青薔薇は焔に散る

□第五章
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イチゴ、ラズベリー、ブルーベリー。艶々と輝く三種のベリーの上にミントを散らしたフルーツタルトは、見た目も華やかで目に楽しい。
ハロルドがケーキナイフを器用に使い、タルトを四等分に切り分ける。それを間近でじっと見ていた少女達は、きゃあきゃあと小鳥の囀りのような歓声を上げた。

「おい、ジジイ!オレ、こっちのいちごがでっかいやつな!」
「んじゃオレはえっと、この…」
「ラズベリー、ですかな?」
「そう、それ!らずべりぃがいっぱい乗ってるの寄越せ!」
「ええ、ええ。ただいまお持ちいたします。ヒカゲ様とヒナタ様はどうかお座りになってお待ちください」

第七特殊消防隊詰め所に響く、あどけない双子姉妹の笑い声。微笑ましさに目を細めつつ、エイレーネ・フレイアは慣れた手つきで紅茶を淹れた。湯気と共に、涼やかな芳香がふわりと立ち上る。
二つのカップをのせたお盆を縁側に置けば、ぶすくれた顔で庭を眺めていた新門紅丸がちらりとこちらに目を向けた。

「どうぞ、新門大隊長」
「いらねェ。皇国の茶なんぞ誰が飲むか」
「ったく、若は強情だなァ。茶に罪はねェだろうによ」

呆れた顔でかぶりを振った相模屋紺炉中隊長が、苦笑しながらカップを取った。おっかなびっくり口を付け、目を丸くする。

「へェ。変わった味だが悪くねェな」
「ふふ、お口に合ったようで何よりですわ」

甘い物がそれほど好みではないと言う二人のため、エイレーネは洋酒とナッツ類、ドライフルーツを使った塩味のクッキーをお持たせに用意していた。
差し出したそれを紺炉はありがたそうにかじったが、紅丸はそっぽを向いたままだ。しかし稽古後の空腹は耐えがたかったらしく、いかにも渋々ながら手を伸ばす。一枚齧れば何だかんだ言って気に入ったようで、次々と手を伸ばすのがなんとも可愛らしい。

「…にしても、姫さんの話にゃ驚いたな。まさか人工的に“焔ビト”を作り出す、なんて真似ができようとは。しかも特殊消防隊の中に、だろ」
「ハン。これだから皇国も特殊消防隊も信用なんざできねェんだよ。ろくでなしの集まりじゃねェか」
「まあ、それは偏見というものですわよ。今まで浅草の火消しの皆様の中に、人品卑しき者はただの一人もいなかったと、そう断言できまして?」

にこやかなエイレーネの指摘に、紅丸は嫌そうに顔をしかめた。八つ当たりのように紅茶を呷り、「渋い」と文句を言う。

「皇王猊下も事態を重く見てらっしゃいます。近々大隊長会議が開かれるでしょう」
「大隊長…ってことは、ひょっとして」
「ええ。新門大隊長には、第7特殊消防隊の大隊長としてご足労を…」
「断る」

これ以上ないほどきっぱりとした拒絶。エイレーネは玩せない子供を嗜めるように、やれやれとかぶりを振る。

「いけない方ですこと。そのような我儘をおっしゃって」
「うるせェな。俺らは第7を名乗っちゃいるが、魂までも皇国に売り飛ばしたつもりはねェ。犬っコロじゃあるまいに、いちいち皇王の命なんぞに従ってられるかってんだ。白装束だのなんだのの話なんてのは、こうやってお前から聞くだけで充分だろ」

この場に敬虔な聖陽教徒がいれば、激怒して殴りかかりそうなほどに不遜な態度。だが、充分予想はできたことだ。彼が物分かりよく「しょうがねェな」などと頷いた日には、むしろ偽物の可能性を疑わなくてはならないだろう。

「なァ姫さん、中隊長の俺が代理で…ってわけにはいかねェか?」
「その権限はありますが、お勧めはしかねますわね。この緊急大隊長会議には、皇王猊下御自らが御臨席されます」

常の会合のように枢機卿だけならまだしも、老齢の皇王がわざわざ足を運ぶのだ。当然、特殊消防隊の各隊は礼を尽くし、隊の代表格である大隊長が会議に出るに違いない。

「にも関わらず、第7のみが中隊長の参加となると…」
「角が立つ、ってわけか。参ったな」
「だったら紺炉も出なきゃいいだけだろ」

紅丸はあくまで頑なだ。しかし、エイレーネとて引くわけにはいかない。宥めたりすかしたりしつつ、紅丸を説得にかかる。「そのように面倒事とくれば逃げ出すお姿を、ヒカゲさんとヒナタさんの眼前に晒してよろしいんですの?」「浅草の火消しの心意気を、大隊長らに見せつける良い機会でしてよ」などと言い募ることしばし。いい加減面倒になったらしき紅丸は渋々ながら頷いた。

「…ちっ。出りゃいいんだろ、出りゃ」
「ありがとうございます、新門大隊長。心より御礼申し上げます」

ふんわりと微笑むエイレーネに、紅丸は不機嫌オーラを撒き散らしつつクッキーをかじる。紺炉がやれやれと苦笑した。

「姫さんは若の扱いが上手いな」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
「好き勝手言いやがって。これでその会議とやらが単なる時間の無駄だったら承知しねェからな」
「ええ、わかっておりますわ」

恐らく会議での態度は最悪だろうが、とにかく顔さえ出せば必要最小限の義理は果たした形になるだろう。後はエイレーネがフォローすればいいだけだ。

「おーい、姫!」
「お姫ー!」
「はい、何かしら?ヒカゲさん、ヒナタさん」

双子に呼ばれそちらへ向かうと、そっくりの顔、そっくりの着物姿の少女たちが、同じくらいの年頃の少年の腕を両側から掴んでいた。

「テメェ、自分の手下にどういう教育してやがる!」
「こいつ、オレたちのタルトが食えねェなんてスカシやがんだぜ!何様のつもりかってんだ!」
「自分は任務中です。勝手な飲食はできません」

からくり仕掛けの人形のように淡々と呟いたのは、色素が抜け落ちたような白銀の髪に灰褐色の瞳をした少年。かつて白装束の一味の一員であった能力者だ。名前はディーという。
彼は同時に捕縛された烈火と違って従順であり、特殊消防隊の尋問にも素直に応じた。何らかの理由により、洗脳がそれほど進行していなかったらしい。しかし優秀な能力者であり、元テロリストの少年を野放しにもできず、要観察対象として、こうしてエイレーネが身柄を預かることになったのだ。現在は戸籍上はハロルドの孫として、侍従見習いの修行の真っ最中である。

「今は休憩中ですもの、遠慮しないで。お二人とおやつを召し上がれ」
「ホラ、お姫もいいっつったじゃねェか!口開けろ!」
「オラオラ食え、もっと肥えろ!テメーもやしみてェだぞ!紺炉みてぇにでかくなりやがれ!」
「むぐ」
「乱暴はいけませんわよ」

ヒカゲとヒナタはお持たせのタルトを、ディーの口に押し込もうとする。彼女たちなりに痩せっぽっちで顔色の悪いディーを心配しているのだろう。お姉さんぶりたい年頃なのかもしれない。

「あの歳で両手に花か。たいした色男じゃねェか」
「オイ…。白装束とやらは女ったらしの集まりなのか?あァ?」
「とんでもない。誤解ですわ」

賑やかな時間が終わった後。エイレーネは見回りに出掛ける紅丸と共に町へ出た。
浅草の守護神の姿を見かけるたびに、人々は笑顔で声を掛けた。ぶっきらぼうな態度ながら責任感の強い彼を、この町の皆が慕っているのだ。また、和装の面々の中で、金髪に白いドレス姿の少女は目立つ。たちまち多くの町民に取り囲まれた。

「おっ、久しぶりじゃねェか姫さん!!よく来たな!!」
「あんたが勧めてくれた寝台。最初は布団がいいって言ってたバアちゃんも、今じゃすっかり気に入ってるぜ。ぼうたぶるといれって奴も便利だ。いちいち厠に行かずに用が足せるし、嫌な臭いもしねェってのは大したもんだよなァ」
「先日、息子から手紙が届いたんです。好きな化学の勉強が毎日楽しくて、友達もできたって…。これも姫様が奨学金制度を教えてくださったおかげです。ありがとうございます」

最初は皇族の娘を胡散臭く見ていた浅草の人々も、原国主義者だからといって色眼鏡で見ることなく、真摯に皆の話を聞き、様々な相談に乗ってくれるエイレーネの姿に、今やすっかり心を許している。
閉鎖的な浅草だが、当然この町だけで自給自足が成り立つはずもない。町の外、皇国との人、物の行き来は普通にある。エイレーネはそこからもう一歩踏み込んで、浅草の人々に皇国の便利な制度や発明を紹介しているのだ。皇族の名前があるので色々と便宜を図れるし、灰島に協力を依頼もできる。灰島としても浅草の人々の皇国に対する苦手意識が薄れれば、関連企業を出店しやすくなるので、まさしくwin-winの関係と言えた。
ひとりの女性がエイレーネの手を握り、涙目になる。

「姫様…」
「お久しぶりですわね、山田さん。ご子息は…武夫さんはお元気ですの?」
「ええ、とても。あの子の元気な笑顔を毎日見られるのが、まるで夢のようで…」

ぐす、と女性は鼻を鳴らす。

「いつまでたっても言葉が遅くて、家に閉じ籠ってばかりで…。やはり父親がいないのが悪いのか、離婚した私が間違っていたんじゃないか、それとも生まれつきのことなのか…ずっと悩んでいました。でも、姫様が紹介してくださった先生…ええと、」
「言語聴覚士の先生ですわね」
「そう、そうです。その人のとれぇにんぐのおかげで、あの子の口数が多くなってきて…。自分の発音が人とは違うことに気づいて、からかわれるのが嫌で人を避けてたみたいなんです。私、母親なのに。そのことに気づいてあげられなくって…」
「どうかご自分を責めないでくださいまし」

エイレーネはにっこりと微笑んで、女性の涙を絹のハンカチで拭った。

「お力になれたようで嬉しゅうございますわ。子供は何よりも大切な、この国の宝。健やかにご成長なさるよう手を差し伸べるのは、皇族として当然の責務ですわ。また何かありましたら、遠慮なさらずお声掛けくださいましね」
「ああ、姫様…!ありがとうございます…!」

感謝しきりの女性に、善人面で微笑むエイレーネ。これでまた、女性の周囲で皇国の評価は上がることだろう。地道な草の根活動も大変だ。まったく、ボーナスのひとつも貰いたいところである。
傍らの紅丸は心底胡散臭そうな目を向けてくる。

「その猫かぶりぶりは大したモンだな。俺の時はさんざん脅しにかかったってのによ」
「あら、失礼ですわね。別に演技をしているつもりはありませんわよ。例え聖陽教を信仰しておらずとも、浅草の皆様もまた、私が庇護するべき皇国の民であることには変わりありませんわ」
「よく言うぜ。…まあ、お前のお節介で助かってんのも事実か。後々とんでもねェ見返りを引っかけられなきゃいいがな」
「酷いおっしゃりようですこと」

そして今自分の隣に立つ男もまた、エイレーネが庇護するべき民のひとりであることは確かなのだ。彼自身、自覚はないだろうが。ーーそう、きっとそれでいいのだ。



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