青薔薇は焔に散る

□第二章
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消防官新人大会。
今年度入隊した新人消防官たちが、その技能を競い合う競技会。各部隊の上官のみならず、来賓として各所の著名人も多く足を運ぶ、外部の注目も大きい特殊消防隊有数のイベントである。新人たちにとっては、己の実力を広く知らしめる絶好の機会でもあった。
エイレーネは消防官ではないが、皇族代表の来賓として祝辞を述べる役割がある。執務室でその原稿を書いていると、珍しくおやつを食べる気力もないらしい十六夜が深々と溜め息を吐いた。

「あ〜、雨降って中止にならないかなぁ」
「十六夜ったら。あなたが競技に参加するわけでもないでしょうに」
「外で見物するってだけで疲れるんですよぅ。知り合いと顔を合わせるかもしんないし…」
「たいていは上官が応援に行くものですものね。エリートと名高い第1は、毎年バーンズ大隊長が直々にいらっしゃるそうですわよ」

元上官かつ父親の名前に、十六夜はがっくりと肩を落とす。

「あうぅう〜、やっぱパパが来ちゃうよねぇ。勢いで第1辞めてからろくに会ってないんだもん、気まずい…。姫様ぁ、私有給取っちゃ駄目ですかぁ?」
「育てていただいた大恩あるお父様に、不義理は感心しませんわよ。だいたいこの場から逃げ出したところで、わたくしの職務上この先いくらでもバーンズ大隊長と顔を合わせる機会はあるでしょうに」
「せ、正論の斧が痛い…!」
「休憩中くらい、バーンズ大隊長の時間も空くでしょう。父娘水入らずの時を過ごしてきてはいかが?」

わっと泣き伏す十六夜を、ハロルドがずるずると引き剥がした。暇なら雑用ぐらいやれ、と郵便物の整理を命じられる。
何だかんだで上司命令には逆らえない十六夜だ、新人大会には来るだろう。むしろ問題は別のところにある。
エイレーネは溜め息を吐きつつ、受話器へと手を伸ばしたのだった。


◇◇◇


新人大会当日。
十六夜の願いむなしく、絶好の競技会日和と言えるほどの晴天である。日差しは強すぎず弱すぎず。風もそれほど出ていない。気温も落ち着いているので、熱中症の心配も少ないだろう。まあ、特殊消防官の大半が能力者であるため、熱に耐性のあるものは多いのだが。

「ごらんなさいな、十六夜。119(ワンワンニャイン)たちも応援に駆けつけてくれましてよ」
「単なる着ぐるみじゃないですかぁ。しかも一体オッサンがいるし」

消防庁のマスコットキャラクター、119。イヌ(レス君)、ネコ(Qちゃん)まではありがちだが、「隊員が全員動物なのはいかがなものか」という上層部のクレームが入った結果、三人組の最後の一人は髭の剃りあとが生々しい中年男性キャラになってしまったのである。意外と人気があるあたり、“ブサかわ”好きな女性が世間には案外多いのかもしれない。

「あっ、姫様!応援に来てくださったんですか」
「張り切っていらっしゃるようですわね、森羅隊員」

この大会における活躍如何が、今後の出世にも大きな影響を及ぼすことになる。新人消防官らのやる気は高かった。

「姫様。俺、頑張ります」
「ふっ。この騎士王アーサー・ボイルの活躍、その目に焼き付けておけ!」
「どうかお気をつけて。お二人のご健闘をお祈りしていますわ」

緊張した様子の森羅と血気盛んなアーサーを見送ったエイレーネは、早速来賓席へと向かった。こういった場では来賓同士の社交も重要なのである。むしろエイレーネとしてはこちらがメインといっても過言ではない。

「これは殿下、ご機嫌麗しゅう」

丁寧に礼をするのは、東京皇国の一大企業、灰島重工のグレオ灰島社長。一見するとごく平凡な中年男性だが、レンズの奥の瞳は、時おり底無し沼のような暗い色をひらめかせる。
灰島重工は特殊消防隊のあらゆる装備品の製品受注を独占しており、その発言力は下手するといち大隊長をも上回る。皇家としてもあだやおろそかにできない相手だ。

「ご機嫌よう、灰島社長。お久しぶりですこと。ご子息のお加減はその後いかがかしら」
「幸い、快方に向かっております。これも殿下がくださったお見舞いのおかげかと。ありがとうございます」
「まあ、そんなことはありませんわ。きっとご子息を想う社長のお心と、医療関係者の方々の尽力が、太陽神の元に届いたのでしょう」
「ええ、ええ。まさに殿下のおっしゃる通りかと。これよりいっそう、太陽神への感謝の気持ちを忘れぬよう、心に刻んでいかねばなりませんな」

社交の場もまた、戦場だ。
取るに足らないお喋りのどこに、重要な情報が眠っているかわからない。蜘蛛の巣のように張り巡らされた罠。言葉尻を捕らえる陰湿な駆け引き。空々しい笑顔と称賛の裏で、互いの弱味を鵜の目鷹の目で探り合っている。
勿論単純に、他愛ない噂話や美食を楽しむだけ、という者も多いだろう。だが己も相手もそんな生温い人間ではないと、エイレーネと灰島社長、双方はともによく理解していた。

「…ところで病気と言えば、部下から報告を受けたのですが。殿下が気に掛けていらっしゃる第7の中隊長が、小康状態で落ち着いたそうですな」

何気なさを装って出た話題に、エイレーネは笑みを深くする。
第7特殊消防隊は、浅草を担当区域とする異色の消防隊だ。そもそも浅草の街は、東京皇国にありながらかつてこの地に存在していた国“日本”独自の文化を守り続けてきた。“聖陽教”の教えを拒絶し、“焔ビト”の対処も独自の自警団“浅草火消し”が行ってきたのである。
皇家にとっては目の上のたんこぶ以外の何物でもなかったが、そんな浅草の火消したちも、二年前の大火で街、住人、そして火消したちに多大な被害を出したのを契機に、特殊消防隊に組み込まれることとなったのだった。その際エイレーネが説得に当たったこともあり、第7の面々が認めるかどうかは別として、事実として第8と同じくエイレーネが後見人という立場にある。

「ええ、これも灰島さんの新薬のおかげですわ。わたくしの無理を聞き入れてくださり、ありがとうございます。わざわざ灰病の専門医まで紹介してくださって」
「なんの、他ならぬ殿下直々のご依頼なのですから。当然の事です」
「相模屋中隊長は、以前より身を尽くして浅草の平和を守ってこられたお方。人望も篤くいらっしゃいます。第7の皆様は当然の事、浅草の住人の方々も、心より灰島さんに感謝しておられるでしょう」
「ははは。その言葉、製薬部門の連中が聞けばさぞかし喜ぶでしょうな。次に視察にいらした時にでも、どうか直接掛けていただきたい」

一見にこやかに会話しているようで、言葉の端々に妙な寒々しさが滲む。
『お前の大事な手駒の命はこっちが握ってんだぞ?そこらへんわかってるのか?』『はっ、笑わせんな。抑制剤が切られたせいで中隊長に何かあれば、浅草中を敵に回すのはお前らだろうが。閉鎖的だったあの街も“わたくしが色々手回ししてやったおかげで”灰島資本の企業が増えてるんだから、結構な痛手だろ』との副音声が聞こえそうなやり取りに、エイレーネの脇に控える十六夜は頬をひきつらせた。

「…ああ、そうでした。殿下に紹介したい者がいるのです。リヒト、こちらへ」
「はいは〜い」

進み出たのは、モジャモジャの黒髪にだらしなく白衣を着た青年だ。一見すると徹夜明けの大学生にしか見えない不精な男だが、エイレーネは人は見かけによらないという格言を身に染みて理解していた。

「彼はヴィクトール・リヒト。このようなみっともないなりを御前に晒し、申し訳ありません。これでも我が社の応用発火科学研究所の研究主任を勤めているのですよ」
「いやぁ、サーセン。どうも堅苦しい格好が苦手でして」
「まあ、その若さで主任だなんて。優秀でいらっしゃいますのね」

エイレーネはさもたった今知ったかのように、口元に手を当て驚いて見せる。
もっとも実際のところ、灰島に東京皇国大学を飛び級で入学・首席卒業した天才研究者が在籍している、という情報はとうの昔に掴んでいた。厳重な情報統制を敷いていたわけではないのだ、無論灰島側も、エイレーネが情報を掴んでいることは承知の上だろう。つまり、これはただの茶番なのだ。
白々しいことこの上ないが、エイレーネとしても灰島の優秀な科学者と面識が持てたことはありがたい。人脈というものは築けば築くほど面倒事に巻き込まれやすいものだが、だからと言って皆無だと何もできないという厄介な代物なのである。

「今回この競技会に足を運ばれたのは、やはり新人消防官の能力が目当てで?」
「ええ、ええ。それは勿論。こういう機会でもないと、現役消防官の能力を間近で見れませんしね。測定データはあとで流してもらう予定なんですけど、できたら研究所でじっくりいじくりまわ…調べたいものです。だけど皇国軍でも消防隊でも、なかなか実験に協力してくれる能力者っていないんですよねぇ」
「みなさん多忙でいらっしゃいますので、そこは仕方ありませんわ」

「身体が資本の軍人や消防官が、そんな得体の知れない人体実験に協力するわけないだろ」という本音を押し隠し、エイレーネはにっこりと笑って見せた。
灰島重工の二人との歓談を終えたあと。数人の来賓と言葉を交わせば、とうとう開会式の時間である。エイレーネは大勢の隊員らの注目を受けながら壇上にのぼり、祝辞を読み上げた。

「ご紹介いただきましたエイレーネ・フレイアです。本日ここに、多くの関係者の皆様のご参加を得て、第○○回消防官新人大会が盛大に開催されますことを心からお慶び申し上げます」

東京皇国の皇族としても、優秀な消防官が増えてくれるのは喜ばしいことだ。切磋琢磨してその腕を磨き、この国を支える礎となってもらいたい。

「これまでの訓練の成果を存分に発揮し、悔いのないよう力を出しきって頂きたく…」

我ながら良く言えば無難、悪く言えばまったく面白味のない祝辞であるが、こういう類いのもので下手に独創性を出そうとしてもロクなことにならない。
開会式はなんの問題もなく終了し、短い休憩を挟んでまずは能力者の新人消防官による競技が始まる予定である。
欠伸を噛み殺しながら、十六夜は隣のエイレーネにだけ聞こえる小声で囁く。

「ふあ〜、眠かったぁ。…にしても毎度毎度思いますけど、姫様よくもまああんな狸ジジイと仲良くお喋りできますねぇ。正直視線が合わなくても威圧感マジヤバって感じなんですけど」

実質的に東京皇国の経済を支配する大企業のトップが、己の手を汚していないはずがない。自分のような小娘が知る限りでも、あの社長が社会的・物理的に闇に葬った商売敵あるいは社内の政敵は、両手の指を下らない。とは言えエイレーネは、決して過度に彼を恐れているわけではなかった。警戒は怠っていないが。

「それはもう、慣れという他ありませんわね。それに灰島社長は聡明な方ですから。相対していて緊張はしますが、『この人なら愚かしい真似はしないだろう』という信頼感はありますのよ」

逆に中途半端にアレだと、一銭にもならないくだらないプライドにしがみつき、己の損得や将来を度外視してとんでもない真似に出ることもあるのだ。そう、例えばエイレーネの元に飽きもせず刺客を送りつける親族たちのように。



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