遠き夜空に夢は落ちて

□第三章 在りし日の・・・
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老舗の名店、橘堂。
鏡花ちゃんは、その無表情には不釣り合いながら、黙々と湯豆腐を食べてきる。
国木田さんは、無言でお茶を啜っている。
そして僕は、お品書きにある数字を上から下まで読みながら、絶望していた。
零が・・・一つ多い・・・

「おかわり」

ギョッ!?
僕の絶望に御構い無しに、鏡花ちゃんは茶碗を上げる。
くにぃ・・・

「くにきださん・・・」

「俺は払わんからな」

眼鏡を上げながら、即行でぴしゃりと突き放された。
ああ、さっきこっそり千円をくれた逢為灯さんが、天使に思える。・・・そう云えばでも、此処に来るのはきっぱりと断っていたな。
それにしても・・・ああ・・・

「お客様はお決まりですか?」

「・・・水で」



「それで?」

何杯もの茶碗と、僕の財布が殆ど空になって漸く、国木田さんの一声を皮切りに本題に入れた。

「・・・両親が死んで孤児になった私を、マフィアが拾った。私の異能を目当てに」

鏡花ちゃんは先ず、自分がマフィアに入ったいきさつを話し始めた。
・・・彼女は両親が、死んだのか。僕は・・・
鏡花ちゃんは、さっき僕が返した携帯を机の上に出して続ける。

「『夜叉白雪』は、この電話からの声だけに従う。だからマフィアは」

「それを利用して暗殺者に仕立てた、か」

国木田さんが彼女の言葉を繋げる。

「じゃあ携帯電話を捨てれば」

その場の思い付きを彼女に云う。しかし、

「逆らえば殺される。それに」

彼女はそう即答した。そして、少し沈んだ瞳で云った。

「マフィアを抜けても行く処がない」

───天下の何処にも、お前の居場所などありはせん。この世から消え失せるがいい。

彼女のその言葉に、過去の自分を重ねてしまう。
彼女も、居場所を・・・

「・・・電話でその夜叉を操っていたのは誰だ」

国木田さんも少し同情した声になって、しかし本題を捉えた質問を鏡花ちゃんにした。
彼女もそれに不平の様子を浮かばせる事なく、答えた。

「・・・芥川と云う男」

芥川・・・!
如何して、あいつは何処までもこんな酷い事を・・・!

「・・・そうか」

国木田さんが重くそう云って、机に片手をついた。

「俺は先に社に戻って報告する」

立ち上がった国木田さんは、敦、と顎を動かして、僕を廊下に促した。



廊下から見える部屋では、鏡花ちゃんは大人しくただ座っていた。
国木田さんは背を向けたまま、目だけを僕に向けて一息に云った。

「娘を軍警に引き渡せ」

・・・!
国木田さんは既に歩き出していた。

「でもそんな事したら」

「35人殺したら」

国木田さんの声が被さり、

「まず死罪だな」

僕が躊躇した言葉をバッサリと続ける。

「だがマフィアに戻しても裏切り者として刑戮される」

「そんな!」

「ならお前が助けるか?」

国木田さんが躰を此方に向ける。

「極刑の手配犯でマフィアの裏切り者。その不幸を凡て肩代わりする覚悟がお前にはあるか?」

「それは・・・」

僕、には・・・

「敦」

悟す声で、国木田さんは僕の名前を呼んだ。

「不幸の淵に沈む者に、心を痛めるなとは云わん。だがこの界隈はあの手の不幸で溢れている」

もう一度鏡花ちゃんを横目で見る。湯呑みを手に彼女は、外の晴れた世界を眺めていた。
空はこんなにも青く、清々しいのに、その下にある筈の僕等が呼吸する場所は、如何して・・・

「お前の舟は、一人乗りだ」

再び国木田さんは、歩き出す。

「救えない者を救って乗せれば───共に沈むぞ」

国木田さんの背が遠ざかってゆく。
そうかもしれない。僕なんかに出来る事なんて、自分の事位で精一杯なのかとしれない。
でも・・・だとしたら。

太宰さんは何故、僕を助けたんだ?

* * *
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