青薔薇は焔に散る

□プロローグ
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肌をじりじりと灼く熱気。鼻をつく独特の臭気。崩れ落ちた木造家屋のあちこちから、いまだぶすぶすと黒煙が上がっている。悲しいほど澄んだ夜明けの空に立ち上る幾筋もの煙は、まるでこの大火で命を落とした人々の魂が、天に還ろうとしているかのよう。
焼け落ちた町の片隅で、エイレーネ・フレイアは彼に出逢った。

「…っ、紺炉に近付くんじゃねぇ!」

その青年は、まるで手負いの獣だった。体格に恵まれているわけではない。一見すると小柄と言っていいほどなのに、その引き締まった体躯からは激しい敵意と怒りが覇気となって溢れている。背後で崩れた壁に寄りかかる大男を護るかのように、彼はエイレーネの前に立ち塞がった。
癖のない黒髪は煤にまみれ、浅草の火消し独自の衣装である鯉口や腹当てもあちこち焦げ、ところどころ血が滲んでいる。吊り上がった眉に通った鼻梁、銀幕の俳優のような端正な顔立ちには疲労の色が濃い。それどもその深紅の瞳ーー能力者に時おり現れる不思議な特徴のひとつ、丸とバツの模様が浮かんでいるーーには、強い意思の力が宿っていた。

「(…美しい目)」

どれほど踏みにじられても決して折れない反骨心。東京皇国にありながら、決して皇王と聖陽教に迎合しない、原国主義を貫く浅草。この町を率いる新たな長に相応しい男だ。

「…てめぇは…」

こちらの姿を認めた彼は、杏仁型の目を見開いた。激しい敵意に満ちていた表情に、困惑の色が差す。それはそうだろう、いまだ完全に鎮火していない危険な現場に、ドレス姿の小娘が現れれば誰だって面食らう。
呆気に取られたその顔は、いっそあどけないと言ってもいいほど幼かった。東京皇国各地区の有力者の情報は全て頭に叩き込んでいる。この青年がまだ二十歳になったばかりだということをふと思い出した。例えどれほどの実力があろうとも、まだまだ若造、と言っていい年齢だ。

「(この若さで浅草の町をーーそこに住まう全ての民を背負うことになるこの方を、わたくしはいいように利用しようとしている)」

躊躇いはない。罪悪感も覚えない。そんな感傷を味わう暇など、自分には存在しないのだ。
この時のエイレーネ・フレイアにとって、新門紅丸という青年は、己の大望を叶えるための手駒のひとつに過ぎなかった。
ーーこの時は。


→to be continued
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