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□愛の絞首刑
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同棲を始めて、時々一緒に寝るようになった純を、僕はそのうち殺してしまうんじゃないかと思っている。純はとても寝つきが良くて、反対に、僕は眠るまでに時間がかかる体質なので、夜はいつも彼女の寝顔を眺めながらうとうととするのだが、最近僕は、眠る彼女の首を絞めるという行為の楽しさに気付いてしまった。
純は、元々あんまり頭の出来が良くない。目玉焼きを作るというので任せたら、お湯を沸かし始めて、ゆでたまごを作ってからそれを割ろうとしたときには驚いた。そんな人間だから、一人で生きていくのは困難だと思う。幼馴染の僕はそれをよく知っているから、十八になって、結婚を前提にと交際を申し込んで、受諾され、数年が経ち、今に至る。僕は純を支えてあげたいし、要するに、生かしてあげたいのだが、同時に、殺してやりたいとも、思うようになった。昔から何事にも僕を頼ってばかりいた純は、すっかりそれが当たり前の生き方だと思っているだろう。別にそれは構わないし、僕もそれを望んでいる。僕なしで生きていけない純が、好きだから。そんな純を殺したいのがなぜなのか、ここ数週間ずっと考えているけれど、はっきりした答えは見つからなかった。僕は別に、殺人嗜好ではないと思うし、人に殺意を抱いたのは初めてで、それも例えば憤怒や嫌悪からではないから、尚更理由が分からない。ただ、幼い寝顔を見つめていると、その頼りない細い首に手をかけずには、いられないのである。
純が息苦しそうに呻く。そこで手を緩めると、また安心しきった顔になる。きっといい夢を見ているんだろう。純は、夜な夜な僕に首を絞められているなんて想像だにしないだろうし、僕がそれを打ち明けたとしても信じないような気がする。僕がそんなことするはずがない、なにかの冗談だ、そう言って聞かない気がする。
僕は純に、親兄弟と同じかそれ以上に愛され、信じられている自信がある。僕だってそれは同じで、僕たちは深く愛し合っている。その終着点なのか、通過点なのかは分からないけれど、僕という人間の「愛」は、相手を殺したくなるものだったということらしい。二葉亭四迷の「私、死んでもいいわ」に近いものを感じるのは僕が本好きだからだろうか。でも、純に、「私、殺されてもいいわ」と言われても、嬉しいとは思えない。そんな純は嫌だった。僕が愛して、殺したいのは、生に対して従順で素直で人並みの執着がある純であって、自殺願望があったり、厭世家だったりする純ではないのだ。
僕がある日唐突に姿を消したら、或いは三日くらいで純は死ぬかもしれない。そんなことも考える。なに、家事が出来ないから、何も出来ないからと言ったって、親にでも助けを求めればいい話なのだが、彼女はそれを考えつかないくらい頭が悪いような気がするから、少し笑える。文字通り僕がいないと死んでしまう純。僕が生かしてやっている純。何てひ弱で愛おしい存在なのだろう。
すぐ横で、規則正しい寝息が聞こえる。今日はもう首は絞めなくていい、満足だ。僕も眠ろう、明日は二人揃って休日だから、どこかへ出掛けてみようか。二人で生きるのは幸せだ。楽しくて甘く優しい毎日。愛している。だからこそ僕はきみを殺したいよ、純。

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