青薔薇は焔に散る

□第三章
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翌日。
目にも眩しい青空の下。海鳥の鳴き声が響く海辺の倉庫街に、多数の消防官の姿があった。とは言え、険悪な雰囲気は微塵もない。
歓声に笑い声。じゅうじゅうと脂が溶ける音。鉄板の上では高級な牛肉や魚介類、野菜がこんがりと焼き上がり、消防官たちはビールジョッキ(突然の出動があると困るのでノンアルコール)を打ち合わせて笑い合う。

『あー、前日行われた第5・第8合同の夜間演習打ち上げにご参加いただきまして、誠にありがとうございます』

ミカン箱の上に乗った桜備が、拡声器片手に口上を述べる。も、誰も聞いていない。皆、手元の料理や仲間とのお喋りに夢中だ。

「まさか抜き打ちの戦闘演習とはなぁ。俺はまたてっきり、第8の連中がカチコミに来たかと思ったぜ」
「あはは、同じ特殊消防隊相手にんな事するわけないじゃん」

特殊消防隊は、普段隊を跨いで協力し合うことは滅多にない。冷静に考えれば、つい前日揉めたばかりの第8と合同演習など怪しすぎることこの上ないのだが。第5の面々の怪我はどれも軽傷であり、またこうして普段口にできないような高級食材を目の前にずらりと並べられたお陰で、皆の気持ちもすっかり緩んでしまったようだ。

「(やはり人間、美味しいものを食べて満足すると、大抵のことはどうでもよくなるものよね)」

金に糸目をつけず高級食材を手配した甲斐があったと、エイレーネは満足げに頷く。

「第5のふがいなさに火華大隊長もご立腹とか」
「あ〜、またお仕置きされちゃうんですかァ♪」
「喜んでんじゃねェよ」
「(…単に第5の方々がマゾヒスト揃いなだけかもしれないけれど、とにかく結果オーライというものだわ)」

料理上手な火縄は、見事な手さばきでとうもろこしや玉ねぎなどの野菜と肉を交互に挟んだ串焼きや、ホタテのバター焼きなどを焼き上げている。第5の消防官らのみならず、エイレーネにも差し出してくれた。

「どうぞ、殿下。火傷しないようお気をつけて」
「ありがとうございます、火縄中隊長。まあ、なんていい香り。とても美味しそうですわ」
「素材がいいからですよ。普段より二ランクは上の牛肉を、バーベキューでこうもふんだんに使えるとは思いませんでした。なんだか勿体ない気もしますが…ともかく、ありがたいです」

料理人にこうも喜んでもらえると、エイレーネとしても嬉しい。

「姫様、どうぞ」

さすがにそのまま串ごとかぶりつくわけにもいかない。ハロルドが箸を使って器用に串から具材を外し、紙皿に乗せてくれる。感謝の言葉を告げてから、エイレーネはそれを口に運んだ。
熱がほどよく通って甘味を増したトウモロコシも、噛み締めると肉汁が口いっぱいに広がる牛肉も、本当に美味しい。至福の気持ちを味わっていると、鼻先に複数の何かがぷかぷかと近づいてきた。
手のひらに乗るくらいの大きさの火の玉に、アニメのキャラクターのような小さな顔がついている。茉希が炎の操作能力で作り出した、彼女曰く“プスプス”と“メラメラ”だ。

「おおっ、カワイー!」

第5の女性隊員たちから歓声を浴びて、茉希もまんざらではなさそうだ。だがそこで、青く光る刃が哀れ火玉を真っ二つにしてしまった。

「死ね!!鬼火(ウィルオウィスプ)!!」
「ちょッと何するんですか!?」
「マキが火遊びをしたら殺せと中隊長に言われている」
「今は無礼講でしょ!」

ぎゃーぎゃーと掴み合う二人は、上官と部下というよりも仲の良い姉弟のようだ。微笑ましさを感じていると、エビのマヨネーズ焼き串を手にしたアイリスが笑顔で駆け寄ってくる。

「姫様!」
「これは、シスター。楽しんでいらっしゃるようですわね」
「はい。火縄中隊長のお料理、いつも美味しいんですけど。こういうバーベキューなんかも得意だったんですね」
「人には意外な特技がありますこと」

小さな口でもきゅもきゅと焼きエビを頬張る姿は、まるでハムスターのようだ。なんとも愛らしい。

「昨日は本当にありがとうございました。姫様が応援してくださったお陰で、私、義姉さんのところに行く勇気が持てたんです。第8の皆さんにたくさんご迷惑をお掛けしてしまったのは、申し訳ないですけど…」
「元々強行手段を取るしかなかったのですもの。結果的に火華中隊長の協力を取り付けられたのですから、なんの問題もありませんわ」

そう。こうして呑気に打ち上げが開かれているのも、火華中隊長が“人体発火現象”にまつわる情報独占の姿勢をあっさり翻し、第8への全面協力を掲げてくれたからである。
それもこれも、森羅が命がけで火華に立ち向かい、彼女を“説得”してくれたおかげだ。エイレーネはその場に立ち会ったわけではないのだが、情熱的な拳と言葉のぶつかり合いで、炎への憎悪に凝り固まっていた火華の心を解かして見せたらしい。

「称賛と感謝の言葉を受けるべきは、間違いなく森羅隊員でしょう。彼が今回一番の功労者ですわ」

その“ヒーロー”は今、パラソルの下にいた。頬に絆創膏を貼った火華が手ずから「あーん」と差し出す肉を美味しそうにぱくぱくと食べている。妖艶な美女にちやほやと世話を焼かれているのだ。健全な十代少年が鼻の下を伸ばすのも無理ないだろう。

「…随分と火華大隊長に気に入られてしまったようですわね、森羅隊員は」
「うう…義姉さんったら。…森羅さん、やっぱり胸が大きい人の方が好きなのかな。それとも年上?」

アイリスがしょんぼりと肩を落として呟く。これは、とエイレーネは冬空色の目を細めた。森羅の片恋もまったく見込みなしというわけでもなさそうだ。
それが彼にとって幸運かどうかは、まだわからないが。


◇◇◇


楽しい時間はあっという間にすぎるものだ。
夕刻、西日が地平線の彼方に沈みかける頃。バーベキューの後片付ける一同から少し離れた場所で、エイレーネは桜備、火華と深刻な打ち合わせをしていた。

「…では、第5は全面的に協力していただけると」
「第5ではない私個人が…だ」

末端とは言え、第5には灰島がついている。あまり派手に動いては目を付けられかねない。

「まずは研究データを暴露し、第5から潰すつもりだったのだろう?」
「それはあくまで桜備大隊長のお考えですわ。火華大隊長は優秀なお方。特殊消防隊にとっても有益な人材ですもの。穏便に話がまとまり、わたくしも安堵いたしました。火華大隊長の賢明なご判断に敬意を表しますわ」
「はっ、有益な“手駒”の間違いでは?あなたが灰島社長の縁者だという話は聞いている。あの狸ジジイといかがわしい取引をして、第5の情報を掴んだのだろう?まったく油断も隙もない。吹けば飛ぶような弱小に見えて、第8もとんでもないのがバックについたものだ」

エイレーネは火華のジト目を鉄壁の笑顔を受け流した。血縁とコネをフル活用するのは、為政者にとって常識以前の話である。

「アイリスの動きもあなたの計算か?」
「さあ、どうでしょう。ですがわたくしがなにもしなくても、結局はシスター・アイリスはあなたの元を訪ねたと思いますわ」

アイリスの義姉に対する思い入れは、それほどまでに強いのだ。実感してはいるのだろう。火華は軽く舌打ちするも、それ以上突っ込んではこなかった。

「殿下はともかく、第5の資料は桜備のような筋肉ダルマに理解できまい。私が協力すること、せいぜいありがたく思え」
「なんでそんな心変わりを」
「お前のところの隊員に感化されてしまった」
「森羅隊員、ですわね」
「違う…。いやそうとも言うが断じて違うぞッ」

愛する者たちの死は、火華の心に深い傷を負わせた。
幼い頃の彼女は、炎を恐れてなどいなかったのだろう。己の能力を太陽神の祝福として、誇りに思っていたのかもしれない。だが、かの事件によってそれは一変した。火華は炎に絶望した。絶望するしかなかった。

「この国、この世を知るたびに屈折していくしかなかった。屈折することで、自分が強く賢くなると思いたかった。このクソみたいな世に対するには、悪には悪で対抗するしかないと…」

だが、自分をヒーローだとのたまう森羅と退治し、戦い、思い出したのだという。

「炎の暖かさ…正義の優しさ…この世の悪と戦うという理想にもう一度触れることができた…」
「ふふ。森羅隊員は火華大隊長にとってもヒーローでしたのね」
「い、いや…断じてそういうことではないッ」
「あいつは第8自慢のヒーローです。きっと炎に囚われた世界の闇を暴くでしょう」

それにしても、必要とあらば女性も躊躇わず殴るとは…。森羅もあれでなかなか気概のある少年だ。エイレーネは内心彼の評価を上げた。緊急事態に騎士道精神だのレディファーストだのと綺麗事を掲げるボンボンよりも、ずっと良い。

「各隊に調査を入れて炎の謎を追うのが第8の目的だな?」
「ええ、そのために第5のデータを奪いに来ました。あなたの研究内容に、人体発火の原因を掴んだものがあると。本当ですか?」

桜備の真剣な声に、火華は花の模様が浮かぶ薄水色の瞳を陰らせた。

「ああ…私が悪魔になるのもわかるだろう。ーー人の手で“焔ビト”を作っている者がいる」
「(…やはり、そうなのね)」

その驚くべき事実を、エイレーネは冷静に受け止めた。
分断された特殊消防隊。なかなか上がらない“人体発火現象”の成果。増える一方の“焔ビト”、その不審な分布。すべてがその可能性を示唆している。だからこそ、父ーー第二皇子アレッサンドロは、エイレーネを使い第8を結成させたのだ。

「勿論この世の人体発火現象の全てがではないかもしれん。だが研究した検体の中に、明らかに他と違うものがあった」

火華の声は淡々としていたが、だからこそその裏に潜む凄みを感じさせた。

「私の友人たち…シスターたちが燃えた…。それが何者かの手によるものだとしたら。“恨み”の花言葉を持つ弟切草に誓って、どんな手を使っても見つけて焼きころ…」
「こほん。火華大隊長?」
「…見つけて軍警に突き出してやる」

悪戯が見つかった子供のように、火華は唇を尖らせる。彼女の気持ちはわかるが、特殊消防隊は公務員だ。大っぴらに殺害宣言されても困る。殺すなら一切の証拠を残さず、完璧に始末してもらいたいものだ。

「やはり人体発火を起こしている奴がいる。…絶対に許せん!必ず捜し出す!!…我々の目的は同じですね」
「ふん、気に入らんがな」
「そうおっしゃらずに。たいそう心強いですわ」

しかしここからの調査が困難なのだと、火華は厳しい顔で語る。

「発見済みの人の手によると思われる“焔ビト”の出現は…」
「新宿地区に集中している…のですよね?」
「!?何故それを…!」
「新宿地区だって?殿下、本当ですか!それは…」

新宿地区は、第1特殊消防隊の管轄。すなわち十六夜の父親、レオナルド・バーンズ大隊長が治める地域である。
エイレーネは熟した果実のように真っ赤な夕日を眺めた。鮮やかな緋色は燃え上がる焔の色を連想させる。

「(…十六夜を泣かせることにならなければいいけれど)」

だが、例えそうなったとしても、エイレーネに躊躇うことは許されない。何故ならば自分は皇族ーー何を犠牲にしてでも、この国の平和と民の安寧を守るべき立場にあるのだから。



→to be continued
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