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□煉獄 杏寿郎
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身体が、とても重い。
鉛でも入っているのだろうか、それとも私の身体が足にでも変わってきたのだろうか。
そんなことあるわけがないと分かっていながら学校に近付けば近付くほど、身体が勝手に止まりそうになるくらいに重くなる。

「……、……?」

何か聞こえる気がするのに、目の前が真っ暗な夜をずっと歩いているみたいに何も見えないような感覚だった。

「……!…っ、サキ!!」

急に鮮明になった声に、面白いぐらい肩が跳ね上がっていたことだろう。
ドクドクと激しく鳴る鼓動が、ついさっきまで自分の死んだような身体を生きているぞとでも言わんばかりに主張させている。
冷や汗がこめかみから顎先まで伝い、ゆっくりと地面に落ちていった。

「おい、どうしたんだよ!顔色悪いぞ」
「…善逸」

風紀委員として朝早くから活動しているらしい善逸が声掛けてくれていたらしい。
何度呼び掛けても反応がなく、その上顔色が悪いらしい。
鏡を見たときは気付かなかった。
多分女の子の日が遅れてきたことにも関係しているのだろう。

「とりあえず、保健室か…?」
「1人で行けるよ、大丈夫」
「風紀委員は俺だけじゃないから一緒に行く。ちょっと待ってろよ」

そう言ってペアで行動をしていた相方へと話をしに行った善逸の後ろ姿を見る。
誰にでも求婚するようなタイプだけれど、根は本当に優しい。
本当に一途に愛されるならきっと善逸は素晴らしい彼氏となるのだろうとは思う。
こういう人を好きになることができたら、幸せな気持ちで日々を過ごすことができるのだろうか。
そんな事を考えても仕方がないというのに、落ちるとこまで落ちている気分のせいで意味のないことを考えてしまう。

「長倉」

ぼうっと突っ立って周りの音がまるでフィルターにでも掛かったような感覚の中、ハッキリとそれは私の鼓膜に到達した。
ゆっくりと振り返ると険しい顔で立っている煉獄がそこにいた。
ああ、そうか、今日の担当は煉獄先生だったのかなんて、今更ながらに気付いたものの、もしかして朝の挨拶を私は無視してしまったのだろうか。

「…えっと、おはようございます」
「ああ、おはよう。顔色が悪いな、大丈夫か?」
「大丈夫なつもりですけど、善逸が保健室に連れていってくれるみたいなので」
「…善逸、ああ…黄色い少年か」

途端に眉間に皺を寄せながら腕を組み、ふむ、と考え始めた煉獄先生。
昨日の今日だ、機嫌が悪そうだから早めに退散したいところではある。
どうしようかと悩んでいると後ろからバタバタと走ってくる音が聞こえて、肩に手を置いた人物を見ると善逸が戻ってきていた。

「お待たせ、ってあれ…煉獄先生じゃん」
「黄色い少年!おはよう!」
「お、おはようございます…、え?今日の担当って不死川先生じゃ、」
「長倉は俺が保健室へと連れて行こう。君は君のやるべきことをやるといい!」

勝手に話が進められているが、別に1人でも大丈夫なのにと暗くなっていく。
前はこんなんじゃなかったのにな。こんな私は知らない。
善逸が私と煉獄先生を交互に見ている。
せっかく持ち場を離れるということを説得しに行ってくれたというのに、ここで煉獄先生に頼むのもおかしなものだ。
好意を無碍にしてしまうのはそれなりに罪悪感も芽生えるというものなので、善逸に行こうと声を掛けようとした時だった。

強い力で腕を掴まれて無理矢理歩かされてしまう。
その人は紛れもなく煉獄先生で、足を縺れさせながらも転ばない様に歩いて着いて行く。
後ろを振り返ると呆然と立っている善逸が居て、ごめんねと出来る限りの大声で謝ったら呆れた様な顔で手を振られた。

「…えぇ、何あの音…こっわ…」

善逸が呟いた声は、私に届くことはなかった。


あまりにも強引に引っ張られていく腕はもちろん、それなりの速度で早歩きのようになってしまっているせいか下腹部の痛みが強くなっていく。心なしか吐き気まで出てきたような気がする。

「先生、腕が痛いよ…」

ぼそりと声を掛けてみるものの、聞こえていないのだろうか。
すたすたと変わらぬ速度で歩いている煉獄先生。
先生、と先程よりも大きめの声で呼び、足に力を入れて踏ん張るとお互いぴたりと止まった。
それでも振り返らない煉獄先生は、少し怒りを孕ませているように感じる。

手を離してほしいという意味を込めて掴まれている腕を軽く引っ張ってみるも、どうやら離す気はないらしい。
こちらを向こうとしないせいでどういう感情なのかも分からない。
何を結論付けたのだろうか、のろのろと歩き出す煉獄先生に引っ張られる形でまた足を進める。
向かう先は保健室で間違いないのだろうが、どうして善逸じゃダメだったのか、昨日の今日で何故こんなことになっているのか皆目見当がつかない。

未だぐるぐると回っている頭は、サキに正解を与えるでもなく只々疑問を投げ飛ばしては困る様を嘲笑っているかのようだった。

「長倉はベッドで休んでいなさい」

ふと掛けられた声に意識を戻せば、いつの間にか保健室に着いていた。
珠世先生はまだ来られていないのかいつも以上に静かな保健室がここまでピリついた空気を醸し出してしまうなんて。
原因は煉獄先生で間違いないのだろうけど。

ゆっくりとベッドへ腰を下ろすも、ぐるぐると気持ち悪い程に回っている頭のせいで寝転ぶ気になれない。
何の慰めにもなりはしないが、眉間に指を伸ばしぐりぐりと押してみたがやはり何も変わらない。
目を閉じれば痛みと気持ち悪さが逆に主張し出すものだから、余計に体調の悪さを感じてしまう。

備え付けの流しでバシャバシャと水の音が聞こえる。一体何をしているのだろう。
カーテンで遮られていて何もわからないというのがここまで居心地の悪さを与えてくるとは。
水を止める音がしたと思えばこちらへと歩いてくる気配がする。

「寝転んでいなさい」

私の前へとしゃがみ込み、その手には濡らされたタオル。これを用意していたのか。
掛けられた声に返事をしようにも気持ちの悪さで口が開いてくれない。
俯いて微動だにしない私の顔を覗き込んできた煉獄先生は少し眉を下げている。心配してくれているのだろうか。
不意に額に掌を当てられた。水を触っていたせいか冷んやりとしていて、それが気持ちよく感じてしまった。
ほう、と軽く息を吐いて目を閉じるととても心地が良い。

「…そんな顔をするんじゃない」
「そんな、かお…」
「寝転べそうか?」
「少し、気持ちが悪くて」

ふむ、と額に当てた手はそのままに、煉獄先生は目を閉じて考え出した。
何か答えを出せたのか徐に立ち上がり、それと同時に離れていった手を少し寂しく感じた自分がとても汚いものに思えてしまう。
ゆっくりとした動きで私の隣に腰掛けた煉獄先生の重みでギシリと鳴ったベッドに大丈夫だろうかと思っていると、頭に添えられた手に引き寄せられて煉獄先生の肩に頭を預ける形になってしまった。

これ、は。どういう状況なのだろう。
じわりと冷や汗が出てきているのを鮮明に感じる。

「少しこうしているといい」
「へ、」

顔中に熱が集まっていくのが手に取るように分かる。
バクバクと激しく鳴る心臓の音が、伝わってしまっているのではないかと思ってしまうほど全身を駆け巡っていく。
これでは、勘違いしてしまうではないか。諦めようと必死になっているのに、この仕打ちはあんまりではないだろうか。

「長倉」

いつもよりも近い位置で告げられた私の名前が酷く特別に感じる。

「今日から準備室には来なくていい」

しかし続けられた言葉は、私の頭を真っ白にさせるのには充分な一言だっただろう。
思わずバッと頭を上げて煉獄先生の顔を見ると、いつもより真剣な表情が私を見下ろしていた。

「な、なん…で、」
「その代わり、卒業式を終えた後の君の時間を俺にくれないだろうか」
「…?」

卒業式。そうか、あと半年も経たない内に私はここの生徒ではなくなる。
その後の時間。何か話でもあるのだろうか。今まではぐらかしていた返事をその時にしてもらえるという事だろうか。
何も返事が出来ずにただ見つめていると、ふわりと微笑むその表情がとても美しいと思ってしまった。

「それまでは教師と生徒としての時間を過ごしてほしい」
「分かり、ました」
「いい子だ。さあ、少し眠るといい。起きたら職員室に行きなさい。それまでは保健室で休むことを伝えておこう」

再び肩へと寄せられた頭は、ふわふわと蕩けきっていてもう数秒もすれば寝てしまうのではないかという程の急激な眠気に襲われている。
うつらうつらと眉唾んでいる中で聞こえた言葉は、聞き間違いじゃなければ良いのになと思った。

「…おやすみ、サキ」

いい夢が見れるなら、先生に苗字ではなく名前て呼んでもらえるものがいい。


パチリと目を覚ますと、幾分か身体がマシになっているのが分かる。
軽くなった身体を起こせばいつの間にかきちんと横たわっていて、布団もきっちりと掛けられていたようだった。
三つ折りになるようにバサリと動かした掛け布団の音に気付いたようで、人影がこちらへ近付いてくる。

「目を覚まされたようですね」
「珠世先生、おはようございます」
「顔色も随分良くなっていて安心しました。もう戻られますか?」
「そうします」

上履きを履いて、ベッドサイドに置かれたスクールバッグをリュックを背負うように掛けていく。
ふと気になり時計を見やれば、既にお昼休み目前になっていることが分かり随分寝こけていたな、なんてぼうっと考えた。

ありがとうございました、と一声掛けて保健室を出ると、授業中だからかシンと静まり返った廊下。
1人で歩くのがとても億劫になるぐらいだ。
今は誰が職員室にいるのだろうと考えて歩いていると、角から出てきた人物に気付いたものの思い切りぶつかってしまった。

「あっぶねえなァ、…って長倉か」
「不死川先生!」
「もう体調はいいのかィ」

そう言って額に手を当てられたがカサついているのか少しの刺激にビクリと肩が跳ねてしまった。
熱くはないみたいで目を細めながら、大丈夫そうだなァと笑っている姿に初めて先生を見た時の印象とは大分違ってきたと思い知らされる。
あれだけ一般人ではないと思っていた私の中での不死川先生は、今では面倒見の良いお兄さんという印象に変わっている。

「どうせもう昼休みになる。職員室行って適当に座ってろォ」
「流石に居心地悪そう…」
「あ゛ぁ?」
「なんでもないでーす」

両手を上げて反論なんてありませんよ、と示すとさっさと行けと言いたいのか手にしていたバインダーで軽く頭頂部を叩かれる。
それ結構痛いんですよ、分かってます?
頭の中で浮かび上がった文句は言葉には出来なかったものの、せめて痛いことは示さないとと思い大袈裟に両手で頭を摩り、職員室へと足を進めた。


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