1ページ目

□誕生日を祝いたい
2ページ/3ページ

やがて午後になり、正装する為にユフィの実家へ。
神社への参拝はユフィとゴドー、五強聖、そしてウータイの誇る精鋭部隊が同行するらしい。
勿論自分は部外者なので同行は出来ないが、ユフィの知り合いという特権で一番最初に晴れ着を見れる権利を得た。
今は客間に通されて座布団に座り、ぼうっと天井を眺めている。
縁側から流れる秋の風と耳に心地良く響く風流な鹿威し、心を落ち着けてくれる熱い緑茶。
これら全ての要素がヴィンセントの無意識の緊張感を解きほぐし、体中の力を抜いてくれる。
こんな風に全身の力を抜いたのはいつぶりだろうか。
勿論いつかのディープグラウンド襲撃のような事件がいつ起きるかも分からないので気を抜かないようにしなければならないのだが、それでも今この時間だけは・・・。

「ヴィンセント殿」

切り取られた空間の一部になりかけた時、ガラッと襖が開かれてゴーリキが顔を出した。
彼はいつもの落ち着いた簡易な着物ではなく、袴と家紋と呼ばれる印が刻まれた羽織を身に纏っていた。
人とは不思議なもので、着る服が違うだけで雰囲気が変わる事がある。
今のゴーリキも同じで普段の柔和な雰囲気とは少し違う、厳かな強聖の風格があった。
この分だと他の強聖やゴドーも同じように雰囲気がガラッと変わっているだろう。
さて、ヴィンセントは珍しくぼんやりと呆けていた事を悟られまいと静かにゴーリキの呼びかけに反応を返した。

「何だ」
「ユフィ様のお着替えが終わるまでの間、ヴィンセント殿も着物に着替えては如何かと思いましてな」
「着物に?」
「ええ。ゴドー様がお若い頃に一度だけ着た着物で良ければですが」
「一度しか着なかったのか?」
「何でもお色が合わなくて着てすぐに諦めて脱いだとか」
「そんな苦い思い出があるのか・・・それはさておき、本当に私なんかが着ても良いのか?」
「勿論でございます。ゴドー様も承諾して下さっていますし、ユフィ様もそう望まれているので」
「ユフィが?」
「ええ。たまには着物などの変わった服を着て気分転換をしたらどうか、と」
「・・・」

着物を着て気分転換と聞いてヴィンセントはしばし考え込む。
正直今の服装の方が色々楽だしケルベロスの納め所に困らなくていいのだが、この恰好で町中を歩くとなれば少々目立つだろう。
いつもはユフィが一緒だから気にしていなかったが一人となれば話は別だ。
人目を引くのを好まないヴィンセントにとってはなるべくなら避けたい。
それからウータイのことわざで『郷に入っては郷に従え』という、要はその土地の慣習に従えという意味の言葉がある。
今日というユフィの誕生日の空気感を壊さない為にも合わせる必要があるだろう。
それに―――

「・・・確かにたまには悪くはないな」
「と、言いますと?」
「着物を貸してもらえないだろうか」
「勿論ですとも」

着物は前々から少し着てみたいと思っていた。







「おお!よく似合っておりますぞ、ヴィンセント殿!」

貸してもらった着物の着付けをゴーリキに手伝ってもらい、どうにかこうにか完了した所で姿見の前に立つ。
衿は全く乱れておらず、綺麗に真っ直ぐに伸びている。
帯もしっかり巻かれていて緩む事もなさそうだ。
そして自分で言うのもなんだが―――見慣れている所為もあるだろうが―――深紅の着物が凄くしっくりきていた。

「これは想像以上ですじゃ」
「そうか?」
「そうですとも!ヴィンセント殿は赤がよく似合いますなぁ」
「普段から赤のマントを着ている所為もあるかもしれないな」
「いやいや、それを抜きにしても似合っておりますぞ」

ここまで褒められると少し照れてしまう。
試しに着てみて正解だった。
ユフィに見せたら何て言うだろうか。

「失礼する」

襖の向こうから女性の一言が聞こえたかと思うとそれは開かれ、同じく普段とは違うものを身に纏ったチェホフが姿を現した。
主張し過ぎない控え目の紫色の着物は貞淑で厳かで慎ましやかな彼女にはぴったりだ。

「ゴーリキ、ヴィンセント殿の着替えは終わったのか?」
「ええ、今しがた」
「そうか。こちらもユフィの着付けと化粧が終わった所じゃ。
 ヴィンセント殿、出発までの少しの間、ユフィの部屋でユフィの相手をしてもらっても良いかのう?
 自分の晴れ姿を見せて腰を抜かせるだのと宣っておるのじゃ」
「分かった。頑張って腰を抜かしてくるとしよう」

冗談っぽく言ってみればチェホフはおかしそうに笑い、ゴーリキも苦笑を漏らして「ユフィ様に蹴られないようにお気をつけて」と言葉を添えてきた。
晴れ着姿なのだから流石に蹴られる事はない、なんて事はユフィに限ってはない。
着崩してでも蹴ってくるのがユフィだ。
さて、何と言ってからかってやろう。
迷う事なく廊下を曲がってユフィの部屋を目指しながらからかう内容を考える。
頬を膨らませるか、唇を尖らせるか、どちらの表情をさせようか。
色々なプランを練りながら襖の前で立ち止まり、「入るぞ」と声をかけると「う、うん!」と返事が返ってきたのを確認してゆっくり襖を開け放つ。
すると―――

「よ・・・よっ!」

鮮やかな赤と黄色、そして紅葉の柄が刺繍された着物を纏った花が・・・いや、ユフィが化粧台の前に座っていた。
ユフィが少し戸惑ったような声をあげなければ本当に花がそこに咲いていると錯覚していただろう。
そう思う程に目の前のユフィは可憐に輝く花のようだった。
着物もチェホフのような着物ではない、かなり上等でランクが上の着物なのは火を見るよりも明らかだ。
そもそもの着物自体が豪華且つ華やかで布も良い物を使っているのが分かるし、部屋の電気の光を受けてキラキラと輝いている部分もある。
それ一つだけで一種の芸術のようでもあった。
そうやって言葉を失ってヴィンセントが立ち尽くしているとユフィが「おーい!」と手を挙げて振って来た。

「どーしたどーした〜?ユフィちゃんがあんまりにも美しすぎて見惚れちゃったか〜?」
「・・・いや・・・それより随分豪華な着物だな。それが行事用の正装なのか?」

素直に認めるのが悔しくて言葉を曖昧に濁して話題を変えた。
しかしユフィは気にならなかったのか、普通に着物について説明してくれた。

「そーだよ、行事用に着るものでこれは『振袖』って言って他の着物よりもランクが上の着物なんだ」
「そうなのか。どうりでチェホフの着物よりも見た目や質感が違うと思った」
「ま、簡単に言えばドレスみたいなもんだね。ドレスと同じで高くつくけど」
「はしゃいで汚したりしないようにな」
「流石のアタシでもそんな事しないっつーの!」
「子供は何をしでかすか分からないからな」
「なんだとー!?誰が子供だっ、てっ・・・!!」

はしたなくも腕を大きく振り上げて立ち上がったユフィだが、足袋と呼ばれる白い靴下のようものの材質の所為か、表面がツルツルの座布団の上を滑った。
結果、ユフィはお決まりのように足を滑らせて前につんのめる形で体勢を崩す。
それをヴィンセントがすかさず抱き留めて―――ほんの少しよろめいたものの―――転倒を防いだ。
だが抱き留めた瞬間、ふわりと金木犀の甘い香りが鼻腔を満たす。
キツすぎず、薄すぎない程よい強さの香り。
本当に金木犀の花を抱きしめているのではと錯覚しそうになった。
この部屋に入ってユフィを花と見間違えたり、花を抱きしめているようだと錯覚したり、今日の自分はユフィに惑わされてばかりだ。
もしかしたらお茶だと思って飲んでいたものは実は酒で、自分は今酔っ払っているのかもしれない。

「ぅ・・・ごめん、ありがと」
「・・・振袖は崩れてないか?」
「うん、どこも着崩れてる感じはしないかな。化粧はどう?」

尋ねられてユフィの頬に手を添える・・・が、チークが崩れると申し訳ないので顎に指をかけて上向かせた。
美しい曲線を描いている眉、秋を思わせるようなアイシャドウ、ほんのりと色づいている頬、最後に真っ赤なリンゴを思わせる唇。
ぽってりと熟れていて美味しそうだ。
釘付けになりそうになるがそれは黒曜の瞳が許してくれなかった。
吸い込んで無限の闇に落としていくような真っ黒な瞳。
表面ではヴィンセントを映しているそれは、奥底に一体何を隠しているのだろう。
確かめる方法があるなら知りたい。

「おーい、ユフィー!準備は終わったのかー!?」

玄関の奥から聞こえてきたゴドーの呼びかけるような大きな声にハッと我に返って慌ててユフィを開放する。
ユフィの方も肩を跳ね上がらせるとすぐさま離れてゴドーの呼びかけに答えた。

「お、終わってるよ!すぐに行くから待って!・・・じゃ、じゃぁヴィンセント、アタシ行くから」
「ああ・・・私は裏口から出ればいいんだな?」
「そ。裏口の戸締りは円月輪隊の部下がやってくれるから気にしなくていいよ」
「分かった」
「夕方には終わって戻ってくるからさ。その後は亀道楽でアタシの誕生日パーティーだからしっかりお腹空かせておけよ〜?」
「好きに注文をしていいのならな」
「もっちろん!今日は親父が払ってくれるから好きなだけ天ぷらでも肉団子でも何でも頼んじゃっていいぞ〜!」
「フッ、ではしっかり腹を空かせておくとしよう」

行ってきまーすと言い残すユフィを見送ってから自分も裏口からユフィの家を出た。
それからなるべく離れた所に立って列を眺めてみると、かなりの大行列となっていた。
ユフィとゴドー、そして五強聖を囲むように隊列を組むウータイの精鋭たち。
町の人たちはこぞって通り道を作るかのように道の脇に立ってソワソワと浮足立ちながら大行列を注目している。
それこそ中々見る事の出来ない貴重な行事だから、みんなこの目に焼き付けようと必死だ。

(それにしても大人しいユフィというのも中々の見物だな)

普段はまるで嵐のように騒がしいユフィだけれど、今この瞬間に限ってはまるで借りてきた猫のように大人しかった。
こんなユフィもまた、滅多に見られないだろう。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ