青薔薇は焔に散る

□第三章
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早朝。第8特殊消防隊教会へ向かう車内に、不平がましい十六夜の声が響く。

「うぅう…姫様酷いですぅ…」
「まあ、父子水入らずの時間を作ってあげましたのよ。むしろわたくしは感謝されてしかるべきでは?」
「そーゆーのありがた迷惑って言うんですよぅ!正座でガミガミ叱られて、私、足が痺れて立てなくなっちゃったんですからねぇ!」

口ではぶうぶう文句を垂れながらも、十六夜の顔は案外明るかった。何だかんだで、父親と過ごす久しぶりの時間は嫌なばかりではなかったらしい。微笑ましいものだとエイレーネは思う。

「にしても、まさかあの爆発がジョーカーのせいだったなんて。本当にしょうがないやつです。パパにも心配ばっかりかけて」

ジョーカーを学生時代から知る十六夜はへにゃりと眉を下げる。

「あなたからも注意して差し上げてくださいな」
「もちろん〜。ガツンと言ってやりますよぅ!お任せくださいっ!」

ドンと太鼓判を押すが、いまいち頼りになるのかどうか。まあ、身内の諫言の方が効果はあるかもしれない。ジョーカーはあれでいて、懐に入れた人間に甘いタイプだ。十六夜のことも手の掛かる妹分として不器用に可愛がっている。その愛情が本人に届いているかは微妙なところだが。
やがて車は第8特殊消防隊に到着した。先日と同じく茉希隊員が迎えてくれる。

「朝早くからお疲れ様です。昨日の件でいらしたんですよね?」
「ええ。森羅隊員にアーサー隊員、第1の環隊員、ジョーカーに襲撃された消防官の方々に大きな怪我がなかったのは不幸中の幸いですが。一歩間違えれば大惨事となっていた事件です。改めて、ジョーカーと直接会話した森羅隊員のお話を伺いたいと思いましたの」
「大胆不敵な犯行ですよね。あんなに大勢の消防官がいた競技場に忍び込むなんて。ウチの可愛い後輩を酷い目に遭わせて…桜備大隊長だって、一歩間違えばどうなっていたか」

茉希はぐっと拳を握りしめる。

「絶対に許せません。もしまたウチの管轄に現れたなら、今度こそガツンとぶちかましてやります!!」
「まあ、なんて頼もしい」

シュッシュッとシャドーボクシングする茉希。第8随一の体術の使い手の拳だ、空気を切る音にもプロ並みの迫力がある。
当の犯人と面識があることをおくびにも出さず、エイレーネはにっこりと微笑んでみせた。

「(茉希隊員に一発くらい殴ってもらった方が、ジョーカー殿の悪い癖も収まるかもしれないわ)」

隣の十六夜も似たようなことを考えているらしい。「右ストレート…バックドロップ…」などとブツブツ呟いている。

「姫様、お待たせいたしました」

森羅に連れられて大隊長室に案内された。つけっぱなしのテレビが朝のニュース番組を流している。

『…ニュースは以上です。本日のアマテラスの稼働率は正常。それでは皆さんよい一日を!ラートム』

聖陽教の祈りの言葉と共に、ニュース番組がコマーシャルへと移り変わる。桜備は溜め息を吐き、テレビの電源を切った。

「やはり昨日のジョーカーのニュースはなしか…」
「報道管制を敷いたのでしょう。消防官が襲撃されたなどと言う事態が広まれば、市民の皆様の不安を招きますもの」

それ以上に新人大会でのあのような騒動が表沙汰になっては、消防隊の面目丸潰れだ、という身も蓋もない裏事情もあるのだろうが。

「姫様、大隊長。やっぱり特殊消防隊は何か隠しているんですか?」

十二年前。森羅の母親と弟が亡くなった火事の原因は不明とされているが、森羅はずっと何かしらの疑念を抱いていたらしい。今回のジョーカーの件でその想いはいっそう高まったらしく、真剣な眼差しで問い掛けてくる。

「俺はヒーローになるために特殊消防官になりました。特殊消防隊は本当に国民のために戦う組織なんですよね?」
「まずは特殊消防隊の成り立ちから話そうか。姫様にとっては自明のことだとは思いますが」
「言え、どうかお気になさらず」

特殊消防隊は“焔ビト”の脅威に対抗するため設立された組織である。その成り立ちは意外と新しく、すでに東京皇国に存在していた消防庁、東京軍、聖陽教会の三つの組織から人員を募って結成された。第1から第8まで八つの隊に別れており、その勢力の強弱や隊の特色には明確な差が存在する。

「第1は聖陽教会の力が強く、教会出身の隊員を中心とした隊だ。もっとも歴史が古く、また規模としては最大の人員を抱えている」
「大隊長は十六夜さんの父親なんですよね」
「う…ま、まあそうですけどぉ」
「一方の第2は東京軍の直属組織となりますわ。軍隊色が強く、隊員の方々も現場以外では軍服を着用しています。消防庁を通さず、軍直々の指令を遂行することもあるとか」
「第5に至っては、名目上は東京軍を中心としているが、実上は一企業の灰島重工が実権を握っている」

特殊消防隊の防火服から洗礼武器、移動に用いるマッチボックスに至るまで、ありとあらゆる装備品は全て灰島製だ。灰島は製品受注を独占し、莫大な資金と利権を有しているのである。特に現在の社長はかなりのやり手だ。消防隊に対する発言力は、各大隊長に勝るとも劣るまい。

「勿論どの隊も“焔ビト”の鎮魂と人体発火現象の原因追究を任務とし、国民のために戦っている。しかし活動の中で得た情報は各隊が独自保管し共有されない。…その中には人体発火の真実に関する情報もあるかもしれない」
「そんな…どうして。みんなで協力し合えば、人体発火の研究だって進むはずじゃないですか?」
「複数の組織から人員を招集した弊害ですわね。それぞれの出身や後見ごとに隊が形成され、派閥となってしまっている。隊それぞれの結束は高いのですけれど、特殊消防隊という組織全体のまとまりは薄い」

肥大化した組織とはそういうものだ。東京軍や聖陽教会とて、その派閥争いは深刻である。派閥同士のいさかいが任務に支障をきたすことも決して珍しくはない。
突きつけられた大人の世界の無情な現実に、森羅は言葉を失う。そんな新人隊員を真っ直ぐに見つめ、桜備大隊長は口を開いた。

「俺たち第8はエイレーネ殿下の後見の元、消防庁の一部の信頼できるメンバーで俺を大隊長に立て、強行してできた組織だ。何かを隠しているかもしれない第1から第7の各隊の調査をし、真実に迫るためにな」
「それって…!!」
「後見とは言いますが、実質的にもっとも力となってくださったのは消防長官ですわ。長官はかねてより、特殊消防隊の情報が各隊で分断されているこの状況を憂慮されていらっしゃいました」
「そして、疑念を抱いてもいた。特殊消防隊は“焔ビト”発生の原因を掴んでいるのではないか、とな」
「そ、それは本当ですか!?」

確証はないが、その可能性は高いとエイレーネも思っていた。
新参者の第8や毛色の違いすぎる第7はともかく、他の六つの隊は日夜“焔ビト”の鎮魂と研究に励んでいる。にも関わらず、いまだ人体発火現象について目ぼしい成果は上がっていない。これはいくらなんでも不自然すぎる。

「何者かの何らかの思惑により隠されていると、俺や長官、殿下は考えている。消防庁の一消防士には掴めない情報だ…俺はそれを見つけ出し、人々を救いたい!」
「その調査、俺にも協力させてください!」

力強く叫ぶ森羅に、桜備大隊長は目尻を緩める。エイレーネも頼もしく感じた。優秀な若手の協力を得られることほどいいことはない。

「ありがとう。お前を第8に呼んで良かった。これも推薦してくれた殿下のお陰だな。改めてお礼申し上げます」
「いえ、森羅隊員が第8へ入隊したことは必然だったのでしょう。これも太陽神の思し召しですわ」」

ジョーカーの目に留まったことも、ある意味では幸運かもしれない。彼がなんらかの情報を握っていることだけは確かなのだから。

「まあ、突貫で作った隊だから隊員がまだ六人しかいねェけどな!」
「教会もボロ…古いですしね…」
「申し訳ございませんわ。わたくしが力及ばぬばかりに…。もっと良い物件を見つけられれば良かったのですけれども」
「い、いや!姫様を責めてるわけじゃあないですよ!」

せめてリフォーム工事を手配しよう。外観だけでも何とかしなければ格好がつかない。自分達の暮らしを支える特殊消防隊の教会があんまりボロくては、市民も正直不安だろう。

「新たに第8の管轄となったエリア内で、もっとも手頃な中古物件がこちらでしたの。バーンズ大隊長が紹介してくださいましたのよ」
「えっ、パパが!?パパ、ほんと若いコに甘いよなぁ…。ま、まさか。ママと離婚したのはそのあたりが原因なんじゃ」
「十六夜、十六夜。落ち着いてくださいな」

本人の預かり知らぬところで誤解されているバーンズ大隊長の名誉を正していると、火縄中隊長がひょっこりと顔を出した。

「お話中のところ失礼します」
「そうそう、こいつなんて中隊もねェのに火縄中隊長だぜ?あっはっはっは!!」
「それ、笑い事なんですか…?」
「ホントおもしろいわー…」
「自分で言ってへこまないでください」
「笑い事ではないようですわね」

現在は機関員もおらず、装備品やマッチボックスの整備は中隊長が兼任しているらしい。勿論、通常の業務に加えて、だ。少数精鋭と言えば聞こえがいいが、実際はただのブラック企業ならぬブラック組織である。

「人員の方はわたくしからも、消防長官に働きかけましょう。それより火縄中隊長、何かお話があったのではなくて?」
「そうでした。先程灰島の研究機関から連絡がありまして。訓練施設を吹っ飛ばしたジョーカーの粉の解析結果が出たと」

森羅曰く、ジョーカーは灰に似た粉と炎を操り、あれほどの爆発を引き起こしたのだという。いったい何なのだろうと前のめりになる上官と部下に、火縄中隊長は常の冷静さを保ったまま告げた。

「どうやら主成分は“焔ビト”の灰のようです」
「あの粉が…“焔ビト”の灰…」
「死者の肉体を利用するなんて…ド外道が…」

桜備大隊長は、怒りも露に拳を机に叩きつけた。エイレーネは内心天を仰ぐ。十六夜も青い顔をしていたが、幸いにして森羅たちには気づかれなかったようだ。
恐らくリヒト主任も一枚噛んでいたのだろう。“焔ビト”の遺灰を能力攻撃に転用しようなどと、まともな人間は普通考え付かない。そう、研究と実権のためならば平気で倫理観を置き去りにする、頭のイカれた科学者でもない限り。

「(…やれやれ。どうしたものかしら)」

考え込むエイレーネの隣で、第8の消防官たちは深刻な様子で言葉を交わしている。

「いったい何者なのでしょうか、ジョーカーという男は」
「ロクでもない野郎なのは間違いないが、“焔ビト”と人体発火現象について俺たちよりも詳しいのもまた、確かだろうな。俺たちもうかうかしちゃいられん」
「あのう。ですがそもそも各隊を調査すると言っても、どこの隊からやるんですか?」

森羅の当然の質問に、桜備大隊長と火縄中隊長がむむ、と唸る。

「そこは悩みどころだな。半ば強引に設立された第8を胡散臭いと思っている連中は多いだろうし、警戒もされているだろう」
「では、わたくしから提案がございますわ」

エイレーネは持ち寄ったファイルから書類の束と写真を取り出し、机の上に広げた。森羅たちが机の回りに集まり、それらをのぞき込む。

「こちらは第5を率いるプリンセス火華大隊長です」
「うわぁ、凄いびじ…じゃない、随分若い大隊長さんなんですね」
「大隊長の中ではもっともお若い方ですわ。とても優秀な研究者でいらっしゃるとか」

写真に写るのはなめし皮のような褐色の肌に青い瞳、ファーつきの特注防火コートを羽織る豪奢な美女の姿だった。一流モデルも真っ青のスタイルをひけらかすような、扇情的な服装をしている。

「第5…なるほど。灰島をバックに持つここほど研究設備の整った隊は、他にないでしょう。人体発火現象について、何かしらの情報を掴んだ可能性は高い」
「実は、これはその灰島から得た情報なのですが。ここ最近、火華大隊長は灰島に報告せず、独断で何らかの研究を続けているそうなのですわ」
「怪しいですね、それは…」

情報提供と言えば聞こえはいいが、これはつまり要請なのだろう。プリンセス火華に釘を刺してくれ、という。
切り捨てるには有能な人材。けれど“おいた”を見逃すわけにはいかないということか。まあ、灰島に貸しを作るのはやぶさかではない。
相手は特殊消防隊きっての才媛。強敵だろうが、幸いこちらには“カード”もある。

「いかがかしら、桜備大隊長。あなたも最初は第5、だと思っていらしたのではなくて?」

何せ、“彼女”を第8に配属させたのだから。
微笑むエイレーネの意図を掴んだのか、桜備大隊長は苦しげに眉を寄せる。良心を捨てきれず、部下を道具として扱うことのできない彼の善良さは青いが、同時に尊いものなのだろう。
ーーだが。善性にこだわっていては、手が届かないものもあるのだ。



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