青薔薇は焔に散る

□第七章
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「まあ、グレオおじ様。それは本当ですの?」

湯気の立つ紅茶のカップを片手に、エイレーネ・フレイアは片方だけの空色の瞳をうっすらと細め微笑んだ。
応接室のテーブルを挟んだ向かい側に腰かけるのは、灰島重工のグレオ・灰島社長。彼もまた完璧なまでに計算された儀礼用の微笑を浮かべているが、眼鏡越しの瞳はまったく笑っていない。

「おじ様を疑いたくはありませんが…第3特殊消防隊はは灰島さんの後見によって成り立つ隊。その大隊長の本性におじ様がたがまったく気付いていらっしゃらなかったなどと…」

烈火の件ーーよりにもよって聖陽教の影響力がもっとも強い、第1の中隊長。人望篤い実力者だった烈火星宮消防官が、皇国を脅かすテロリストの一員であったと言う事実は、皇王庁にも大きな衝撃を与えた。彼の手による一連の犯行の犠牲者、その大多数が子供であったことも、皇王及び枢機卿ら、上位の聖職者たちを嘆かせた。

「(森羅隊員たちは憤っていたけれど、事実を隠蔽したのは正しい選択だったわね。こんな話が表沙汰になった日には、誰も日曜礼拝になんて来なくなるわ)」

だがしかし、伝導者の息がかかった消防官が烈火星宮ただ一人である保証はない。事態を重く見たアレッサンドロ第二皇子は、烈火の内通が判明して以来、密かに特殊消防隊の内部調査を進めていた。本来その役割を担う第8には知らせず、あくまで第二皇子の手勢を用いての“非公式な”調査である。
表沙汰にできないあんな手段(盗聴)なこんな手段(買収)を駆使すること半月。とある隊に所属する多数の消防官、それも隊を率いる大隊長が率先して特殊消防隊の情報を外部に流出させていることが判明した。その名はDr.ジョヴァンニ。灰島を後ろ楯に持つ第3の大隊長であり、名の知れた研究者である。

「(正直、彼だと思ってはいたわ)」

白装束たちの動きから察するに、大隊長クラスの人間が情報を流している可能性は高かった。8つある特殊消防隊のうち、太陽神を敵視する浅草の第7と内偵のために結成された第8を除くとして、残る大隊長は6人。
第1は烈火が内通していたが、大隊長であるレオナルド・バーンズは聖陽教の“表”と“裏”の繋ぎ役だ。彼が聖陽教を裏切ることはあり得ない。信仰心篤いことは勿論、万一のこととならば愛娘がどうなるか。暗部と昔から関わりのあるバーンズにはよくわかっているはずだ。
第2のグスタフ本田大隊長は愛国心に溢れた軍人ーーいや消防官である。皇王への忠誠心も高い。不穏分子に迎合するとは思えない。
第4の蒼一郎アーグ大隊長は近頃危うい言動が見えるも、本来は一般消防隊から叩き上げで特殊消防隊の大隊長までのしあがった、生粋の消防官である。そう易々と仲間を売ることはないだろう。
第5のプリンセス火華大隊長は第8の協力者。またその過去からして人体発火現象を強く憎んでいる。人為的に“焔ビト”を作り出す組織に与することはあり得ない。
第6の火代子黄大隊長はフレイアの従姉妹伯母だ。身内の贔屓目を除いても、医師である彼女が生命を冒涜するテロ行為に荷担することはあり得ないし、そもそも第6病院と現場を日々飛び回る彼女には、特殊消防隊を裏切る暇もないだろう。
そんなわけで。6人の大隊長を並べた中で一番胡散臭いのが、“優秀な研究者”であること以外人となりが不明なDr.ジョヴァンニだったのだ。勿論アレッサンドロは娘の身内だからと手を緩めるような甘い人間ではないので、すべての大隊長を調査はしたのだが。真っ先に取りかかったのが第3であり、そしてドンピシャリ大隊長の裏切りが発覚したわけだ。

「(やっぱり日頃の行いって大事よね)」

あの怪しすぎるペストマスクや、研究ばかり優先で特殊消防隊を蔑ろにするような発言をしていれば、見る目が辛くなるのも当然だ。もっと周囲の不審を煽らないような言動をするべきではなかったかと、つい考えてしまうフレイアである。

「ーーええ、ええ。殿下がそう思われるのもごもっともです」

グレオ社長はこっくりと頷く。心持ち下がった眉にほころんだ唇、先程からほとんど変化のない微笑はマネキンよりも人間味がない。

「ですが、どうか信じていただきたい。世間では第3は灰島の傘下であるなどと言われておりますが、事実はまったく異なります。我々はあくまでDr.ジョヴァンニの研究を援助しているスポンサーの一員なのです」
「彼の内通には関与していない、と?」
「勿論です。第一伝導者とやらに通じたところで、我々にいったいなんの得があるとおっしゃるのです?再び世界が炎に包まれてしまった日には、我々はグループごと廃業ですよ。冗談ではありません」

この率直な意見には、それもそうだと頷くしかない。
灰島グループは皇国の経済を支配する大企業。どこまでも貪欲に企業利益を追求し、時に弱者を平然と踏みにじるあくどい連中だが、だからこそこの場合は信用できる。グレオ社長ほどの骨の髄まで極めきった守銭奴が、金よりも太陽神の信仰を取るなどあり得ない。
裏付け調査が必要なのは確かだが、フレイアもグレオ社長とは生まれた時からの付き合いだ。灰島は内通とは無関係だろうなと思っている。だがそれはそれとして形式上のやり取りも必要なのだ。

「そうですか…。ああ、わたくし心から安堵いたしましたわ。そうですわよね、灰島さんは常日頃より、皇国の平和と繁栄に貢献してくださっているのですもの。それなのにわたくしったら、疑うようなことを言って…すみませんでした」
「いえいえ。私どもこそ見る目がないばかりに殿下のお心を悩ませてしまい、まこと申し訳なく思っております」

十六夜がこの場にいれば、あまりの白々しさに遠い目をしたことだろう。だが今ここで重要なのは本音で話すことではなく、Dr.ジョヴァンニ確保の件について灰島の協力を得ることである。

「では、彼はしばらく泳がせる方向で…?」
「ええ。上手くいけば伝導者の手がかりだけでなく、わたくしたちが気付いていない他の内通者の情報を得られるかもしれませんもの」
「ごもっともですな。勿論、我々としても協力は惜しみません。皇国の平和と安寧を脅かす者は、我らの敵でもあります。どうかなんなりとお申し付けくださいませ」
「ありがとうございます、おじ様。心強いですわ」

灰島重工は皇国の敵ではない、と強調したいのだろう。まあ、身内から不心得者を出したのは“管理”が甘かったと謗られても仕方ない。せっかくの弱味だ、せいぜい搾り取らせてもらうことにしよう。向こうだって承知のはずである。

「つきましては、私どもから殿下と第8の皆様にひとつご提案があるのですが」

そこで捩じ込まれた提案の厚顔さにはさすがに呆れたが、こちらにも益はある話だ。“監視役”をつけることで一応合意した。

「…ところで殿下。聞きましたぞ」

やけに勿体ぶった様子でグレオ社長が口を開く。フレイアは内心待ってました、と身を乗り出した。先程までの予定調和な茶番より、正直言ってこちらの方がずっと大事である。

「第7の大隊長に求婚されたとか。いやはや、正直聞いた時には耳を疑いましたよ」
「まあ、もうおじ様もご存じですの?」

フレイアは頬に手を手を当て気恥ずかしげに目を伏せる。

「淑女に相応しからぬ振る舞いだとはわかっておりましたけど、どうしてもこの気持ちを押さえられなかったのです」
「殿下にそこまで惚れ込まれるとは、新門大隊長はまこと幸せなお方ですな。しかし相手が原国主義者となると、殿下のお立場としては色々と難しい部分がおありでは…?」
「どうかご心配なく。猊下のお許しはいただいていますわ」
「なんと、そこまで話が進んでおられたとは…!」

大袈裟に驚いて見せるグレオ社長は、フレイアの望みなどお見通しだろう。きっとこの話を灰島で広げてくれるはずだ。
ーーそれでいい。フレイアは十六夜が怯えそうな薄い笑みを浮かべつつ、少し冷めた紅茶を口に運ぶのだった。



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