ロゼ ノワール
□The Philosopher's Stone.
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- The Sorting Hat -
目の前の光景を疑った。
常に冷静沈着な態度を保っていたはずのクィリナス・クィレルは今、私の目の前で身体を震わせながら暗い廊下の隅にうずくまっている。
「……ひ、ぃ…ぅぅ…お、お許しを…!」
出会った当初からこの男に主の魂が宿っているという話は聞かされていたし、その魂は衰弱していても調子の良い時は御声を聞くことができた。
"クィレルは任務に失敗"
その罰なのか、はたまた主の御力が怒りによって増大したのか…。
私はただ呆然と目が離せずにいた。
解けた紫色のターバンから覗く、彼の後頭部から…。
『クィレル、しっかりして。主は眠っておられるわ。』
ほんの少し肩に触れただけでも彼は半狂乱の様子で大袈裟に飛び退いてはまた身体をちぢこませてしまう始末。もう間もなく教員として大広間へ集まらなければいけない時間だというのに、これでは埒があかない。
『…はぁ、仕方ない。……アレストモメンタム、動きよ止まれ』
怯えたままのクィレルに杖を向け、大人しくさせたところでゆっくり丁寧にターバンを巻き直す。
『……大丈夫、大丈夫よ。"例の物"はきっと、この城の何処かにあるはずだわ。ダンブルドアが先手を打ってグリンゴッツから自身の手元へ移動させたに違いない。』
彼が私を校長室に呼び出しておきながら執拗に詮索しなかったのは、すでに物の安全を確保できている自覚があったからだわ。きっと。
…私の魔法によって動きを制限されたクィレルは大きく見開いた目をこちらに向けることしかできないが、その目をぐっと見つめ返しながら努めて穏やかな口調で語りかけてあげると、次第に怯えの色が落ち着いていくのがわかった。
『探しましょう、このホグワーツ城を。……但し、あくまで我々は"教員"であることを忘れないで』
クィレルがゆっくりと頷く。
終了呪文を心中で呟きながら無言で立ち上がる私を、再び自由を得たクィレルが見上げてきた。尋常でないほどの汗で顔を光らせているが、ようやっと正気を取り戻した様子が見て取れる。
良かった…と安堵したのも束の間
突然、ドクンと心臓が大きく脈打つのを感じた。
よろめいて石壁に手をつく。
…酸素が薄まり、どろっとした黒い液体の様なものが心に侵略してくる様な感覚
_____"彼女"だ。
久しく現れていなかったが、クィレルの中で眠る主の代わりに呼び覚まされたのかもしれない。"あの子"が、近いのだろう。
共鳴するかの様に浸食する"彼女"が私を飲み込む。
「…、ロザリア…?」
『……………一つ忠告しておく。
ハリー・ポッターは私の獲物だ。
手出しすれば、命は無いと思え。』
先程とまるで人格の違う私に圧倒されたのか、クィレルは黙ったまま何度も首を縦に振った。
「こんなところで何をしておいでですかな?
……クィレル教授、Ms.ハルフェティ」
不意に背中から低い声が投げかけられる。
「もう間もなく、組み分けの儀式が始まるというのに」
私はクィレルに『口を慎んでおけ』と目で訴えた後、身を翻した。
『…ごきげんよう、"スネイプ先生"。ご自分の方こそ、暇を持て余していらっしゃるように見えますが』
セブルスは眉間のしわをより一層深めた。さすが、とも言うべきか…いち早く私の異変に気づいたらしい。
スッと袖口から杖を取り出し無駄のない動作で私の顎先にそれを突きつける。
一瞬の間、緊張が走った。
その杖先がススス、と顎から首筋や鎖骨の間を通って胸元に移動する。
「………スペシリアス・レベリオ、化けの皮剥がれよ」
発せられた光がこの身を貫くが……痛くも痒くもなく、私はきゅっと口角を上げてみせた。セブルスは私が"何か"にとり憑かれているとでも確信していたのか、自分の魔法が効いていないことに困惑の表情を浮かべる。
そんな彼に構うことなく私は一歩二歩と歩みを詰め、彼の黒装束にぴったりと身を添わせた。
血が通っているとは思えないほど冷たい手の平で彼の両頬を包み首元に口を寄せる。
『…また後ほど。……スネイプ先生。』
吐息交じりに囁けば、彼の身体がぴしっと硬直するのがわかった。もう一度だけ微笑んでから、スッと彼の横を通り過ぎてカツカツと靴音を響かせ歩く。
彼が様々な思案を巡らせ呆然と立ち尽くしている間に、クィレルもそそくさと私に続いた。
月明かりの射し込む廊下には、一抹の不安を抱いた影が一つ伸びていくのみであった。