青薔薇は焔に散る

□第三章
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車道の真ん中に立つ黒い人影ーー“焔ビト”。呆然と立ち尽くす歩行者の少年にその手が伸ばされたーー瞬間。十六夜が投擲した一式消防斧がブーメランのごとく風を切って宙を飛んだ。過たず“焔ビト”の脳天に突き刺さる。

『…ッ、ギャァアアッ!何すんだテメェ!!』
「え、喋ったぁ!?」
「まあ、自我を持つ“焔ビト”とは珍しい」

通常、“人体発火現象”により“焔ビト”となった時点で、その人間の意識や人格はほとんど全てが喪われる。意味のないうわ言や叫び声を発する個体は少なくないが、こうもはっきり意思の通じる“言葉”を話す“焔ビト”は、過去に数えるほどしか例がないはずだ。
追い付いたエイレーネが感心していると、上空から「姫様、十六夜さーん」と声が聞こえてくる。そう言えば、ここは第8の管轄だった。烏のごとく空から舞い降りた森羅が、“焔ビト”を蹴り飛ばす。頭部の両側を燃やす巨体は物の見事に吹っ飛んで、近くに駐車していた車にぶつかった。

「大丈夫?危ないから離れて」
「さあ、こちらにいらっしゃいませ」
「は…はいッ!」

混乱しながらも健気に頷く、中学生くらいの少年。エイレーネは彼の手を引いて、離れた場所まで退避した。
自分の能力は戦闘向きではない。下手に前に出れば森羅たちの邪魔になるだけだ。エイレーネのできる一番の貢献は、足手まといにならないよう引っ込んでいることである。

「きゃぁあああっ!!」
「ほ、“焔ビト”…“焔ビト”だ!!」
「皆様、落ち着いて避難を。あちらへお逃げください。転ばないようお気をつけあそばして」
「あんな若ぇ隊員一人と姉ちゃんだけで大丈夫かよ、おい!?あ、あいつ、なんか強そうじゃねぇか」
「お若くとも、森羅隊員は立派な消防官ですわ。わたくしの護衛も実力は折り紙つきですの。心配は必要ございません」

エイレーネはパニック状態の市民たちをせっせと避難誘導した。“人体発火現象”が頻発しているとは言え、実際に好戦的な“焔ビト”の前に居合わせたら混乱し、狼狽えてしまうのも無理はない。
機動力がある森羅が先行したのだろうが、第8の他の面々はいつ到着するのだろうか。

『いってぇ…寄ってたかって人のお楽しみを邪魔しやがって。俺が消防士時代に何人助けたか知ってんのか?』
「え、消防士って。こいつ…まさか」
「はい。こいつは殺人犯の元消防士、宮本です!裁判中に“焔ビト”になって、裁判所から逃げ出して…!」

朝話題になった人物と、こんな形で再会するとは。エイレーネも驚きだ。外道が堕ちるところまで墜ちた、といったところか。裁判中に“焔ビト”化したとすれば、何人犠牲者が出たことか。想像するだに痛ましい。

『“焔ビト”時代に何人か殺しても文句ねェだろ!?』
「お前は消防士時代にも殺してんだろ」
『足し算引き算もできねェのかこの…ギャフッ!?』

バンバンバン!!と響く銃声が、聞くに耐えない妄言を遮った。十六夜が至近距離からハンドガンを連射したのだ。さすがは意思を持つ“焔ビト”なだけあって硬い。ダメージはあるようだが、銃弾は容易く跳ね返されてしまう。

「容赦ねぇ…」
「クズの言い訳なんて聞いてる暇ないんでぇ。姫様、申し訳ありませんけど鎮魂のお祈りお願いできますぅ?」
「十六夜、あなた第1の出身でしょう。シスター資格を有しているのではありませんの?」

十六夜はマガジンを交換しつつ、そっぽを向く。どうやら祈りの文句を綺麗さっぱり忘れてしまったらしい。敬虔な神父でもある父親が聞けばさぞや嘆くことだろうと、エイレーネは正直呆れた。

「短期シスター資格受講コースの申し込み手続きを、今日中に行いますわね」
「えっ、そ、そんなのいいですよぅ!私もう消防官じゃありませんし!」

さて、どうするか。本来曲がりなりにも皇族の自分が必要以上に身を危険に晒すなど、言語道断なのだがーー。
1秒にも満たない沈黙の後、エイレーネはにこやかに前に出た。避難誘導はほとんど終わり、近くに通行人の姿はない。だが、近隣の建物の中からこちらの気配を伺っている者は多数いるだろう。一般人の前で祈りなしに“焔ビト”を“鎮魂”するわけにはいかない。ただでさえこの殺人犯のせいで批難を浴びる消防庁だ、これ以上批判の矛先を増やすのはまずすぎる。

「十六夜が手足を潰…封じたあと、火力のある森羅隊員がコアを破壊するのが良いでしょう。お願いできまして?」
「は、はい!了解です、姫様!」

心ない者たちから悪魔だなんだと謗られているが、森羅の本質は心優しい少年だ。例えどれほどの屑でも、人語を解す人型、というだけで罪悪感を抱いてしまうかもしれない。普段“焔ビト”ではなく人間と(あらゆる意味で)戦うエイレーネはまったく躊躇を覚えないし、十六夜もあれで冷めたところがあるため大して気にしないだろうが、トドメを刺す森羅の心に傷が残っては大変だ。ぐずぐず時間を掛けてはいられない。

『舐めやがって…!助けた数と殺した数の帳尻、てめェらで合わせてやらァ!』

宮本の顔に、今や目も鼻もない。剥き出しになった歯が両手に燃える炎を反射してぎらりと光る。

『小娘、まずはテメェからだ!』
「姫様!?」
『まずは一匹ィ!!』

宮本が放つ炎弾が近くの自動車に直撃する。勢いよく跳ねた車体が迫り来るのを、エイレーネは目を逸らさずに見据えた。
さっと視界に影が映った。鮮やかなオレンジ色のツナギが目に眩しい。

「どこまでもゲス野郎が」
『その車をどう受け止める気だ?ははは、自慢の蹴りでなんとかしちゃうの?やれるもんならやってみーー』

宮本の嘲笑は、そこで途切れた。森羅が足を振り上げ、自動車を真正面から蹴り飛ばしたのだ。1トンはあろうかという中型車は高々と宙を飛ぶ。
当然、とても生身の人間にできることではない。恐らく蹴りの瞬間に高威力の爆発を起こしているのだろう。まだ訓練校を卒業して数ヵ月しか経っていないのに、在籍当時とは見違えるような技のキレである。第8での指導は着実に彼を成長させているようだ。

「姫様、お怪我は!?」
「大丈夫ですわ。ありがとうございます、森羅隊員。お見事ですこと」
「勿体ないお言葉です!っと!」

森羅が勢いよく地面を蹴った。周囲のビルよりも高く飛んだ自動車を追いかけるようにして飛び上がり、その勢いのまま車体を叩き落とす。
隕石のごとく降ってくる自動車。宮本はほうほうの体で避けたものの、落下の衝撃に尻餅をつく。アスファルトに突き刺さる車体の上に、森羅がとん、と着地した

『なんなんだお前は…。あ、悪魔…』
「違う。消防官《ヒーロー》だ」
「きゃー!格好いいですよ森羅く〜ん!」
「やめてくださいよ十六夜さん」

すかさずエイレーネを庇った十六夜に称賛され、森羅はトマトのごとく真っ赤になった。なんとも初々しいことだ。
エイレーネは毅然とした足取りで宮本の前に進み出る。凶悪な“焔ビト”を前に微塵も怯まず、蒼窮を映した瞳で元消防士を見下ろした。
恐怖を乗り越え炎に飛び込む消防士たち、苦しみを抱えながら“焔ビト”を鎮魂する消防官たちの姿を、自分はよく見知っている。だからこそ道を誤り、罪なき人を手に掛け、あまつさえそれを正当化するこの男は、どうしようもなく目に余った。エイレーネとて裏ではお天道様に顔向けできないことに手を染めることもあるが、少なくともそれを正当化するつもりはない。

「ーー節男 宮本。太陽神の御元に還る時が来たのですわ。主の御腕たる炎炎の焔の中で、己の罪業を悔い改めなさい」
「ふ、ふざけんなァ!!小娘が何を偉そうに…!!」

宮本が炎をまとった腕を振りかざす。が、瞬時に反応した森羅がその右腕を蹴り飛ばした。悲鳴を上げたところに十六夜の銃撃が続き、たまらず宮本はのけぞり膝をつく。

「…救いようのないクズが」
『クソがァ!なんで俺がこんなガキどもに…!何がヒーローだ!人を助けて何になる!』
「…“炎ハ魂ノ息吹…黒煙ハ魂ノ解放…”」

エイレーネの朗々とした詠唱が響き渡る。例え人倫に悖る悪党だとしても、かつて“ヒト”であったことには変わりない。祈りの中で終わらせてやることが、せめてもの慈悲だと思った。
森羅が前へと踏み出す。彼の足が宮本を貫こうとした、その時。
ひらり、と。花弁のように火の粉が舞った。




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