STORY

□第三章 交わらない想い
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悠人が引きこもるのは、今日に限ったことじゃない。だが、今回ばかりは私ではどうしようもないのだ。アトリエの部屋のドアをノックしても、返答すらない。

「ハルちゃん、朝食だよ。ここ置いておくね」

朝食のトレーを部屋の前に置く。しかし、ドアが開く気配は一切ない。よほど発情期の副作用が激しいのだろう。

いつものように、仏聖堂に向かうと案の定、本堂には将斗がいた。いつもは何気ない風景だが、昨日悠人に何を言ったのか気になって、近づくと、会釈される。

「おはようございます。アキちゃん。あの…悠人さん、昨日…」

「何かあったの?」

「美術館を出られた時から上の空で…」

躊躇いがちに紡がれる言葉。

「何か琴線に触れるような絵でもあったのかしら」

元々悠人の絵は、かのハリル・トニーに踏襲したように全体像というよりは、目力を強調する。しかも今回はハリル・トニーの遺作の展示だったため、彼女の絵のファンである悠人の中で、何かが起こってもおかしくない。

しかし、昨日の様子では彼女の絵に影響されたわけではない。いつも躊躇いがちで、どこか消極的にさ思える将斗のめったに見えることのない瞳を、見てしまった。

「そんな風には見えませんでしたが」

「ハルちゃん、昨日から寝込んでるのよ」

「やはりいきなり外界に連れ込んだせいでしょうか。申し訳ないことをしてしまいました」

確かにそれが原因だと考えるのが、妥当だろう。しかし、悠人があんな風に理性まで失って、ひたすら快楽に溺れる対象がまさか将斗だなんて、未だに信じられない。

「貴方って時に入り込みすぎるから」

無自覚に人の懐に入ってしまう将斗。女神と評される私なんかよりずっと人に愛されている。悠人の頑なで氷のような心に揺らぎを与えるのも、無理はない。

「直接会って謝るべきなのでしょうね」

「いや、今は会いたくないって。ほら、ハルちゃんって芸術家だし、気難しいところがあるから」

適当な理由を言うと、落胆するも納得がいったようで、分かりましたと、いつもの小声で返された。

「にしても、悠人さんってアキちゃんには…」

「私でも分からないのよ。だから途方に暮れてるの」


椅子に座りこむ私。何がどうして、悠人が将斗に誤作動とは言え、発情してしまったのだろうか。三日月型の瞳など、珍しくはない。他人の空似の可能性だってあるのに。

「定期的に引きこもったりは?」

その言葉にどきっとする。いや、アトリエで悠人がある一定期間絵を描くために引きこもるとしか将斗は、考えないだろう。

「うん。月に一度ね。私にでさえ入室厳禁を言い渡すの」

悠人の切ない劣情を、将斗に言い触らすわけにはいかない。言い触らせばそれは彼が将斗に思慕を抱いていることを、私自身認めてしまうから。

「あの絵、僕が買ったんですよ」

悠人から一言も聞いていなかった。長年売れなかった絵は、将斗の手によって購入されたのだ。

「え?100万円でしょ?」

「はい。貯金して買いました」

あの絵は、悠人が長年愛した男性だ。名前は知らないが、どうして将斗が購入したのだろう。

「ハルちゃんの絵、好きなの?」

「好きというか、亡き兄にそっくりだったんですよ。その絵」

彼からは、亡くなった親族の話をいくらか聞いていた。日本人離れした、肌の白さと顔立ち、そして瑠璃色の瞳。

「へぇ。でもさ、水無月さんの話はハルちゃんから聞いたことないわよ?だから他人よ」

「ですよね。でも、本当にそっくりなんです。もしかしたら亡くなった兄のことをご存知なのかと…」

彼の兄は毒殺された。未だにその悔しさは残っているだろうし、少しでも生前の兄の様子が知りたい筈だ。

「ハルちゃん、人嫌いだから。めったに心を開かないのよ」

「人嫌い?嘘。僕には微笑み掛けてくれたのに」

将斗を子犬だと口では馬鹿にしていたが、本当は、とても気にいってたのだ。私にですら、ほとんど微笑んではくれないのに。普段なら絶対しない嫉妬心が、よりによって将斗に引き起こされるなんて、夢にも思わなかった。

「作り笑いはしない人だからなぁ。よくも悪くもストレートだから」

少々卑屈ではあるが、悠人の言葉はいつも偽りの欠片1つさえない。

「僕のこと嫌いになったのでしょうか?」

そうだったらいいのに。同性相手に思慕を抱くのは、多少目を瞑るが、将斗だけはどうしても認められない。

「うーん。ただ戸惑ってるだけじゃないかな。ハルちゃん、ああいう外見してるでしょ?」

絵の男性も日本人離れしているが、悠人(元々外国人だけども)も充分日本人離れしている。
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