★オルギスの盾と片恋の王

□Story-06:ニルティギスの惨劇
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(Story-06:ニルティギスの惨劇)

何も見えない。目を開いているのか閉じているのかもわからない。
認識できるのは真っ黒な闇。
強烈なまでの光の明滅を見たと思った瞬間、リゲイドの瞳は世界をうつすことをピタリとやめた。


「か…っ…かあ、さま?」


ひゅーひゅーと風が体を通り抜けていくのがわかる。


「どこ、へ…っ…なに、が?」


時折、パタパタとどこかの家に干されていた洗濯物が風に吹かれて揺れているのか、リゲイドが前に進むたびに、静寂に包まれた風の音だけが聞こえてくる。
一切の静寂。誰も何も答えてはくれない。


「母様?」


リゲイドは恐怖を感じながらも両手を前に出して先ほどまで見えていた存在の行方を捜していた。


「母様?」


聞こえてくるのは風の音だけ。いや。
ぴちゃ、ピチャッ。
いつの間に雨が降ったのか、リゲイドの足がよろよろと歩くたびに靴底が水たまりに沈んでいく。


「うわっ!?」


どさっと何かにつまづいて、リゲイドは水たまりの中に盛大に顔から突っ込んだ。


「ってぇな。」


自分は何もない道を歩いていたはずだった。
物心つく頃から住み慣れた土地。たとえ視界を奪われるようなことになったとしても、小さな村の地図など幼いころから頭の中に入っている。それこそ、家の軒先に置かれた樽の位置から、野良猫が昼寝する位置まで、視界に頼らなくても思い描けるほどに住み慣れた村だった。
だからこそ、躓いて転ぶなんてありえない。


「誰がこんなところに棒なんか。」


そこまで言って、リゲイドは何かの違和感に気がついた。


「え?」


身体を起こす前に、わずかに指先に触れた感触が脳に違和感の正体を伝えてくる。


「ま…っ…さか…そ…っ…な。」


声が震えるのは警戒心か、それとも正常心なのか。リゲイドは記憶をたどる中で、自分の目が見えないことを呪う。
雨なんか降っていない。
今日は、雲一つない晴天だった。
それに気づいたリゲイドは、ある可能性にたどりついて、焦燥にかられたまま両手でその場を必死に探った。


「ッ!?」


顔から突っ込んだせいで全身にかかるドロリとした生臭い水たまり。
昼過ぎだというのに、人の声はおろかネコや鳥の声さえも聞こえない村。
風の音だけがやけに冷たく聞こえてくるせいで、それは紛れもない真実だということをリゲイドに伝えてくる。


「か…っ…あ…さ、ま?」


自分の目が見えないことが恨めしい。
リゲイドはガタガタと震えそうになる緊張感の中、自分がつまづく原因となったものに両手を這わせていた。
柔らかい木の棒。少し重たいような自然界のモノではない肉の塊。
それを滑るように探った先で、五本に分かれた枝のような形状に、リゲイドの胃袋から嗚咽がこみあげてくる。


「っ…ぁ〜〜〜〜っぅあ」


目が見えていればきっと気が狂っていたに違いない。すでに狂いかけた脳の回路は焼けこげるような熱さでリゲイドの両目を責め立ててくる。
あの時、両目に走った閃光。
それが人の腕の切れ端だということに気が付いた瞬間、リゲイドは恐怖に支配されるように叫び続けていた。


「うっぁああぁあっぁああ」


誰のモノかもわからない。願ったのはそれが母親ではないことだけ。
けれど、その保証はどこにもなかった。なぜならリゲイドの耳には先ほどから風の音しか聞こえない。
人も鳥も猫も子供の声も馬車を引く音も聞こえない。まるで世界の中にリゲイドがたった一人で存在していたかのような絶対の孤独が襲ってくる。


「嘘だ、ウソだ、うそだうそだうそだうそだ」


壊れた玩具のようにリゲイドの叫び声だけが狂気に支配されて繰り返される。
信じたくない。
誰が信じられるだろうか。
何の前触れもなく、自分だけを残して、全てが死に絶えた現実世界を一体だれが受け入れられるだろうか。


「リゲイド、リゲイドっ!!」


あれはまだ記憶に新しい昨日のこと、リゲイドはいつものように母親に顔を叩かれていたはずだった。
元は気性の穏やかな女性だったが、いつの頃からか手を上げるようになり、年を重ねるごとにその激しさは増していった。


「何度言えばわかるのだろうね、このクズ!役に立たないのなら、産むんじゃなかったよ。」


そして左頬に走る激痛。


「なんだい、その目は。悔しかったら、あたしらをこの村に追いやった王族を恨むんだね。」


そのまま殴られ、けられ続けるのはもう日常茶飯事だった。
たしかに死んでほしい、いなくなってほしいと願っていたことは否定しない。
他の家庭が当たり前のようにもっている穏やかな日常など、リゲイドは生まれてから一度も体感したことはなかった。


「お前が生まれて三年間。それまで、あたしは王宮にいたんだ。」


また母の独り言のような回想劇がはじまる。


「なのに、ゴル陛下ときたらアドリナとの政略結婚にあたしらを追い出したんだよ。」


そして泣き始めるのもいつものこと。


「ああ、リゲイド。お前だけは、お前だけはこの母を見捨てないでおくれ。」


泣いたついでに、叩いたこと、殴ったこと、蹴ったことをリゲイドに詫びていた。
リゲイドにとってはそれが日常。毎朝のお決まりの光景。
実のところ母の戯言が真実かどうかなどどうでもよかった。現実はさびれた村に住み、雨漏りどころか薄い木の板を張り付けたような掘立小屋に住んでいる。王宮も政略結婚も関係ないし、どうでもいい。
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