青薔薇は焔に散る

□第四章
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「む、蟲…!?蟲って、あの蟲のことですか?そんなんで“焔ビト”を作れるなんて…!」
「しッ。森羅隊員、お静かに。ここが第8の教会とは言え、どこで誰が聞き耳を立てているかわかりませんわ」
「す、すみません姫様」

第8特殊消防教会の一角。火華が提示した資料のコピーに目を通した森羅が、困惑の叫びを上げる。同じ資料をめくりながら、桜備も険しい顔をした。

「森羅が驚くのも無理はないさ。俺とて驚いた。まさか人工“焔ビト”の鍵がこれとはな」

エイレーネもまた資料に目を落とす。“焔ビト”の検体のコア写真の横に几帳面な字で書かれた実験結果を、淡々と読み上げた。

「『検体“焔ビト”Aは“焔ビト”Bに比べ、コアの残骸物質に異なった特徴を示した。コアに被害者とは別の生き物の煤とDNAを確認ーー。“蟲類”の遺伝子情報と断定する』」
「研究の末に発見した確かな実験結果です、殿下。何体もの“焔ビト”を調べたが、人工的な人体発火と思われる検体には共通点があった」
「コアの外部からある生物が侵入した形跡がある。それが“蟲類”というわけですのね。さすがは火華大隊長。ここまでの実験データを集めるのには苦労なさったでしょう」

とんでもない、と火華はうっすら笑った。違法スレスレ…というか外部に知られれば一発アウトの過激な実験の積み重ねによる成果だ。彼女が処分を受けることのないよう、父に根回しをしなければ。科学の発展には、綺麗事ではすまされないこともあるのである。

「つまり、その“蟲”を持つ者が怪しいということか…」
「でも蟲ったって、その辺のバッタやトンボとかとは違いますよね?」
「うむ。なにせ手掛かりが残骸のDNAのみなものだから、詳しいところはまだ不明だが…。何かしらの特殊な手段で産み出された個体であるはずだ」

問題は、人工“焔ビト”と思われる検体が、東京皇国のとある地域に集中していることである。

「こちらをご覧くださいませ」

エイレーネの合図を受けたハロルドが、ホワイトボードに地図を掲示した。東京皇国を特殊消防隊の管轄で区分したものである。地図のあちこちに貼られた赤いシールは、ここ一ヶ月に発生した“焔ビト”の発生場所と数を表していた。エイレーネが消防庁に送られた各地区のデータを皇族権限で閲覧し、密かにまとめていたものである。

「こうして見ると、確かに新宿…第1の管轄の発生数が突出してますね」
「ええ。第1の管轄は特殊消防隊中もっとも広いので、発生数が最も多いこと自体は不思議ではありませんわ。ですが、ここ半年の伸び具合が尋常ではないのです」

グラフ状のデータでも、それは明らかだ。各地区の人口一万人あたりの発生数を他地区と比べても、第1のグラフだけが他の地区とは比べ物にならない伸びを示している。一日に数体の“焔ビト”が発生することさえ珍しくないようだ。

「なるほど。このデータを事前にまとめていたからこそ、殿下は元々第1に不審を抱いていらしたのですね」
「わたくしの考えはあくまで仮説に過ぎませんでしたわ。人工“焔ビト”の発生が第1の管轄に集中していると言う、火華大隊長の調査結果があってこそ確信が持てたのです」
「しかし、まさかあの第1が人工“焔ビト”に一枚噛んでるとはな。まったく、聖陽教の名に泥を塗ったも同然だぞ」
「ん?ちょっと待ってください」

ここで、森羅が疑問の声を上げた。

「第1の管轄に人工“焔ビト”の発生が集中しているからって、どうして第1が怪しいってことになるんですか?人を強制的に“焔ビト”にしてる犯人が、たまたまその地域の住人なだけとか、あえてよその管轄からやって来て犯行を重ねてるって可能性も…」
「さすがはシンラ。目の付け所が冴えているな」

火華が締まりのない笑顔で称賛する。照れる森羅。桜備はやれやれと首を振り、エイレーネはくすりと小さく笑みを浮かべた。

「森羅隊員、こちらを。人工“焔ビト”の検体の詳細なデータですわ。発生した日時や発生時の詳しい状況などをまとめたものです」
「あ、ありがとうございます。え…これは!?」
「なるほど、そういうことか…!人工“焔ビト”は、必ず通常発生した“焔ビト”の周辺、それも特殊消防隊が出動した後に発生している…!」
「ええ。それもその発生場所も、消防官しか入れない警戒区域や閉鎖された火事場がほとんどです」

“焔ビト”が発生した際、周辺では一般の消防隊や特殊消防隊による、一般人の避難誘導や現場の隔離が行われる。“蟲”を手にした一般人が、毎回毎回火事場をうろつき回れるはずがない。つまり人工的に人体発火現象を起こしている犯人は、現場で堂々と動ける者。ーー消防官に他ならない。

「これは推測だが、恐らく下手人は特殊消防隊の中にいる。恐らく出動のドサクサに紛れて“蟲”を使っているのだろう」
「消防隊員のシフトは流動的とは言え、その出勤記録は厳密に管理されておりますわ」
「非番の日、自分が出掛けた先々で“焔ビト”が発生していてはさすがに怪しまれてしまう。だからこそ出動した機会を使い、逃げ遅れた人々を“焔ビト”に変えているのか…。クソッ、外道が!」
「そんな…じゃあ、本当に消防官が、“焔ビト”を作り出してるってことなのか…」

森羅は資料を握り締めたまま愕然としている。人々を助ける“ヒーロー”になるため特殊消防官を目指した彼にとっては、耐え難い事実だろう。それはエイレーネにとっても同じだ。

「第1特殊消防隊は、主に聖陽教の関係者で構成された隊です。わたくしも皇族の端くれとして、このような不心得者を出してしまった責任を痛感しておりますわ」
「一刻も早く捕まえなければ、被害者がどれだけ増えるかわからない。だが…問題はいまだ状況証拠しかないってことだな」
「“蟲”の事実を公表した日には、犯人が当の“蟲”をそこらの庭先にでも放して証拠隠滅するかもしれない」
「ーー重要なのは、問題がその隊員一人にとどまらない、という点ですわ」

鎮魂活動、パトロール、訓練。消防官の日々は多忙だ。聖陽教との繋がりの深い第1の隊員は、大聖堂のミサや奉仕活動などにも参加しなくてはならない。それこそ研究者の多い第3や第5でもない限り、特殊な“蟲”の研究や飼育をする暇もそのスペースもないだろう。

「つまりその隊員はただの実行犯で、“蟲”を提供する外部の協力者、あるいは大本がいるってことですね…?」
「振り込め詐欺と同じだな。末端の入れ子や出し子を捕らえたとしても、蜥蜴の尻尾切りをされては黒幕まで辿り着けない」
「だが、今のところ手掛かりが実行犯しかいないというのも事実。我々はなんとしてもその消防隊員を生け捕りにし、仲間の情報を吐かせねばならないと言うわけか」

しかし新設された第8と違い、第1に所属する消防官の数は百名を優に越える。特定は困難だが、絞り込む方法がないわけではない。

「まず、シスターの方々を除外するべきと存じますわ。彼女たちは常に消防官に護衛されていますもの」
「経験の浅い新人や二等消防官も違うでしょうね。ウチみたいな少数精鋭ならともかく、人材の豊富な第1じゃ、現場では常にベテランが補佐するはずだ」
「つまり実行犯は、出動現場でも単独行動できるくらいの実力者…」
「一等消防官以上、あるいは中隊長の可能性もありますわね」

深刻な状況に、森羅はごくりと唾を飲む。

「あの、姫様。バーンズ大隊長は、まさか…」
「いえ、それはないでしょう。十六夜のお父様という贔屓目を除いても、あの方はまこと敬虔な聖陽教の信徒でいらっしゃいます。このような卑劣な所業に手を染めるような方ではありませんわ」

彼のはずがない、と断言できる理由は他にもあるのだが、エイレーネは意図的にその点を伏せた。別に嘘を吐いているわけではない。

「私も同感です。大隊長ともなればどこへ行くにも目立つ、バーンズ大隊長ほど存在感のある人ならなおさらだ」
「そ、そうですよね。第1の消防官全員が“蟲”に関わってるわけじゃない…」
「そうだ。第1の隊員の大多数は心から太陽神を信仰し、真摯に鎮魂と向き合っている。俺はだからこそ、特殊消防隊をこんな外道な真似に利用する奴が許せないんだ」

桜備は憤りも露にダン、と机を叩いた。森羅が「大隊長…」と悲痛に顔を歪める。

「桜備大隊長、どうか落ち着いてくださいな」
「…あ…申し訳ございません。殿下の御前で見苦しい真似を」
「まったく、これだから脳味噌筋肉男は」
「見苦しくなどありませんわ。桜備大隊長の正義を貫くそのお心は、消防官として何より尊ぶべきものですもの」

その愚直なまでの正義感、真っ直ぐな強さに惹かれた者たちによって、第8は成り立っている。彼のカリスマ性がなければ、そもそもこのような突貫で特殊消防隊を新設することなどできなかっただろう。

「だが実際、どうやって第1を調査するかは難問だな。あまり大々的に動いては逃げられてしまうに違いない」
「あちらに不審がられることなく第1に潜入する、真っ当な理由が必要というわけですか」
「でも、そんな都合のいい方法なんて…」

言いかけた森羅がはっとこちらを見る。その期待に応えるように、エイレーネは嫣然と微笑んで見せた。

「ーー勿論、ありますわ。どうかわたくしにお任せくださいな」

こういったせせこましい裏工作は、自分の得意分野である。すでにその手は打ってあった。



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