下書き

□私の知らない私の話
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サーヴァントの身というのは本当に便利だ。多少の怪我を負っても魔力の余裕さえあれば治るし、体力、膂力など身体能力が格段に上がったし、生前よりずっと夜目も利く。
長尾景虎がぱちりと目を開けると、吐息が感じられるほど間近に、精悍な男の寝顔があった。明かりを落とした室内は薄暗いが、男、武田晴信の男らしくくっきりとした眉や、通った鼻筋、形の良い唇が、景虎の目にははっきりと映る。

「(相変わらず、無駄に下睫毛長いですね〜。マッチ棒引っ掛けられそう)」

道行く若い娘が頬を染めて振り向く色男ではあるが、勿論、景虎は今更彼の容貌にうっとりと見惚れはしない。ただ晴信の顔だ、と思うだけだ。例えその顔に大きな刀傷が刻まれようと、火傷に覆われようと、彼を追いかけ回すのを止めないだろう。なにせ、景虎が惹かれたのは武田晴信という武将の見てくれではなく、燃えるようなその魂の輝きだったので。
枕元のデジタル時計を確認すると、そろそろ起床時間だった。寝坊しては朝食を食いっぱぐれしてしまう。多くのサーヴァントと同じように、景虎もまた、古今東西の料理が楽しめるカルデア食堂の食事が毎日の楽しみなのだ。
景虎は部屋の明かりをつけ、ごそごそとシーツから身を起こした。“昨晩は”酒盛りの後、文字通りただ同じベッドで一緒に寝ただけだったので、普通に夜着姿である。
酒瓶と共に彼の部屋へ押しかけるたび、晴信は「帰れ」と眉をしかめてみせるものの、なんだかんだで景虎を招き入れてくれる。諦め半分かも知れないが、景虎は(晴信本人は死んでも認めないだろうが)晴信も案外、まだ知己も少ない召喚されたばかりのカルデアで寂しい思いをしているのかも知れない、と思う。生前、大勢の妻や子供たち、臣下に囲まれていた男なのだ。
だったら個室を取らず、ボイラー室にいればよかった気もするが、流石に人数が増えすぎた今は手狭すぎる。…サーヴァントとなってからはやたら常識人ぶる晴信だ。ぐだぐだサーヴァントのトンチキなノリについていけてないのだろうか。生前、周辺国に喧嘩を売りまくっていたくせに。いや、当時の甲斐国の事情的に仕方がない部分もあったとわかっているが。

「晴信、晴信。起きてください、朝ですよ。今日は朝一番でシミュレーター借りて川中島しようって約束したじゃないですか」

ゆさゆさと揺さぶるも、晴信は起きない。「約束したんじゃない。お前が勝手に言っているだけだ」とでも返ってくるかと思ったのに。返事がないのはつまらなかった。昨夜の酒が変な風に残っているのだろうか。

「晴信」

今も少し、不思議な気持ちになる。
景虎は今、かつて戦場でしか対峙しなかった男の無防備な寝顔を見下ろしている。その気になれば、この首をへし折ることもできる。勿論、つまらないのでそんな事をしようとは思わないが。
つんつんと頬をつつけば、晴信がうう、と小さく呻いた。

「三条…もう少し寝かせてくれ」
「おやおや」

越後の龍と愛妻を間違えるとは。三条の方に怒られますよ、と景虎は小さく笑った。楽しい後朝の夢でも見ているのだろうか。
晴信のやたらと高い鼻を摘んでやる。さすがに苦しかったのか、咳き込みながら目を覚ます晴信に、景虎は軽やかな笑い声を上げた。




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