青薔薇は焔に散る

□番外編
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【破壊王の霍乱】

(連載番外/婚約後)



紅丸が風邪で倒れた。
たまたま席を外した自分の代わりに電話を取ったハロルドから、その知らせを聞いた時。エイレーネは果たして今日はエイプリルフールだっただろうかと、執務室の卓上カレンダーを確認してしまった。勿論、エイプリルフールは何ヵ月も前に終わっている。

「まあ。鬼の霍乱とはよく言ったものだこと」
「あの新門大隊長も人間だったのですな」
「普段の戦いぶりを見ていると忘れがちですものね」

酷い言いぐさだが、本心よりの言葉である。どんな猛毒も発熱作用によって無効化するあの男が、よもや風邪に倒れるとは。幸い重症ではないそうだが、疲れがたまっていたのだろうか。浅草の町は他の特殊消防隊が受け持つエリアと比べれば圧倒的に狭いが、“焔ビト”の対処は紅丸がほぼひとりで請け負っている。肉体的・精神的疲労は大きいだろう。困ったお方だ、とエイレーネは淡く微笑する。

「あの方はすぐ無茶をなさるのですもの。これはむしろ、ゆっくり休まれるいい機会なのではないかしら。ハロルド、お見舞いの花…いえ、フルーツの手配を。カードを書きますので、一緒に詰所に届けてくださいな。医者には診てもらったと思いますけど、一応確認をしなくては…」
「姫様はお見舞いに行かれないのですか?ヒカゲ様とヒナタ様も喜ばれると思うのですが」

第7の双子姉妹とすっかり仲良くなったディーが小さく首を傾げる。最初は人形のようだったこの少年も、最近随分と人間らしい感情を表に出すようになったものだ。じーんと感動するエイレーネである。

「わたくしが出向いてはあちらの方々になにかと気を遣わせてしまうでしょうし、新門大隊長の気も休まらないでしょう。それにわたくしの立場上、風邪が移ってしまっては洒落になりませんので」

公務は今日も山積みだ。末端とは言え曲がりなりにも皇族の一員である以上、エイレーネの仕事は他人に押し付けることができないものも多い。ただでさえ火傷の治療で穴を開けているのに、これ以上公務を滞らせるわけにはいかなかった。

「殿下の責任感のお強いところは大変ご立派ですが、時にはご自身の思うままに行動してもよろしいのではないでしょうか。新門大隊長とて、殿下のお見舞いを待ち遠しく思っていらっしゃると存じますよ」
「そうでしょうか」
「そうですとも。麗しい想い人のお見舞いを歓迎しない殿方がいるでしょうか」

あくまで利害の一致で結ばれた婚約関係である。紅丸がそこまで自分の訪れを望んでいるとは思えないが、婚約者を雑に扱うのも体面が悪い。皇王の許可を得たものの、皇族が原国主義者と婚約を交わしたことを不満に思う人間は少なくないのだ。例えあからさまでも「ちゃんとラブラブですよ〜、お飾りの婚約じゃありませんよ〜」のアピールは政治的にも必要だろう。
ーー長々と理由を述べ立てては見たが。実際のところ、人づてに聞くだけではなく、紅丸の容態をこの目で確かめたい、と思う気持ちもたしかにあったのだ。


◇◇◇


襖を開けたエイレーネの目に飛び込んできたのは、普段は想像できないほど弱った婚約者の姿だった。

「お久しぶりです、新門大隊長。お加減はいかがかしら?」
「ゴホッ、テメェか…」

おとなしく布団を被った紅丸の頬はリンゴのように真っ赤だ。意外とがっしりとした首筋には幾筋もの汗が伝い、はふはふと苦しげに息をしている。
普段炎を操る能力者とは言え、病気の際身体から生まれる熱はまた勝手が違うのだろう。エイレーネはすっかり温くなっていた彼の頭の手拭いを手に取り、近くの桶の水に浸した。

「相模屋中隊長から伺いましたわよ。溺れた子供を助けるために川に飛び込んで、びしょ濡れのまま動き回っていたとか。己を過信しすぎですわ」
「…ケッ、“焔ビト”が出たんだからしょうがねェだろ…」
「無茶ばかりなさって、いけない方だこと」

マスク越しに微笑んだエイレーネは丁寧に手拭いを絞り、そっと紅丸の額に置いた。彼の表情がほんの少し緩む。こうやって紅丸を見下ろすのはそうそうないことだったので、なんだか新鮮だった。

「皇国のおひいさまが…いいのかよ。風邪が移ったらどうすんだ」
「ええ、ですからこれで失礼しますわ。…薄情で申し訳ありませんが」

エイレーネが皇家の娘ではなく、平凡なひとりの少女であったなら。紅丸の枕元に付きっきりで治療できただろう。彼のために濡れ手拭いを替え、汗を拭き、着替えさせ、お粥を手ずから食べさせることだってできたはずだ。
だが、エイレーネには自分にしか果たせない務めがある。優先順位を間違えるわけにはいかない。

「…バカが。思いやしねェよ」

宙に伸ばされた紅丸の手を、一瞬躊躇ってからそっと握る。手袋越しにも確かな熱さと力強さを感じた。

「これぐらい、屁でもねェ…。テメェはさっさと帰りやがれ。こんなとこおで油売ってる暇なんぞねェだろうが」

形式上だとしても、婚約者に向かって随分と乱暴な言い方だ。けれどこれがぶっきからぼうな紅丸の優しさだと、エイレーネはすでにわかっている。
浅草と皇家。まったく違う世界の人間だったのに。いつのまにか、わかるほどの時間を共に過ごしてしまった。なんだか不思議な心地になりつつ、そっと紅丸の手を布団の中にしまう。

「ええ、そうさせていただきます。新門大隊長もどうか安静になさってくださいましね。食欲がありましたら、お見舞いのフルーツを召し上がってくださいな」
「大飯食らいが山ほどいんだぞ、俺が触る前に全部食われちまうんじゃねェか?」
「ふふ、ちゃんとあなた様の分を残すよう、申し伝えておきますわ。そうそう、苦い薬が嫌でも隠してはいけませんわよ」
「…俺を幾つだと思ってんだ。ヒカヒナじゃねェんだぞ」

いかにも不服そうに紅丸が顔を歪める。婚約者の子供っぽい表情に、エイレーネは声を上げて笑った。

ーーなるほど、ハロルドの言うことは正しい。時には想いのままに行動することも悪くないものだ。




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