青薔薇は焔に散る

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砂糖とスパイス

(連載番外/本編開始前)



女の子って何で出来てるの?
女の子って何で出来てるの?
お砂糖にスパイスに、
そして素敵なものすべて
そういうもので出来てるよ


調子っぱずれな節回しで、ヒカゲとヒナタが何やら歌っている。童謡にしても聞き覚えがないな、と新門紅丸は思った。

「あれはマザーグースですわ」

縁側で茶をすすっていると、視界の端で金色が揺れた。
春の曙光で染め上げたような、目映い黄金色の髪。冬空色の瞳に雪を欺く白肌。卵形の輪郭におさまった繊細な顔立ちは整いすぎて、いっそ人形じみてさえ見える。
憎っくき皇国の象徴。皇王ラフルス三世の孫娘エイレーネ・フレイアは、断りもなく紅丸の隣に腰かけた。花の香りと共にふわり、と白いドレスのスカートが広がる。それは風に揺れる山梔子の花弁に似ていた。

「まざぁぐぅす?」
「イギリスに古くから伝わっていた童謡や民謡のことですのよ。…新門大隊長、イギリスはご存じかしら?」
「昔あったって国の名前だろ。…とうの昔に滅んだ」
「ええ、そうです」

二百数十年前の大災害により、世界中に存在した数多の国家はことごとく滅んだ。繁栄を謳歌していた人類の大半もまた、成す術なく業火に包まれ、灰塵と帰した。
ヒカゲとヒナタのように童謡を歌いながらはしゃいでいた、遠い異国の子供たちも。多くが炎の中で、苦しみ抜いて亡くなったのだろう。歌い手がいなくなり、永遠に喪われた歌だってあるに違いない。
二年前、浅草を見舞った大火を思い出す。あの一晩で多くの同胞が犠牲となった。ーーこの東京皇国に生きる人々とて、常に炎の脅威に晒されているのだ。

「面白い本が欲しいとのことでしたので、わたくしが幼い頃読んでいた全集をお譲りしたんですの。そうしたら、お二人ともお気に召されたようでして。安堵いたしましたわ」

餌付けだけでなく、そういった品でも懐柔しているのか。第7を訪ねる度に律儀に土産物を持ってくるものだから、最初は警戒していたヒカゲとヒナタも今やすっかりエイレーネになついている。浅草の町人たちも同様だ。
無邪気な子供はともかく、偏屈な皇国嫌いも多い町人たちを、よくもまあ笑顔で駆け寄り挨拶するほどまで籠絡したものだ。時に陰口を叩かれることも、不信と疑惑の眼差しを向けられることもあった。並大抵の苦労ではなかっただろうに、エイレーネが紅丸の前で疲弊した姿を見せたことはない。この娘はいつだって、日だまりのような柔らかな微笑を浮かべている。…そういう女だった。
ふいに、エイレーネが詩を口ずさんだ。耳慣れない異国語の詩を。


What are little girls made of, made of?
What are little girls made of?
Sugar and spice
And all things nice,
That's what little girls are made of…


ころころと鈴を転がすような、あるいは滴る雨垂れのような。不思議な響きは言葉の意味もわからなかったが、それでも何故か、耳に馴染んだ。

「さっきヒカとヒナが歌ってた詩か。にしても女が砂糖で出来てるたァ…。ハッ、この詩を作った奴はよっぽど夢見がちか、女日照りだったに違ェねェ」

紅丸とて成人した男だ。それなりの経験はある。その立場から言わせてもらうと、女というのは男よりよっぽどしたたかな生き物だ。ふわふわと甘くて柔らかいだけの、砂糖菓子のような女など、そうそういるものか。

「だからこそ、“お砂糖、スパイス”なのでしょう。ただ甘いだけが女の子ではないと」
「テメェは砂糖と唐辛子が混ざってるっつぅよりも、唐辛子の塊を薄い飴でくるんで菓子に見せかけてるだけだろうよ」
「まあ、新門大隊長ったら。ぴりりと山椒が効いたお言葉ですこと」

絹手袋に包まれた手を口元に当て、エイレーネはふんわりと笑う。薔薇の蕾がほころぶような笑い方だ。そこらの男なら目を奪われてしまうだろうが、紅丸は短く鼻を鳴らす。
この女は、確かに大輪の薔薇だ。その美しさに騙された愚か者は、毒に倒れるまでその花が毒を持っていることに気付かないのだった。

「いけない方。わたくしは構いませんけれど、好い方にはそのような言い様をしてはいけませんわ。泣かせることになりましてよ」
「余計な世話だ。んなもん影も形もねェよ」

そんな結構なものがいたら、この女狐と二人並んで茶を飲んだりはしない。

「あら。あなたほどの殿方であれば、思いを寄せる女性はもちろん。是非とも婿がねに、という話が引きも切らないでしょうに」

勝手なことを言うものだと舌打ちする。
確かに告白をされたことも、浅草の有力者から縁談が持ち込まれたこともある。だが、今のところ紅丸に、それを受けるつもりはなかった。理由は、わざわざ人に明かすことではない。

「うるせェな。まだまだやれ女だ、嫁だと焦る歳でもねェだろ」
「それはまあ…そうですが」
「大体嫁取りって言うなら、紺炉の方が先じゃねェか。長幼の序ってモンがあんだろ。あいつこそ今頃可愛い嫁さん貰って、餓鬼の二、三人こしらえてもおかしくねェだろうが。いや、遅すぎるくれェだ。うかうかしてたらジジイになっちまうぞ」
「それもごもっともですけれども。相模屋中隊長は相模屋中隊長で、『若を差し置いて俺が先に身を固めるなんざとんでもねェ』とおっしゃるでしょうね」
「…」

ありそうな話である。誰もそこまでの献身を求めてなどいないと言うのに。結局紺炉にとって自分は、いつまでも手の掛かる弟分だということなのか。紅丸は重い溜め息を吐いた。

「いっそお二人で合同披露宴を開いてみてはかが?ふふ、きっと浅草を挙げての祭典となりましてよ」
「好き勝手抜かしてんじゃねェ」

くすくすと笑うエイレーネの横顔を、じろりと見やる。

ーー皇王猊下の勅令です、拝聴なさい。

あの日。残り火の燻る浅草の町で冷ややかに言い放った皇孫殿下と、今、自分の隣で微笑む少女は同一人物だ。
とろりと甘い砂糖菓子のようなのは見た目だけ。したたかで冷徹な皇族。けれども、ヒカゲ、ヒナタや浅草の町人とにこやかに交流する姿もまた、偽りはない。二年も付き合えば、それくらいはわかる。
こんなにもややこしく、奇妙で、掴み所のない女は他にいない。なんとも面倒な存在だと、紅丸はつくづく思った。そして特殊消防官である以上、そんな女とこれから先も縁は切れないのだ。

「おいお姫ー、こっち来いよ!」
「若ばっかお姫と話しててずりィぞ!」
「ええ、ええ。今参りますわ」
「オイちょっと待て。ずりィってのはなんだ」

勝手に隣に座られて、勝手に話しかけられたのはこっちだ。なのにヒカゲとヒナタはにしし、としたり顔で笑って見せる。

「そう言いやがるケドよ。若、お姫と話してる時、なんかいつも楽しそうだぜ」
「肩の力が抜けてるってェの?外で別嬪さんと会ってる時より“りらっくす”してんじゃねェか」
「はぁ?」

紅丸は思いきり顔をしかめた。肩の力が抜けている、だと?思わずじろりとエイレーネを見据えれば、相変わらずの笑顔を向けられる。
肩の力を抜いて、“りらっくす”している…だと?まあ、確かにいけすかない皇族だからと、遠慮なく物が言えるところはあるかもしれないが。

「新門大隊長がわたくしと共に過ごす時間を、少しでも心地良いと思ってくださるのなら。光栄なことですわ」
「…ああ、そうかよ」

この言葉だってどこまで真実か、わかったものではない。だいたい自分や紺炉のことを結局は道具扱いしているのには腹が立つし、町人に働きかけて皇国資本の企業や文化を広めているのも気に食わない。
だがーー。紅丸も決して、エイレーネを疎んでいるわけではない。何だかんだで浅草の人々を助け、利益をもたらしてくれていることには感謝している。今際の際でも言うつもりはないが。

「(砂糖、すぱいす、素敵なもの…か)」

甘いだけの女ではない。だからこそ、皇族でありながら浅草の人々の信頼をも勝ち得てみせたのだ。
ヒカゲ、ヒナタに手を引かれるエイレーネの髪は、午後の日差しを浴びて輝いている。ーーその眩しさに、紅丸は目を細めた。



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