STORY
□第ニ章 愛しき残像
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将斗と別れると、定期検診のため例の曰くつきの医者のいる診療所に向かう。
路地裏にある診療所に着くと、馬熊医師が私を出迎えた。
「あら、ヘンリーちゃんいらっしゃい」
彼もまた私の本名を知る数少ない人間だ。血液型検査のため採血される。
「あらやだ、ヘンリーちゃん。最近発情期がないみたいね」
血液の成分だけでそれが分かるのだろうか。
「発情期がない?」
「えぇ数値が平常のままだからさぁ。発情期前後だと変動が見られるのよ」
尤もらしいことを説明される。そして、触診のためシャツをはだけるように指示を受けたので、ボタンを外す。聴診器を胸に当てられる。何度されてもその感覚に慣れず、顔をしかめる。
「心拍数は正常。にしても相変わらずほっそいわね貴方。ちゃんと食べてる?」
「あんたの言われた、カロリーは最低限摂取してるよ。それよりご主人様のことで聞きたいことがあるんだが」
「あぁ、ジューン・グリンドール氏の件ね。失踪した真相を聞くなんて珍しいわね」
彼にはご主人様のことを話していた。それにご主人様自身もここに定期検診を受けていたらしい。いずれにしても、捨てられた原因を聞かなければならなかった。私が現実逃避していたため今の今まで聞きそびれていたのだ。
「そろそろ現実を受け入れる準備をせねばならんと思った」
「単刀直入に言うわね。ジューンは、死んでいるわ」
新しい恋人が出来たというのは、真っ赤な嘘だということが判明した。
「いつ、お亡くなりになられた?」
「12年前の冬。ちょうど明日が13回忌になるわね」
血の気が一気に引く。彼が死んだ前日の晩に、私は抱かれた。しかし思い当たる節はあった。普段しない尺八も、口づけも珍しくその日は施しになられたのだから。もしかしたら、彼は自分の死を予感していたのかもしれない。
「死因は?」
「親族には毒殺と告げてるわ」
きしくも将斗の兄の死因と同じだった。
「貴方だから言うけど、驚かないでね。本当の死因は血液摂取の不適合。そのために死んだのよ」
つまりご主人様は、私の血を吸って死んだのだ。ということは直接の原因は私にあるのだ。
「わ、私の、せいなのか?」
「違うわよ。ジューンは貴方の血液が自分には不適合だと分かっていながら、吸血したの!」
「どうして…」
真っ青になった顔を見て、心配する医師。
「貴方が欲しかったのよ。気高い貴方がね」
「私は気高くなんてない。あんただから言うが、私は底無しの淫乱なんだ。自分でも恥ずかしいくらい。だって毎月の発情期で…自分を慰めなきゃどんどん体が火照って、どうしようもなかったんだ」
「えぇ知っているわ。貴方との情事を聞かされたこともあるから。いくら酷く抱いても貴方の品性は変わらない。だからこそ理性を飛ばしたくなるって。あの御綺麗な顔で、そんなこと言うんだから、こっちまで照れちゃって大変なんだからね。あ、もう。そんな話している場合じゃなかったわ。とにかく、貴方のせいじゃないの。だから」
「自分を責めるなだと?ふざけるな。ご主人様になんと申して、お詫びすればいいか…。恩を仇で返したんだぞ。それも考えられることの中で最悪の最悪の返し方でな」
いっそのこと殺してほしかった。何故私だけが生きているのだろう。馬熊医師に診察代を払って、診療所を出て、帰路に着くまで、ひたすら考え込む。
(あの人は悪くないと言った。だけど、紛れもなく私のせいだ)
自宅に着き、アキの声がした気がしたが、アトリエに駆け込みドアの鍵を閉めた。とにかく一人になりたかった。
「ハルちゃん…診療所で何か言われたの?」
「ちょっと気分が悪くなった。約束しておいて、申し訳ないが明日の買い物を同行するのも、無理だと思う」
「そう。買い物のことなら気にしないで。特別な用事がないのに外出したがらないのはいつものことでしょ?」
内情は分からないと思うが、アキの思いやりに感謝したい。
「しばらく、食事はこの部屋の前に置いてくれないか?」
「うん。分かった」
しかし、しばらく日が経っても一向に部屋を出ようとしない私に、痺れを切らしたのかそっとアトリエに入るアキ。
「ねえ、ハルちゃん。いつもより長くない?」
「………」
俯く私をよそにアキは、額に触れる。
「いつものやつも起こってないみたいだし」
発情期の話だ。どうやらアキは私の定期的にくる発情期を知っているようだ。
「病院?それともマサに何か言われた?」
「彼は関係ないさ。だけど、別件で…」
言葉を濁すしかない私。