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□煉獄 杏寿郎
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この時代には珍しく私には許嫁と呼べる相手がいた。
私達が生まれる前から親同士での付き合いがあり、この世に生を受けた時にはもうこの話が纏まっていたのだという。
許嫁との関係は良好ではなく、仲は良くなかったのではないだろうか。
特に話をした記憶が多くないために何も感じなかったというのが正しいのかもしれない。
何とも傍迷惑な話だと常日頃から思っていたし、将来を勝手に決められることへの腹立たしさというのは当人にしか分からないものだ。

「君と将来結婚するつもりはない。許嫁という関係を解消したい」

高校に入学したその年に、許嫁から与えられた言葉はとても威圧的で一発殴ったとしても問題はないのではないかと思いはしたが、やっとこの関係から解放されるのかと思うと正直安心したし、喜び以外の感情などない。
心にもやもやとした物を抱えたままいつかは結婚するのかと思っていたが、その一言で私は全てのしがらみから解放された。

お互いが大学生になる手前の17になったと同時に、進むべき道とこれからのことを両家の前で話し合った。
なるべく穏便に済ませたくて、それぞれやりたい事や目指したいことがあり、方向性の違いという理由で押し切っていく。
もちろんお互いの両親は頭を抱えていたが、私は心の中で万歳しまくった。
お通夜みたいな空気にはなったものの、その日の夜は急いでコンビニでケーキを買って自室にて1人でお祝いした時に、嬉しさで涙がボロボロとこぼれ落ちたのを今でも覚えている。
やっと、自分の人生を歩むことができると信じて疑わなかったのだ。

煉獄家と長倉家、由緒ある家同士というのは息苦しさしかない。
生き方は本人同士の好きにしたら良いと言われ続けてきたが、その言葉の裏には家を継ぐことが前提条件としてあるのだと私は解釈していた。
結婚すればきっと家の中に閉じ込められてしまう。
私はそれが嫌だった。口に出すことはなかったけれど。
貴方なんて興味ないですよと態度で示しまくったことが功を成し、相手に好かれないということで勝ち取った己の人生がこんなにも嬉しいものだとは。

「あら、お帰りなさい」

時は進み、私は立派な社会人となった。
転勤先が地元ということで、新たな職場での仕事をスタートさせる前にもぎ取った1週間の有給を満喫させるために実家へと帰ってきたのだ。
1人で住む家は既に決まり荷物も運び終えたが、久しぶりに会う両親とゆっくり過ごしたいと思い実家に数日お世話になる。

「少しだけお世話になるね」
「そんな他人行儀やめてちょうだいな」
「ふふ、たしかに。久しぶりのお母さんのご飯楽しみだなぁ」
「そのことなんだけど、」

なんだろう、出前にするのかなと思いながら、ソファーの端に持って帰ってきた小ぶりのボストンバッグを雑に置いて空いてるところに座る。
ポケットから取り出したスマホを何をするでもなく適当にニュースを開けば、告げられる言葉に驚いてしまった。

「お隣の煉獄さんの所でご飯をご一緒することになったから用意しておいてね」
「え、なんで?」
「サキと同じタイミングで、杏寿郎くんも実家に帰ってくるって聞いたのよ」
「いやいや…向こうは向こうで家族水入らずの時間を過ごしたらいいのに…」
「そんなこと言わないの」

正直、もう二度と会うことなどないだろうと思っていた。
会ったとしてもすれ違うぐらいだろうし、何かが変わるわけも始まるわけでもないと。
今更両家が集まってどうするのと口を尖らせながら拗ねていると、母から頭頂部をぺしっと叩かれてシャキッとしなさいと怒られてしまった。

別に煉獄家が嫌いなわけじゃない。
幼い頃から瑠火さんや慎寿郎さんはとても優しくしてくれていたし、千ちゃんは甘えてくれたり一緒に遊んだりと楽しかった。
ただただ、元許嫁の杏寿郎さんとは仲が良くないというだけだ。
なのにこれから会わないといけないのかと思うと気が滅入るというもので。

あの件に関しては終わったことだし、普通にただの幼馴染みとして接することができるように気持ちを切り替えよう。

*****

「ご無沙汰しております、瑠火さん、慎寿郎さん」
「久しぶりに会うことが出来たこと、とても嬉しく思いますよ」

じんわりと胸が熱くなっていく。あれだけ両家に泥を塗ってしまったというのに、こうも温かく迎え入れて頂けるなんて思ってもみなかった。
あの件があった後も、特に変わりなく両家のお付き合いというものは続いていたらしい。
仲違いをしてほしかった訳じゃないから、それは本当に安心した。

「サキさん」
「はい、なんでしょうか」
「昔は可愛らしい子でしたが、今はとても綺麗になられて…」
「そ、そんな、ことありません…瑠火さんはお変わりなく美しいままです」
「まあ…」

私の憧れだったんです、そう告げると柔らかくぎゅうと抱きしめてくださった。
それが嬉しくて、まるで子供に戻ったようにぎゅうぎゅうと抱きしめ返す。
私もいつか、こんなに素敵な方になれるのだろうか。

「ごめんなさい、瑠火さん…うちの娘が…」
「いいえ、折角こうしてお会い出来たのです。今は喜びましょう」
「気にすることはない」
「慎寿郎、ありがとうな」

瑠火さんに抱きついたままだったのを名残惜しいがそろりと離れていく。
社会人にもなって思いのままに抱きついてしまうなんて、ドッと押し寄せる羞恥心に押し潰されてしまいそうだ。
何やら親は親で話すこともあるらしく、邪魔をしてはいけない雰囲気だと察した。

数年寄ることもなかった煉獄家。
しかし幼い頃からずっと足を運んでいたせいか、どんなに期間が空いていたとしても覚えているもので。
慣れた足取りで縁側まで出ればもう月が出ていて、シンと静まり返った庭はとても幻想的に見えた。
そういえば、息子さん2人はどこにいるのだろう。遊びに行っているのなら顔を合わさなくて済みそうだ。

「誰だ」

ギシリと鳴る床が、人が歩いて来ているのだという事を主張している。
この冷ややかな声は相変わらずのようだと、ちらりと見やればあの頃よりも幾分か大人っぽさの増した元許嫁の姿があった。

「ご無沙汰しております、杏寿郎さん」
「…何故、俺の名前を知っているんだ」
「え?…ああ、なるほど。サキです。長倉サキ。覚えておられませんか?」
「サキ…?」

僅かながらに見開かれた目を見て、ようやく思い出してもらえたことを理解する。

「本日は瑠火さん、慎寿郎さんにお招き頂きまして、お食事をご一緒させて頂くことになりました。
そちらが終わり次第、すぐにお暇させて頂きます」
「あ、ああ…」

やけに歯切れの悪い返事だったことが少し気になったものの、ここでどうしたのかと聞ける程の仲でもないのでビジネススマイルだけ返しておこう。
何だかんだと数年も経てばどうにでもなるものだ。
私の中では終わっていることでとても喜ばしいことに変わりない。

そんなことよりも、瑠火さんが作ってくれるご飯美味しいから楽しみだなぁ…。

*****

「仕事は終わりか?お疲れ様」

どうしてこうなった。
あのお食事会みたいなものから早2週間、何がどうしてこんな展開になっているんだ。

「俺も丁度終わったところなのだが、ご飯でもどうだろうか」
「え、行きませんけど…」
「よし!そうと決まればオススメの店があるんだ、そこへ行こう」
「あれ、話聞いてないですか?」

なんてこともあったり。

「やっと帰ってきたか!」
「どうして私の家を知っているのでしょうか」
「サキの両親に聞いたら教えてくれたぞ」
「あれ、私の個人情報守られてないんですか?」

ということもあったり。

「ただいまー…、なんで居るのかなぁ」
「帰ってきたか!サキ、おかえり」
「杏寿郎くん、いつもありがとうね」
「これぐらい当然です」
「話が見えない…」
「もうご飯が出来るからら早く座りなさいな」
「あれ、私いじめられてる?もう泣いていい?」

こんな生活も3ヶ月で、時が経つというのは本当にあっという間だと感じる。
しかしかながら、これはまずいのではないだろうか。
カチャカチャと手際良く並べられていく本日の晩ご飯。
当たり前のように母と彼が仲良さげに準備をしている。
既に椅子に座りぼうっとTVを眺めている父は何も感じていないようだ。

はあ、とため息をついてボスリとソファーへ仕事用のバッグを乱雑に置けばふいに影がかかった。

「さあ、ご飯を食べようか」

手を引かれてダイニングテーブルへと連れて行かれる。
微笑ましげに見ている両親の視線に違和感を感じながらも、現状の思考放棄を望んでいる私の頭はもうご飯の事だけに目を向けることにした。
それが間違いだったと気付くにはあまりにも遅すぎたらしい。

「いつ式を挙げるのかしら?」
「サキの仕事が落ち着いてからにしようかと」

あらあらまあまあ、と母が頬を染めながら両手で口元を隠している。
父に至っては人生の中で1番といっても過言ではないほどの笑顔。
そんなことよりも、聞き捨てならない単語が飛び出している。
入籍?誰が?誰と?誰がって私のことなのか、誰とってまさか。

「必ずサキを幸せにします」

お箸を持ったまま止まっていた私の手を柔らかく包んだのは杏寿郎さんの手だった。
え、とか、あ、とか上手く言葉が出せないまま杏寿郎さんを見上げると、目を細めてこちらを見ている。

「明後日は互いに休みだから、婚姻届を取りに行こうな」

家も職場も知られていて、実家に上がり込むこともできる人から逃げられるわけもなく。
当日は首根っこ掴まれながら役所へ連れて行かれ、そのままの足で煉獄家へと向かえば、集まっていた両家の面々は誰が証人として記入するかでモメていた。

「外側に自分達で枠を書き足しても良いそうですよ」

タフタフとスマホを弄っていた千ちゃんの悪気のない発言により両家の親全員が書くことに決まった。
待って、と千ちゃんに声を掛ければニコリと微笑み、義姉上と呼べるのがとても嬉しいです、と言われてしまう。
トキメキで痛くなった胸を押さえていると掴まれた肩がミシリと悲鳴をあげた。
私は悪くないのでそんな怖い顔で見ないでください。

私だけ置いてけぼりにされたままで、気が付いたら入籍と結婚式が終わり、今は。

「おとうさんはやくー!」
「もう少しで終わるから待ってくれないか!」

ネクタイを結ぶのに手間取っている杏寿郎さんを手伝えば頬にキスを落とされる。
バタバタと忙しなく準備を済ませて玄関へと走っていく後ろ姿をゆっくり追いかけると、どうやら息子に怒られているようだ。

「2人とも行ってらっしゃい」
「いってきまーす」
「サキ、何かあったらすぐに父と母に連絡を入れてくれ」
「うん、分かった」
「行ってくる」

誰が見ていようが構わずに、行ってきますのチューを自分からしてる杏寿郎さんにはもう慣れてしまった。
口が離れれば、膨らんでいるお腹を愛おしげにひと撫でしたら、息子と手を繋いで元気よく出て行った。

ふとシューズボックスの上に並べられた写真を見る。
小さな頃から現在に至るまでのものをピックアップされて何枚も並べられているのを見るたびに思う。

「こんなはずじゃなかったのになぁ…」

今となっては後悔してる訳ではないが、どうやら私の味方はいないらしい。
まるで私の一言が気に食わないとでも言うように、どすりとお腹の内側から蹴られる痛みで1人で呻き声をあげた。


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