他をだいぶリフォームしたのですよ」

聖陽教の十字を掲げた建物は、かなりの年代物だった。玄関先は小綺麗に手入れされているものの、外壁はあちこち塗装が剥げている。看板すらなく壁面に直接赤ペンキで“Fire Force station”と乱暴に書かれ、太陽神を描いたステンドグラスも色がくすんでしまっていた。
巨大なオベリスクを掲げた第1特殊消防隊の荘厳な大聖堂と比べたら、あまりのささやかさに涙を禁じ得ない。

「やはり、直接足を運ばねばわからないこともあるものですわね。わたくしのポケットマネーをはたいてでも、もう少し特殊消防隊としての体裁を取り繕わなくては。これでは他の特殊消防隊どころか、一般消防隊にさえ舐められます」
「はぁ、姫様のお甘いこと。そんな先行投資するくらい凄い連中なんです?第8って」
「もちろん、消防長官とわたくしが見込んだ方々ですもの。それに公的機関である特殊消防隊が軽んじられることは、皇国が、そして皇家が軽んじられることと同義。見過ごすことはできませんわ」

第八に期待していることは事実だ。そもそも投資した分はきっちり働いてもらわなくては困る。
あらかじめ来訪を告げていたので、あちらも準備していたのだろう。エイレーネたちが玄関に近付くと、きびきびとした動きで女性消防官が現れた。黒髪をきっちりと結わえた、いかにも“できる女性士官”といった雰囲気の持ち主である。

「これは、殿下!ようこそいらっしゃいました」
「お疲れさまです、茉希隊員。突然押し掛けてしまって申し訳ありません」
「とんでもない。今日は出動要請もかからなくて、朝からトレーニングに励んでいたんです。ちょうど良かったですよ。大隊長も殿下にお会いできるのを楽しみにしていたんですよ」

一等消防官の茉希尾瀬隊員は、皇国軍大将のひとり娘。エイレーネとは彼女が皇国軍に入隊していた以前より面識がある。
美貌と家柄に恵まれた七光りのお嬢様、ではない。彼女は優秀な第二世代能力者だ。この世代の特徴として炎を自ら生み出すことはできないが、極めて広範囲の炎を操ることができるのである。同じくかつては軍属だった第八の中隊長が、後輩であった茉希を引き抜いていったと聞いた時は、見る目があるものだと感心したものだ。

「十六夜さんもお久しぶりです」
「どもです〜」

久々に足を踏み入れた第8本部は、物が多いものの玄関先と同じく綺麗に整理整頓・掃除されている。廊下のチェストに置かれた花瓶の水を替えていたシスターが、エイレーネの姿にぱっと花咲くような笑顔を浮かべた。

「姫様!」
「ごきげんよう、シスター・アイリス」

第8専属のシスター・アイリスは、エイレーネと同じ年の年若い少女だ。金髪碧眼に小柄な体格と、外見上もよく似た特徴が多い。もっともエイレーネの髪はアイリスよりも濃い、磨いた金貨のように輝く黄金色で、顔立ちも彼女より彫りが深いので、姉妹のよう、とまではいかないが。
人懐っこい笑顔であれこれと話すアイリス。腕に白百合の花を抱えたその姿は、まさしく天使のごとき愛らしさだ。

「聞いてください、姫様。第8にもようやく新隊員が増えたんですよ。それも、二人も」
「存じていますわ。なにせ、その二人を推薦したのはーー」

言い掛けたところで、頭上でどんがらがっしゃーん!と盛大な物音が響いた。「てめー、よくもやりがったな!」「お前こそ!」などと言い争う声も聞こえてくる。

「まったく、あのバカどもは…!」

いきり立って駆け出す茉希の後を、エイレーネたちも追う。長い階段を上った先、屋上の扉を開けば、心地よい風がドレスの裾をはためかせた。

「こらー!あんたたち何やってんですか!」
「ゲゲッ、マキさん!」

第八の隊員がトレーニングに利用する屋上。その床の上に転がり、取っ組み合いの喧嘩をしていた男性隊員二人が真っ青になって飛び起きる。
二人とも歳の頃は16、7。まだまだ青年よりも少年と言うべき年頃だ。一人は短い黒髪に深紅の瞳、もう一人は金髪に青い瞳。同じくらいの背丈であることもあって、まるで対に作られた人形のような、対照的な色彩をしている。

「まったくもう、ちょっと目を離したらこれなんだから。二人とも、言いつけておいたトレーニングは終わってるんですか?腕立て腹筋スクワット百回。まさかサボって遊んでたわけじゃあないでしょうね」
「ち、違うんです!俺は真面目にやってたけど、アーサーがいきなり喧嘩売ってきて…!」
「なんだと!?俺に罪を擦り付けるとは、さすが悪魔!この卑怯ものが!」
「はぁ!?悪魔って言うんじゃねぇ、この馬鹿騎士が!」
「俺はただの騎士ではない、騎士王だ!」

ぎゃーぎゃーと互いの髪を引っ張り合う二等消防官たち。「どこの幼稚園…?」と呟く十六夜に、エイレーネも内心同意した。まあ、男の子は元気が一番だ。

「いい加減にしてください、森羅、アーサー!殿下の御前ですよ」
「え、殿下って…」
「わわっ、姫様!本物!?」
「ふふ。わたくしの偽物がいるとは寡聞にして存じませんわね」
「失礼しましたー!!」

慌てて敬礼する少年たちに、茉希が目をぱちくりさせる。

「殿下、うちの新人たちとお知り合いだったんですか」
「俺たちが訓練学校に在籍中、何度か視察にいらしたんです。その時お話しさせていただいて、それで」
「お会いするのはそれ以来かしら。お元気そうで何よりですわ、森羅さん、アーサーさん。いえ、森羅隊員とアーサー隊員、とお呼びするべきですわね」
「へへ…なんか照れますね。俺たち、本当に消防官になったんだ…」

つい先日まで学生だった少年、森羅日下部はくしゃりと破顔した。まだまだあどけなさが残る童顔に浮かぶてらいのない笑顔に、エイレーネも笑みを返す。

「久しぶりだな、麗しの薔薇姫。まさかこのような賤屋で再会が叶うとは」
「どこが賤屋じゃい!」
「アーサー隊員は相変わらずですこと」
「結局卒業しても妄想癖…いえ夢見がちなとこは全然変わってないですねぇ」

絹手袋に包まれたエイレーネの手を取り、恭しく口付ける金髪の美少年、アーサー・ボイル。絵面だけは世の女子の憧れそのものだろう。アーサーがちょっぴり思い込みの激しいトラブルメーカーでなかったら素直にときめけたかも知れない。

「でも、姫様がどうしてここに?」
「あら、ご存じありませんでしたの?わたくしは第8の後見を務めておりまして…」

言い掛けたちょうどその時、屋上の扉が開いた。

「おお、なんだか賑やかだな」
「まったく。殿下がいらしているというのにお前たちは」
「あっ、大隊長、中隊長!」

無能力者ながら第8特殊消防隊の大隊長の地位にある秋樽桜備と、元軍人の中隊長、武久火縄の登場だ。



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