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□夏嫌い
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また夏が来る。わたしは夏が嫌いだった。
十八で大学進学に伴う一人暮らしを始めたわたしは、熱意とやる気に満ち溢れた四月から八月までのたった四ヶ月で見るも無惨な鬱病患者になった。毎日死にたい死にたい死にたいと呟いていた。
思い返せば、十八の夏も十九の夏も二十の夏もわたしは死にたかった。冬場に二十になって、その次の春から母親の家に居候しているが、今年もやっぱり鬱は治らない。
喧しい蝉の鳴き声は、嫌いじゃない。うだるような暑さも、嫌いじゃない。夏そのものはどちらかといえば好きだった。でも、毎年毎年決まってこの季節に悪いことが起きるから、わたしは夏が嫌いだった。
両親の離婚騒動も、十四の夏。大好きな祖父が恍惚の人となったのも、その終わり。呪いのように、わたしの人生における悪いことはみんな、夏に起きた。
夏は好きかと聞かれて、わたしは暑いから嫌いだと答える。分かる分かる、とかわたしは好き、とか返されて、簡単に話は流れていく。誰も、わたしの本当の夏嫌いの理由になんて興味はないし、話したところで引かれるだけだと知っている。だから、誰にも話したことはない。
わたしは今年の冬で二十一になる。立派な大人だ。いつからだろう、大人になるのがひどく怖くなった。嫌になった。それまでに死のうとまで思っていた。「二十までに死ぬ」という目標まで立てた。結局、それは決行されず、わたしはこうして誕生日から半年以上経つ今も元気に生き延びている。
大人になるということは、自由が増し、同時に制約が増すということだ。責任が増える。重たい、目に見えない鎖が増える。生きていくのがより困難になる。わたしはそう信じて憚らない。
わたしはどこまでも楽をして生きたいし、生きるのがつらいなら死にたいと思うほどに苦痛、困難、辛抱、そういったものが苦手だ。楽な方へ楽な方へと生きていけば行くほどに、最後には苦しくなるのは分かっているのに、まだわたしは踏ん張れない。滑り落ちていくだけ。
「すみれちゃんは、もっと頑張れるのに、ある程度のところで満足して満点を狙わない」
そんなようなことを昔、習い事の先生に言われた。わたしは決して意識して満点を避けていたわけではないし、その習い事に関してはいつでも全力でいたつもりだったのだが、他人から見れば見抜けた性格なのだろう。そういえば、習い事──クラシックバレエ──において、得意なのは一瞬で終わるジュテ。苦手なのはゆっくりとしたテンポのアダージョ、アティチュード、同じポーズを保つことだった。要するに、長く頑張ることができない生徒だった。ジュテなんて、跳んでしまえば着地まで一秒となく、元々跳躍の得意なわたしは簡単に満点がとれるパだった。しかしアダージョ、アティチュード、そういったじわじわと苦しめられるような忍耐力の要るパは大嫌いで、先生はそういうわたしの性格も注意したのかも知れない。もう何年も前のことだから、詳しいことは忘れてしまったけれど。
話は飛んで今朝のことだ。わたしは夜中の三時前に早朝覚醒して、それからずっと、希死念慮に苛まれていた。結局、外が少し明るくなり始めた頃に着替えて、荷物をまとめ、家を出た。家族はみんな寝ていたから静かに静かに鍵を閉めた。それから、越してきたばかりで土地勘のない近所を歩き慣れない新品の靴で歩き回って、端的に言えば死に場所を探した。でも見つからなくて、駅まで四十分かけて歩いて、電車に飛び込んで死のうとした。
飛び込み自殺は電車を停めて、たくさんの人に迷惑をかけるから、避けたい自殺方法だと常々思っていたけれど、死のうと決めたらそんなこと、どうだってよくなるのだと知った。
結局のところわたしは飛び込む寸前に見ず知らずの男性に腕を掴まれ助けられ、こうして生き延びているのだけれども、それがよかったと、まだ思えていない。きっともう暫くすれば死なずにすんでよかったと思えるのだろうけれど、今はまだ、あのときちゃんと死ねたなら、という考えを捨てきれない。
どうして死にたくなったのか、理由も分からないのだ。意味もなく死ぬなんて、そんなことあり得るのだろうか。大学へ向かう新幹線の車窓から、夏らしい空を見つめて、夏のせいだ、と口が勝手に動いていた。
夏が来たから死にたくなったんだ。夏になったから死のうとしたんだ。夏があるから死ぬんだ──季節という、人間の力や考えの及ばない絶対的なもののせいにしてしまえば、ほんの少しだけ、楽になれた。
やっぱり夏は、嫌いだ。

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