青薔薇は焔に散る

□第二章
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東京皇国某所。イタリアン風の喫茶店で、皇族のドレスからシンプルなワンピースに着替えたエイレーネは軽食を取っていた。
エイレーネがお忍びでよく訪れるここは知る人ぞ知る、という寂れた店で、座席はカウンター席が四つ、ボックス席が二つしかない。裕福な店主が趣味で開いているため、そもそも繁盛させようとも思っていないのだ。だが古びているが手入れの行き届いた店は落ち着いた調度品でまとめられており、店主の趣味の良さを感じさせる。

「やりすぎですわよ、ジョーカー殿」

一番端のカウンター席に着いたエイレーネは、お手本のように綺麗な所作でパニーニを切り分けつつ、ため息混じりに呟いた。その声はBGMのジャズピアノに掻き消されるほど小さかったのだが、隣席でエスプレッソを啜る男の耳には届いたらしい。
背中に届くほど長い黒髪の男は、左目を眼帯に隠されている。露になった右目がにい、と三日月の形に細められた。

「死人は出してねぇんだ。お行儀良くやっただろ?」
「それならばいい、というものではありませんわ。そもそも死者が出なかったのは、森羅隊員が身体を張ったからでしょうに」
「森羅日下部、ねぇ」

プロシュットとルッコラ、チーズを挟んだシンプルなパニーニに、ジョーカーは豪快にかぶり付く。指に付いたチーズの欠片を舐めとりながら、楽しげな声音で言葉を紡いだ。

「最初は弱っちぃ餓鬼かと思ったが、なかなか根性ある奴だったな。面白ぇ。ま、誘いかけたらすげなく断られたが」
「当たり前ではありませんの」

エイレーネは呆れ返るしかない。こんな怪しい男にほいほいついていく人間がそうそういると思っているのか。
このジョーカーという男は、闇社会を生きるフリーの何でも屋。猫よりも気まぐれな質で気に入った仕事しかしない困ったところはあるが、その能力は確かだ。人知れずビルに侵入し、消防官二人を瞬く間に無力化せしめたことからも、彼の高い実力が見て取れる。
エイレーネも何度か表沙汰にできないような依頼をしたことがあるが、いずれも完璧な結果を出してくれた。やればできるのだ、やれば。これでもう少し態度が真面目ならば、一流のエージェントにだってなれるだろうに。

「いくら森羅隊員の力を試すとは言え、あんな大爆発を引き起こすなんて。悪ふざけも度が過ぎていましてよ。…それで、灰島のヴィクトル・リヒト主任とはどのようなご関係なんですの?」
「…へえ?」

ほんの一瞬、ジョーカーがこちらに目を向ける。普段はどんよりと淀んだ瞳に、好奇心旺盛な子供のような光が宿っていた。
一口ずつパニーニを口に運びながら、エイレーネは淡々と言葉を続けた。

「協力者が存在することは最初からわかっていましたわ。あれだけの人の目があるのですもの。消防官たちも右往左往するあの騒然とした現場で、リヒト主任だけが泰然とした態度を崩していませんでした。後程書類を確認したところ、ビルの設計責任者はリヒト主任となっていた。恐らく、あらかじめ脱出用の地下通路でも用意していたのでしょう?聖陽教において、地下は太陽神の恩恵の届かぬ不浄の地とされる。隠し地下通路などと言うものが存在するなど、消防官たちも想像だにしないでしょうからね」
「さすがは皇族きっての才媛と名高い、エイレーネ・フレイア殿下だな。その冴えを頭でっかちな軍警どもにも分けてやりたいくらいだぜ」
「まあ、褒めても何も出ませんわよ」

質問に答えていないだろう、と笑顔のままチクリと刺せば、ジョーカーは薄く笑って頬杖をつく。

「あいつはまあ、俺の協力者さ。共にこの世界の真実を求める“同志”ってところだ」
「一見格好良いことを仰っているようですけれど、結局のところただのテロリストですわよね?」
「おい姫さん、バッサリ切り捨てんの止めてくんない?」

確かに桜備の言う通り、特殊消防隊は決して清廉潔白な組織ではない。まあ組織と言うのは大きくなればなるほど後ろ暗い部分が出てくるものなので、皇国軍や聖陽教会、皇室も同じ穴の狢なのだが。叩けば埃がわんさか落ちてくるだろうことは、エイレーネにも想像がつく。
泡沫の安寧の影に隠れた、この世界の真実が知りたい。ジョーカーの凄絶な過去を知るエイレーネは、彼の気持ちに共感するところもある。それにジョーカーの“出身”を考えると、彼がこんな人格になってしまったのには、皇族として責任を感じないこともない。だが、それはそれとして、今回は明らかにやりすぎだ。

「消防隊と森羅隊員を試すにしても、いくら何でも過激すぎますわ。このようなことは金輪際なさらないでくださいませ。それと、火事場荒らしもいけません。故人の想いを踏みにじるような真似は慎んでくださいまし」
「はん。死人に想いなんぞあるのかねぇ。あんたらの教えを借りりゃあ、誰もが皆炎に帰る。どんな善人も、悪人も、最後は塵になるだけだ」
「だとしても、残されたご遺族やご友人のお気持ちは守らなくてはなりませんわ」

おわかりですわね、と声音をやや強めた。これ以上は見逃せない、と言外に込めると、さすがに察したのか広い肩がすくめられる。

「俺みたいな馬の骨に、姫さんもまあ随分とお甘いことで」
「あなたにはこの先も頼みたい仕事がありますし、そもそもわたくしでは拘束などできません。何より、バーンズ大隊長と十六夜を悲しませることなどできませんわ」

古馴染みたちの名前に、ジョーカーの顔が嫌そうに歪む。

「一連の事件があなたの仕業だと言うことは、お二人にも察しがつくでしょう。お叱りを覚悟なさることね」
「っげぇ…」

辟易した様子が父親の説教にうんざりした十六夜のそれにそっくりで、エイレーネは思わず笑みをこぼした。幼馴染み、というのは似てくるものなのかもしれない。


◇◇◇


「少し夜風に当たりたいわ。じいや、付き合って頂けまして?」
「勿論です、殿下」

喫茶店を出た後。柔らかな月明かりの照らす夜の公園を、エイレーネはハロルドと共に歩いた。
ジョーカーとはあの場で別れた。彼はきっと森羅に伝えた以外にも、“焔ビト”や特殊消防隊に関わる秘密を握っている。が、易々と秘密を明かすような男ではない。

「(…やはり“あちら”から攻めるべきですわね)」

昼間と違い人気のない公園は、考え事をするにはちょうどいい。虫の声と、梢を揺らす風の音。ぼんやりと物思いに耽っていると、背後で鈍い物音が響き、短くくぐもった悲鳴が夜の静寂を乱した。
振り向けば、ハロルドの足元に黒衣の男が一人倒れている。その男の背を容赦なく踏みつけながら、ハロルドは「お耳汚しを」と小さくお辞儀した。

「このような見え透いた誘導に乗るものか、と思いましたが。杞憂でしたわね」
「裏にいるのが何者かは知りませんが、殿下がこのような小物の手に掛かる程度だとでも思っているのでしょうか。まったくもって腹立たしい」
「まあまあじいや、落ち着いて。興奮すると血圧が上がりますわよ」

喫茶店に入店する前から、尾行されていることには気付いていた。小娘と老人一人と甘く見たのだろう。ハロルドがかつて第4の大隊長、蒼一郎アーグと並び称される凄腕の特殊消防官であったことを知らなかったのか、知っていて今や老いぼれとたかをくくったのか。どちらにしても愚かだ。
誰が黒幕かを尋問しても無意味だろう。どうせこんな刺客とも呼べない破落戸など、下手な鉄砲数打ちゃ当たるのつもりで適当に送りつけたに違いない。追及しようとしたところで蜥蜴の尻尾切りをされるだけだ。

「(わたくしの命を狙う輩は、皇族だけで片手の指に余りるもの。我ながら恨みを買っているわね)」

エイレーネとしても無駄なことに時間を費やすつもりはない。

「能力者ですの?」
「ええ。一応は」
「では、“処理”は灰島さんにお願いしましょう」
「かしこまりました。そのように手配いたします」

例えどれ程弱くても能力者ならば、使い道はあるだろう。灰島のマッドサイエンティストどもの玩具になったこの男が、過酷な人体実験の果てにどのような末路を辿るか。そんなことは、エイレーネの知ったことではない。

「(…わたくしのこのような姿に、“あの方”はなんておっしゃるかしら)」

軽蔑に眉をしかめるか。それとも「てめェの悪どさくらい身に染みて知ってらァ」と鼻で笑うだろうか。
自身に似合わぬ感傷的な思考に、エイレーネは小さく苦笑したのだった。


→to be continued
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