青薔薇は焔に散る
□第六章
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ーー数日後。
詰所の一角にて、エイレーネはみなの前に白装束の一味から取り上げたガラスの小瓶を置いた。瓶の中ではゴソゴソと“蟲”が蠢いている。それもひとつではなくて、用意された三つの小瓶すべてが、だ。
「どうやらわたくしの炎に反応しているようなのです」
エイレーネが指先に炎を灯して見せると、蟲たちの動きが勢いを増した。ガタガタと瓶が震え出す。
「レッカの時と同じだ…!あいつは確か、この蟲はアドラバーストに反応するって」
「ではやはり、殿下にアドラバーストが発現したと言うことですか…」
「父のもとに報告に出向いた際、簡易的な検査を受けましたが。まず、間違いないとのことですわ」
驚きに目を見開く一同。しかしそこで、紅丸が疑問の声を上げた。
「待てよ。俺ァ会議の時、アドラバーストは第三世代に稀に現れる力だと聞いたぜ」
「姫さんは第二世代能力者じゃなかったのか?」
「わたくしも今までそう思っていましたが、どうやら誤りであったようですわね」
思えばただ炎を吸収・譲渡する能力だというのに、その炎に細胞を活性化させる力があるというのも不思議な話だ。従姉妹伯母の『アスクレピオスの杖』と同じく、癒しの力を持つ炎は自覚のないままにエイレーネの中に眠っていたのかもしれない。
「ひょっとしたら火縄やマキも、第三世代の資質は持っているのかもしれないな。まだ目覚めていないだけで」
「そ、そうなんでしょうか?うーん、確かに自力で炎を出せたら便利でしょうけど」
そもそも人体発火現象の仕組みそのものも、人類はいまだ解明できていない。どうして人の身体から炎が出るのか、にも関わらず能力者の肉体そのものが燃えることがないのか。人それぞれで能力の強弱や種類が違うのは何故か。皇国軍や特殊消防隊に所属する能力者達は、いまだ自分達の能力の源泉が何であるかわからぬまま、その力を日々行使しているのである。
伝導者と白装束の集団は皇国の平和を脅かす許しがたいテロリストであるが、奴等を追うことで人体発火現象の謎に近づけるのではないか、という期待もあった。
「にしてももう一人の煉合能力者の出現か。それこそ灰島の連中が喜んで研究したがるだろうな」
「げ…」
「どうした悪魔、顔が悪いぞ」
「それを言うなら『顔色が悪い』だろうが!つーか悪魔って言うな!」
「う〜ん、アドラバーストの持ち主な上に煉合能力者…。ただでさえ色々ぶっとんでる姫様が、ますます規格外になっちゃいましたねぇ」
「はん。この女が滅茶苦茶なのは今に始まったことじゃねェだろ。肩書きの一つや二つ、増えたところで何も変わりゃしねェよ」
「まあ、新門大隊長ったら」
しばし話が脱線した後、ようやく本題に戻った。そもそもこの場に第8の面々が揃っているのは、第7に帰還の挨拶をするためである。第8の管轄にだってまたいつ“焔ビト”が発生するかわからない。事後処理と復旧作業の目処がたった今、いつまでも浅草に留まり続けるわけにもいかなかった。
「お前らには世話になったな」
「いえ…我々がここに来たことが、騒動の引き金になってしまったのかもしれません」
「だとしても伝導者の一味が潜伏していたことに変わりはねェ。今まで起きていた人体発火も、奴等の仕業だったのかもしれない。それを止めることができたんだ」
ガシガシと黒髪を掻き乱し、紅丸は嘆息する。
「エイレーネは前々から、浅草に白装束どもが潜伏してる可能性を忠告していた。意地を張ってまともに取り合ってこなかったのは俺たちの落ち度だ」
「それを仰るならば、わたくしとて強硬にでも捜査を要請するべきでしたわ。第7の方々だけに落ち度があるわけではありませんわ」
人的被害を出してしまったのは、紛れもなくエイレーネの判断ミスだ。伝導者の一味は烈火の件があるまでは、あくまで事故や通常の鎮魂活動の影に隠れる形で暗躍していた。まさかここまで派手なテロ活動を起こすとは思わなかったのだ。
「紺炉、アレ持ってこい。…皇国の消防隊を完全に認めた訳じゃねェが、第8は気に入った」
どん、と置かれたのは日本酒の瓶とお猪口が二つ。
「盃を交わして互いの有効の証とする…。原国の同胞の儀式だ。酒は嫌いか?」
「大好きです!」
「大隊長…」
苦笑する部下たちをよそに、桜備はお猪口を手に取る。紅丸と共にぐびりと呷った。
「これで第7と第8は友となれたわけですね」
「よろしくな」
「喜ばしく存じますわ」
これでまた、第8の協力者が増えたことになる。エイレーネは安堵の息を吐いた。この調子で特殊消防隊の連帯を強めていけるといいのだが。
「紅ちゃんが酒を飲んだって?」
「俺たちも仲間に入れてくれよ!!」
暖簾を潜り、浅草の町人たちが次々と顔を出す。まだまだ復旧作業も終わっていないだろうに、お酒の臭いを嗅ぎ付けてきたらしい。
「うるせェな」
「エ!?めっちゃ笑顔…」
普段の仏頂面とはうって変わりにまにまと笑う紅丸に、環がぎょっと目を見開く。眉を下げた締まりのない笑顔はまるで別人だ。普段との落差が大きすぎて、いっそ怖い。
「あはははは!!紅のその顔…いつ見ても飽きねェぜ」
「人の面見て笑うたァ、どういう了見だ!今大事な話をしてんだよ。入ってきてんじゃねェ!!」
「そんな笑顔で何言ってんだッ!浅草の破壊王が愉快王だぜ!!ぶはははははは!!」
「新門大隊長は、お酒が入ると笑顔が止まらなくなってしまわれますの」
笑みを噛み殺しつつ、エイレーネは丁寧に説明する。紺炉がやれやれとかぶりを振った。
「こればっかりは初めて飲んだ時から変わりゃしねェな」
「いや…それにしても…ぶあッはッはッはッは!!」
「何が面白いクソガキ」
大隊長としての威厳はアレだが、これはこれで親しみがあっていいかもしれない。
酒盛りだと盛り上がる町人たち。そこでエイレーネはふと気付いた。ーーこれはチャンスかもしれない。
「新門大隊長、ちょっとよろしいでしょうか」
「あん?」
どこからともなく運び込まれるビール瓶やつまみ。どんちゃん騒ぎの喧騒の中、エイレーネはビール瓶の栓を素手で開ける紅丸に声を掛けた。
これはエイレーネの願いというだけでなく、父の命令でもある。この先の情勢を考えればほかに選択はない。紅丸にとってははなはだ不本意だろうが、こちらも引くわけにはいかなかった。なんとしてでも受け入れてもらわなくては。
「あなた様に折り入ってお願いしたいことがあるのですけれど」
「なんだ。手短に言え」
「わたくしと結婚してくださいませんか?」
「…は?」
その場が水を打ったようにしん、と静まり返る。
第8の面々も、紺炉も、浅草の人々も。熱音響冷却でも食らったかのように凍りつき、ぴくりとも動かない。ハロルドは平静を保ってはいるものの、目元がほんの僅かにひきつっている。涼しい顔をしているのはディーだけだが、発言のトンデモなさに気付いていないだけかもしれない。
「…オイ。今、なんつった?」
笑顔を浮かべながらも小さく首を傾げ、紅丸が尋ねる。エイレーネはにっこりと大輪の薔薇のような笑顔を浮かべて見せた。
「ーー新門紅丸大隊長。アレッサンドロ第二皇子が三子、エイレーネ・フレイアは、あなた様に婚姻を申し込みます」
「は…はァァァァァッ!?」
森羅たちの裏返った叫びが詰所に響き渡る。天地が引っくり返ったかのような騒ぎの中、エイレーネは絶句する紅丸の手を取った。
鬼の手から自分を取り戻してくれた、温かな手だった。
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