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□月のしずく
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満月が終わってすぐの夜だった。丸くはないが、それでも闇夜を明るく照らしていた。
竹林から覗く月が綺麗だと思った。
空気の冷えだすこの時期に、家の主_高槻は自宅の竹林に足を運んでいた。夏の間は鈴虫に占領されていた竹林も、秋の始めごろとなると物悲しさを感じさせるが、竹にとっては春。新葉が盛んに茂っていた。
風に衣の裾を遊ばせながら竹林の中を歩いていると、人の気配を感じた。この竹林は私有地なので、他人は入り込めるはずはない。用心はしながらそっと竹を潜り抜けた。
少し開けた場所で、竹林にもたれかかっている人影があった。何者か、と問おうとした声はそのまま音にならずに虚空に消えた。

傷ついた女だった。少女ともいえそうなほどの小柄な。
しかし、月明かりをそのまま閉じ込めたような銀糸の髪。獣のような鋭い目。人以上に整った顔立ちに見慣れぬ衣。
高槻は一目で人間ではないと悟った。
しかし恐れることはなく、傷つく女に一歩近づいた。少女の鋭い獣の目が高槻を射抜いた。
高槻は一瞬ひるむが、すぐに彼女の傷を確かめる。

「……逃げないのか?私は人外のものだぞ?」
「負傷している状態をほうってはおけない。
それに、ここで貴方は私に危害を加えるつもりでいるのか?」
「……いや」
「なら、かまわないだろう。人外のものとはいえ、ほうってはおけないんだ」

高槻の率直な言葉になにかを感じ取ったのか、少女は何も言わずにつらそうに目を閉じた。

「貴様は、ここの、屋敷のものか…」
「そうだ」
「ならば……少しだけ頼みたい」
「ああ。屋敷まで連れて行くが、触れてもいいだろうか」
「……ああ」

見た目よりも軽い少女の体を抱き上げ、屋敷に戻った。
寝支度を整えていた綾を呼んだ。さすがに人一人抱えて帰ってきた高槻を綾は驚愕の表情で迎えた。

「殿!?」
「綾、寝床の用意をしてくれ。あと薬籠を。説明は後でする」
「はい、すぐに」

綾はなにも聞かずに高槻の指示に従い、高槻が連れてきた少女の傷の手当てをした。燭台の明かりに照らされ、彼女の髪は淡く橙に染まっていた。

「どうしたんですか?この子」
「竹林で見つけた。怪我をしていたから、思わず」
「あら。親切なのは変わらないのですね。人外のものだとしても」
「……気付く、よな。その髪を見れば」
「私は貴方を信じていますから、何を連れて帰ってこようと、何をされようと受け入れるだけです」
「綾……」

結婚をしてから、何度よくできた妻だと思ったことか。
今日はことさら、そう思った。


「ありがとうございました」

明朝、すっかり回復した少女は床に三つ指を突いて丁寧に礼を言った。
零れる銀の髪はやはり美しく、二人の目を奪った。

「お察しのとおり、私はこの世のものではなく、月に棲むものです」
「まぁ、月に?」
「はい。私は月から逃げてきた罪人です。行く当てもなく迷っていましたところ、ここの竹林で動けなくなってしまっていました」
「それは不穏な……もし、貴方さえよければ、この屋敷に留まらぬか?」
「え?いえ、それは……」
「この屋敷には私とこれと、最低限の者しか出入りはしない。
私の娘だといってかくまうことはできるが」
「しかし…迷惑ではないですか…
それに、私は人間ではありません。貴方がどれほどの身分かは存じ上げませんが、人外をかくまったとなると」
「かまうものか。それに、こんなに美しい妖がどこにいる」
「美しい…?」
「ああ。月から降りてきた天女のようじゃないか」
「………ありがとうございます」

話がまとまり、月希はこの屋敷で過ごすことに決まった。
ひとまず着物を、ということで綾が古い着物を引っ張り出して月希に見繕っている。白い単に零れる髪が朝の光にもまぶしく、綾はその艶やかな髪を撫でた。

「その銀の髪はまるで月の光のように綺麗ですね」
「……ありがとう、ございます」

髪の色を綾に褒められ、月希は戸惑いながらも礼を言った。褒められたことなどないような風情だった。

「お二人とも、変わっていますね。人外の私を娘と呼んでくださるなんて…」
「…私たちには子どもに恵まれませんでしたから、嬉しいのですよ。
むしろ、貴方のほうが不快に思わないかと、そちらにばかり気にしていましたよ」
「そんなことありません!」
「貴方が高篠の姫と呼ばれることを気にしないのなら、気兼ねなく私たちの娘のように振舞ってくださいね。殿も、きっと鬱陶しいくらい構ってくると思いますから」
「いえ、私も……情というものが薄かったので、そのほうが…」
「そう言ってくださると喜びます。さぁ、衣は桔梗でよろしいでしょうか?それとも萩なんてどうでしょう」
「あ、私はそういうのまったく分からないので…」
「では私がお教えしますね」


二人の好意に甘えて、月希がこの家の娘となって五年ほどだろうか。
もともと子どもの居なかった高篠の家。二人は月希を本当の娘のように可愛がり、教育をしてくれた。人外のものの月希を
月希はそれを少し心苦しく思ったが、それ以上に二人が月希が高篠の一の姫と呼ばれることが不快ではないかと気にしたので、そのような遠慮はいつしか消えていた。月希も人並みに二人に甘えられるようになった。自分が人外のものだということを忘れ始めていた。
縁談がきても断って、ずっとこの二人の傍に居るのだと決めていた。
高槻も綾もそれを許してくれていた。だから_______

「いま私が生きているのは貴方たちのおかげ…二人と離れてまで、この世界で生きていたいとは思わない。私は月のもの。この世界の帝に従う理由なんてないのだから」
「ごめんなさい……月希…」
「月希」
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