青薔薇は焔に散る

□第三章
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執務室に戻ってすぐ、エイレーネはとある書類を認めた。皇族のみが用いることができる封蝋で封印したそれを、とある高官に超特急で届けるよう手配し、山積する書類の山と格闘する。
すっかり夜が更けた頃。アイリスを監視させていた工作員より追加報告が入った。

『ーー対象を乗せたタクシーは、中央道を北に進行中。殿下の仰る通り目的地は第特殊教会本部だと思われます。到着予想時刻は三十分後かと』
「そうですか、引き続き監視を続けてくださいな。到着次第、また連絡をお願いしますわね」
『了解いたしました』

明瞭な返答に笑顔を浮かべ、エイレーネは通話を切った。焚き付けた甲斐があったもので、アイリスは通常業務が終了してすぐに行動を起こしてくれたようだ。

「そろそろ第8の皆様が、シスター・アイリスの失踪に気付かれる頃でしょうな」
「ええ。そろそろわたくしの元にも連絡が…」

ハロルドの言葉に頷いたところで、タイミング良く電話のベルが鳴る。エイレーネは再び受話器を取った。

『殿下、夜分遅くに失礼致します』

緊迫した声音は第8特殊消防隊大隊長、秋樽桜備のものだ。

「まあ、桜備大隊長。いかがなさいましたの?」
『実は…アイリスの姿がどこにも見当たらないんです。どうやら誰にも言わずに教会を抜け出したらしい。アイリスは俺たちに無断で夜遊びするような子じゃない。殿下、彼女がどこに行ったかご存じありませんか?』

エイレーネはあくまで穏やかに、そしてにこやかに言葉を返した。

「あら、わざわざわたくしに訊ねる必要がありまして?桜備大隊長にはすでに見当がついているもののお見受けしますわ」
『もしや、殿下がアイリスを唆したのですか?』
「唆した、などと人聞きの悪い」

やや固さを増した桜備の声に、内心鼻で笑い飛ばしたくなった。
桜備が人格者であることをエイレーネとて否定しない。だが、ただ高潔なだけの人間に勤まるほど、特殊消防隊の大隊長と言う地位は甘いものではない。

「あなたも最初から“そのつもり”でシスター・アイリスを第8に迎え入れたのでしょうに」
『…ですが、これはやりすぎです。直接乗り込むなど危険すぎる』
「ご心配なく。火華大隊長がシスター・アイリスを傷つけることは万にひとつもありませんわ。惨劇の後ただ一人生き残った“家族”なのですから」

人を見る目はあるつもりだし、各隊の大隊長については綿密に情報を収集している。
火華はサディスティックな性格をしているものの、身内への情は深い。義妹アイリスに無関心な風を装っていても、その実事件後彼女が引き取られた修道院に度々連絡し、その様子を尋ねていたことはすでに調べはついていた。

「シスター・アイリスよりもむしろ、これから第5へ乗り込もうと言うあなた方の身の方が危険なのではなくて?」
『…そこまで読んでいらっしゃいますか』
「第5と第8の合同演習申請書は、すでに消防長官に提出致しました。人的・物的被害は最小限に押さえるよう心がけてくださいましね。さすがに死者でも出た日には、わたくしも庇いきれませんわ」

滔々と告げるエイレーネに、桜備は怒りも通り越して感心したようだった。

『我々は結局、あなたの思い通りに動かされる駒と言うわけですか』
「ふふ。乱暴な方法ですけれど、他の道がないのも確かでしょう?それに第8の皆さんは、むしろ賛同されるのではなくて」

喧嘩っ早い森羅とアーサーは無論のこと、中隊長の火縄もあれでなかなか過激な体育会系だ。こそこそ第5の弱味を探るよりも、正面突破する方が性に合っているだろう。
アイリスは恐らく火華の手で拘束されている。合同演習と言う建前や、人体発火現象の研究成果の調査という表向きの理由だけでなく、“囚われの仲間を助けるため”という正当な理由があれば、士気も高くなる。
問題は第5側をどう納得させるかだ。第5の消防官たちは、皆才色兼備の誉れ高い火華の信奉者。つまり彼女の協力さえ取り付けられれば、今回の騒動を丸く収めることができる。
その方法も、すでにエイレーネは思い付いていた。

『まあ、確かに…新参ものの俺たちが第5を相手取ったら、まともな手段じゃ手も足も出ないのは明白でした』

桜備は覚悟を決めたようだった。一度こう、と決めたら思いきりのいい男だ、もはや迷いはないと見える。

『俺からも消防長官に話をつけましょう。火縄たちには先行してもらいます』
「ならば機動力がある森羅隊員が撹乱に回るのでしょうが…。火華大隊長と相対するのは彼にお任せするべきですわね」
『森羅に?ですが、あいつ一人というのは…』

昨日の戦闘では遅れをとったが、相手の能力について知識のある今回はもう少し上手に立ち回れるはずだ。それに。

「火華大隊長のような物事をややこしく考えがちの方は、森羅隊員のように真っ直ぐな信念をお持ちの方に心揺らされるのではないかと思いましたの」

そもそも第三世代能力者の火力なしに彼女に敵うまい。森羅かアーサーの二択ならば、アイリスへの思い入れが強いであろう点からも、森羅の方が適任である。
何より、森羅は火華と同じ痛みを抱えている。愛する家族を炎に奪われる、という絶望と悲しみを。きっと、彼女の理解者になれるはずだ。
もっとも、楽観論だけで事を進めるわけにはいかない。森羅の説得が聞かなかった際はエイレーネが直接乗り込むつもりだ。それでも無理だった場合は致し方ない、火華を大隊長の座から引きずり下ろすことになるだろう。幸いといってはなんだが、スポンサーの灰島も反対はしないだろうし。

「(ですがその場合は、シスター・アイリスの不興をかうことになるでしょうね)」

できれば八方丸く収まって収まってほしいものだと思いつつ電話を切り、そばに控えるハロルドに指示を飛ばす。

「火代子伯母様…黄大隊長に連絡をお願いしますわね。いくらか医療班を回していただかなくては」

第6特殊消防隊の大隊長、火代子 黄はエイレーネの母親セレステの従姉妹。第6は医療に特化した部隊であり、火代子自身、優秀な医師でもある。本部はなんと病院であり、彼女はその院長を勤めているのだ。

「しかし、第8はともかく“侵入者”を相手取る第5の隊員らは、本気で攻撃を仕掛けてくるでしょう。少人数の第8で敵うものやら」
「問題はありませんでしょう。数は少なくとも、第8の方々はわたくしとお父様が見出だした精鋭揃いですもの」

そもそも“焔ビト”の研究を主体とする第5では、実戦的な隊員がそれほど多くない。脳内で所属隊員リストをめくり、ひとつ頷く。火華大隊長さえ押さえられれば、他の隊員を片付けるのは余裕のはずだ。むしろ第5の設備に多大な損害を出してしまい、灰島にチクチク嫌味を言われることを心配するべきかもしれない。

「ただ一方的に叩きのめすだけでは禍根が残りますわね。ここは昨日の敵は今日の共、杯を交わしてハッピーエンドの力業で乗り切りましょう。じいや、バーベキューセットの手配を。ノンアルコールビール、それと未成年の隊員の皆様のためにソフトドリンク各種と菓子類。和やかな雰囲気の演出のため、119も派遣して…」

裏でこそこそ陰謀を企む側も、決して楽なものではないのである。桜備はエイレーネのことを、他者を駒のように操る策略家のように思っているようだが、現実世界は盤面よりも複雑だ。駒を動かすにしても、面倒な根回しだの、手続きだのが必要になる。
二つの消防隊が衝突する以前より、せっせと事後処理に勤しむエイレーネ・フレイアの夜は、今宵も長くなりそうだった。


◇◇◇


マッチボックスで第5の本拠地であるコンビナートに強硬突入した第8の隊員たちは、泡を食って迎撃に飛び出した第5の面々を圧倒した。
火薬の精密操作に長けた火縄が、殺傷力を押さえた銃弾で次々と襲い来る消防官らを気絶させれば、茉希が第三世代能力者の炎から仲間を守る。アーサーは(調子が乗っている時に限ってだが)卓越した剣技でもって、第5の研究者に強化改造を施された宮本を鎮魂せしめたという。
そして、火華大隊長と対峙した森羅はーー。



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