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□夜桜を見たい
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陽もとっぷりと沈み、美しい満月が顔を出す。
そろそろ夜桜を見る頃合いだろうと思ってユフィの方を振り返る。
が、ユフィは昼間はしゃぎ疲れたのもあって座布団を二つ折りにして枕にし、ブランケットを被って夢の世界を旅していた。

「起きていられると言ったのは誰だろうな」

やれやれといった感じに呟いて苦笑を漏らし、メモ書きを残す。
内容は夜桜を見に行く事とこの家の鍵をかける為に鍵を借りる、というものだ。
きっと起きてこれを読んだら憤慨するだろうと予想するが、かと言って無理矢理起こすのは忍びない。
それにユフィの事だ、もう少し寝かせろとか言って粘るに違いない。
そういった様々なものを含めてユフィに遠慮すると家の鍵を拝借して夜桜鑑賞の旅に出た。







温かい太陽の光とは対照的に冷たくもどこか優しさのある月の光を浴びて舞い散るウータイの桜はやはり美しい。
流れ落ちる桜の花びらはまるで涙のようにも見えて思わず慰めてやりたくなる。
昼間に見た桜とはまた違った幻想的な光景にヴィンセントは一人静かに酔いしれていた。
贅沢を言うならばこの空間を独り占めしたいが、やはりそうもいかないようである。
というのも自分と同じく夜桜を鑑賞しに来た者やカップル、果てには宴会をしている若者グループがいるからだ。
宴会をしてる若者グループは夜桜を楽しんでいるというよりもただそれに便乗して飲んで騒ぎたいようにも見えるが。
なるべくそういうのから遠ざかってゆっくり静かに桜を鑑賞するとしよう。
そう思ってなるべく人気のない静かな道を選んで一人その道を進む。

(やはり来て良かったな)

幻想的な空間、理想的な一人の時間、桜の虜となって奪われる思考。
これらに静かに浸れる事のなんと素晴らしきことか。
しかし桜の命が短いのがなんとも残念な事ではあるが、しかしそれでこそ桜は美しいのだと実感する。

(また来年も来るとしよう)

ぼんやりと来年の計画を立てていたその時―――

「いた〜」

のんびりと間延びするような、どこか眠たげな声がして振り返ると寝ぼけ眼のユフィが追いかけて来ていた。
その姿に一瞬驚き、次には苦笑してヴィンセントはユフィに駆け寄る。

「寝ていて良かったんだぞ」

小さな寝癖を直すついでにユフィの髪に昼間と同じように絡みついていた桜の花びらを落とす。
対するユフィは眠たいのもあってか緩く憤慨した。

「一緒に見るって言ったじゃぁん。何で置いていくのさ〜」
「見ているこちらが気持ちよくなるほど寝ていたからな。起こすのは悪いと思った」
「置いていく方がもっとわる〜い!」

ぷくっと頰を膨らませてポフッと抱きついて来るユフィ。
寝起きの所為もあって心地の良い温い体温が薄い布越しに伝わってくる。
ヴィンセントは小さく苦笑を漏らすと背中をポンポンと叩いてやりながらユフィを諌めた。

「悪かった、ユフィ。もう少し散歩してから帰るぞ」
「そーしろ〜」

半分寝ぼけながらユフィは腕に抱きついて来た。
いや、抱きついて来たというよりは寄りかかって来たという表現の方が正しいだろうか。
今にも寝入ってずるりと崩折れてしまいそうな雰囲気に、やれやれ、今すぐ帰った方がいいのではないだろうかと思う。
とにかく少し歩いてから帰ろうと決めてユフィを支えてやりながら歩き出す。

「さくらぁ・・・きれーだねぇ・・・」
「そうだな」

なんだが老後の余生を過ごす老夫婦のような雰囲気に、しかしヴィンセントは悪い気はしなかった。
ユフィと老後の余生を過ごしたらきっと賑やかで飽きることもなければ早々にボケる事もないだろうと考えて小さく笑う。
伴侶となる相手が少し羨ましい。

(相手をするのは大変だろうがな)

「今・・・なんかシツレーな事考えてただろ」
「気のせいだ」

変に勘が鋭くて一瞬ドキリとしたがなんとか誤魔化す。
ユフィはやや不満顔を浮かべていたが、どうやら眠気に勝てなかったようで我慢出来ずにぐずり始めた。

「ねーむーいー・・・ちょっとだけきゅーけーしよぅ・・・」

呂律が回ってなくてフワフワとした喋り方になったユフィに思わず溜息を吐く。

「だから家で寝ていろと言っただろう」
「一緒に夜桜見るっていったもーん」
「それは先程聞いた」
「んもぅ、かたぁいこと言ってないでやすもーよー」

ヴィンセントの腕を強引に引っ張ってベンチへと誘導するユフィ。
仕方なしにそれに従ってベンチに座るとすぐにユフィが崩れるようにして隣に座り込んで肩に頭を乗せて来た、
そして間を置かずして「すぅ・・・」という安らかな寝息が耳元に届く。
一体どれだけ眠かったのか。
だが座ってゆっくり桜を見上げるのも悪くないか。
風邪を引かないようにユフィにマントをかけてやってからヴィンセントはゆっくり空を仰いだ。
薄闇の中、満月の光に照らされ、風に煽られて舞い散る無数の花びら。
風と共に踊る姿は時代劇のワンシーンを思い起こさせる。
今宵も越後屋が暗殺されて・・・なんて冗談を思い浮かべてみたり。
小さく笑みを浮かべてひらひらと舞い降りる一枚の花びらを追っていると、フワリ、とユフィの頭の上に着地した。
しかし一番乗りの着地ではないようで、既に何枚かの花びらが先に着地していた。
ついさっき取り払ったばかりだというのにもう着いているのには流石に苦笑を禁じ得ない。
これだけの量が散っているのを見るに本当に今日がピークなのだろう。

「・・・誘ってくれたこと、感謝する」

起こさないように小さく囁きながらユフィの頭に着いた桜の花びらを一つ一つ丁寧に撫でるように落としていく。
撫でる度にユフィが気持ち良さそうに微笑んでいる気がした。

「おや、ヴィンセント殿ではありませんか」

そんな時、やや年老いた男性に声をかけられた。
見ればゴーリキーがのんびりとした足取りでこちらに向かって歩いて来ていた。

「それにユフィ様も一緒とは。いつ頃来なされたのですかな?」
「今朝ここに来た。挨拶に行かなくてすまなかった」
「あぁいいんですよ、そんな堅っ苦しい事をなさらなくても。ユフィ様とて帰ってくる度に顔を出してる訳でもないので」
「そうなのか」

それでいいのか。
いや、ユフィだからいいのか。

「もしやユフィ様に誘われて桜を見に来られたのですかな?」
「よく分かったな」
「こんなシーズンですからな、そりゃぁ分かりますとも。
 しかしデートの最中に眠りこけてしまうとはユフィ様も緊張感がありませんな」
「デート?違うな、ただの散歩だ」
「おや、これは失礼しました。とても仲良くされているように見えたもので」
「以後気をつけてくれ。ユフィに怒られても私は知らないぞ」
「いやぁ、ユフィ様は喜びはすれどお怒りになる事はないと思いますぞ」
「何故だ?」
「それは―――あ、いや、何でもありませぬ。ただの年寄りの戯言と思って流して下され」

ゴーリキーは苦笑いを浮かべるとそう言った。
意図が掴めずいまいち理解出来なかったヴィンセントだったが、ゴーリキーの言う通り追及するのはやめた。
なんとなく、してはいけないような気がしたからだ。
さて、そんな二人の間を冷たい風が吹き去るとユフィが寝ながら小さくクシャミをした。
マントをかけてやっているがやはり寒いのだろう。
ヴィンセントは立ち上がるとユフィをおんぶする作業に取り掛かった。

「悪いがそろそろ帰らせてもらおう」
「そうですな、ユフィ様が風邪を引いてしまわれますな。私がおんぶしてお連れしましょうかな?」
「いや、問題ない。私が責任を持って家に運ぶ」
「そうですか、それでは宜しくお願いしますぞ」
「・・・心配じゃないのか?」
「何がですか?」
「仮にもウータイの後継であるユフィが何処の馬の骨とも知らぬ男に連れて帰られるのがだ」
「ハッハッハッ!何処の馬の骨とは何を仰いますか!
 ユフィ様が信頼を置いている人物なのですからそのような心配はしておりませんぞ」
「・・・フッ、そうか。それは光栄な事だ」

信頼を置かれていると言われれば悪い気はしない。
ヴィンセントは素直に口元に笑みを浮かべるとユフィをしっかり背負ってゴーリキーに軽く会釈をした。

「では、私達はこの辺で」
「ええ、お気をつけを」

ゴーリキーと別れ、一人ユフィ を背負って元来た道を辿って行く。
ひらひらと桜が舞い散る道をただ二人で歩く、贅沢な時間。
周りにはもう、誰もいなかった。
桜の木の隙間から差し込む月の光を浴びながらヴィンセントはふと思った。
また来年もユフィと来れたらいい、と。
一人で行くのもいいが、それは寂しいと感じてしまう自分がいる。
これは何もかもユフィの所為だ。

「責任は取ってもらうからな」
「むにゃ・・・」

せめて、自分に新しい大切な人が出来るまで、なんてかつてないほど自分勝手な事を心の中で呟いてみる。
でも、言うだけならタダだ。

「しばらくは―――私と共に桜を見に来てくれないか?」
「・・・ハンバーグと・・・一緒なら・・・」
「クッ・・・クククク・・・!」

ヴィンセントは肩を震わせて静かに笑った。














END

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