STORY
□第一章 黄金の三日月
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あれは、もう12年前の話だ。あの日を境に、ご主人様は私の目の前に現れることはなかった。噂によれば新しくて可愛い恋人ができたそうで、私は用無しとなってしまった。一人きりの館はあまりにも広く、あまりにも寂しい。ご主人様もいなくなり館は、誰かの手によって、買い取られ私は住む家さえ失った。
宛てもなくさ迷うしかなかった。誰に助けを請えばいいか分からなかった。猛吹雪が容赦なく私の体を叩き付ける。何日間も飲まず食わずの状態で、意識が薄れていく。
何もかも失って、私は一人で死ぬのだ。いや、ご主人様が私をお捨てになった時から、心はすでに死んでいたのだから、むしろこのまま死んだほうが楽だと思えた。路地裏で倒れ込み、あの世への迎えが来たのか、やけに辺りが明るい。
「…大丈夫?」
「大丈夫だ…それにもう、私は死んでる」
すると、額に手で触られる。ご主人様以外なら払いのける私だが、払う力もないので、なすがままにされる。
「やだ、凄い熱だわ。お医者さんを呼ばなきゃ」
「…あの世でも、医者はいるのか」
「可哀相に、意識が朦朧としすぎて、妄想と現実がごっちゃになってるのね。貴方はまだ生きてるわ、辛うじてだけど…」
「医者は呼ぶな。私が何者か分かるだろう?」
相手は首を傾げる。口を開けると、声を失う。
「医者を呼べるほど光の道を歩んじゃいねえんだよ。それとも、あんた血を吸われに来たのか。残念だが求めていねえんだよ」
私の血液型はAB型のBlack系であり、ご主人様と出会って判明した、稀少種である。当然、人間の中にもその系統はいるのだが、見たところ目の前の相手は真人間のようだ。それにBlack系の匂いがしない。
「貴方、もしかしてヴァンパイア?」
「いかにも。命が惜しけりゃ帰れ。そして誰にも話すな」
「いやいや、熱はあるしさ、このまま貴方に、死なれたら私死体遺棄の罪で捕まるよ」
「ヴァンパイアに人権なんてねえよ。放っておいてくれ」
「でも、放っておけない」
「真人間のくせに変わっている」
「真人間って言わないでよ。『西白アキ』というちゃんとした名前があるんだから」
どうやら相手は、あの世への水先案内人ではないようだ。
「呑気に自己紹介してる暇があるなら…」
最後まで言う前に、熱にうなされ意識を失ってしまった。
目を覚ますと、明らかにご主人様といた時のベッドではない。どうやら彼女が私を運んだようだ。『西白アキ』がこちらの顔を覗き込む。
「目、覚めたみたいね。改めて自己紹介するわね。私は西白アキ。貴方の倒れていたところの近所に住んでるの。貴方のお名前は?」
「名乗るようなものじゃない。第一、何故私を助けた」
「助けるのに、理由なんてないわ。第一、貴方とても傷付いた顔をしていたわ。彼女にでもフラれたの?」
生憎彼女などいない。契約前はいたのだろうが、ご主人様と会う前の記憶がほとんど欠けている。
「まあ、そういうことだ。しかも同棲していた家まで追い出された」
「あらま、お気の毒ねぇ。それで路頭に迷っていたわけね。じゃあさ、元気になるまではここにいなよ。元気になったら…」
「その時、追い出すなら今追い出すか、殺すかにしろよ」
「そこまで、貴方が追い詰めるほどのことをされたの?」
ある意味正解だ。しかし、それは自発的なものだ。決してこの娘に言うべきことではない。
「ヴァンパイアの事情だから、傷口が余計に広がるような詮索はやめろ」
「…ごめんなさい。それよりヴァンパイアなのに吸血衝動がないなんて珍しいわね」
「元々は人間だったからな。それに私は異端者だ」
それ故に、唯一の適合者である父親から(自分がヴァンパイアになったことは容認済み)定期的に血液を提供してもらう。それでも足りない場合は、代替品としてトマトジュースを食す。
「じゃあ、普段の食事はどうしてるの?」
「人間だった頃と差して変わらない」
「ニンニクも平気なの?」
興味津々に聞いてくるアキに、呆れる。
「あんたは変な奴だな」
「いいじゃないの。ね、ニンニクは平気?」
「好んで食べるわけじゃないが、嫌悪するものでもない」
「へえ、つくづく変わったヴァンパイアさんね」
「ヴァンパイアを囲うお前もおかしい」
すると、アキは腕捲りする。そこには我々眷属が噛んだ証である、2つの赤い痣が見えた。しかし彼女は眷属には、なっていない。