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□煉獄 杏寿郎
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どうしたら良いのか分からないというのが本音。
彼のことを何も知らない。
立場が違う以上は会うことがなく、噂程度にしか聞いたことのない人のことを知りたいとも思わないぐらいの人間なのだ。
情熱がある人ならば知りたいと思ったのだろうが、正反対の場所に立っているので寧ろ仕方がないのでは、と頭の中で言い訳をする私は薄情者とでも呼ばれるのだろうか。

混乱した頭では言い訳しか浮かんでこないので、俯いていた顔をゆっくりと上げ、自分よりも大きい目の前に立っている人の顔を見る。
目が合ったことが嬉しかったのだろうか。ぎょろりと目力のあるそれを少し細めニコリと微笑んでくれる。
なんていうか眩しい。無理。怖い。
これに関しては本音というか率直な感想だ。

「そう熱い目で見られては我慢ができなくなるのだが」

「いや、申し訳ないんですけど我慢してほしいです」

少し眉を下げて、むう…と唸る姿は少し可愛らしいとは思った。
しかし事情が事情なだけに我慢してもらわないと困るのはこちらなのである。

「何でこんなことに…」

再び少し俯いてぼそりと口から出てしまった言葉はしっかりと相手の耳には届いてしまっていたようで、自分の口の軽さに呆れてしまった。

特に身構えるでもなくだらりと下げられていた私の両手を、その体躯に見合わないような優しげな手付きでふわりと握りしめられ、現実逃避をしかけていた頭には刺激が強すぎたのかすぐに理解できず思わずびくりと肩が大袈裟に反応してしまった。
ゆっくりと私の胸元付近まで持ち上げられる。

片足を半歩程後ろに下げて逃げの姿勢をとるも、相手は遠慮なしに一歩進めてくる。
これは不味いのでは、とだらりと冷や汗が背中を流れていくような感覚があるようなないような。

「あの、」

「なんだ!」

いや、うるっさいな。こんな声大きいのかよ。さっきそこまで大きくなかったはずだ。
なんだではなくて、ともごもごと要領を得ない言葉をだらだら続けてしまった。
待て待て待て。とりあえず考えろ。この場を切り抜けるにはきちんとした言葉、態度、そして誠意をもってお断りしなければきっと帰してくれないだろう。

こほんと軽く咳払いをしてから、表情を整えてキッと相手の顔を見上げる。
絶対に間違えてはいけない。判断を誤るな。
それしか道がないぞ、頑張れ自分。
決してこの男前に絆されてはならないぞ。

「申し訳ございませんが、私には理由が分かりかねますのでお断りさせて頂きます。
 私は貴方様のことを何も知りません。
 今後一切知ることもないと思いますので…」

「それなら問題はないな!」

「…はい?」

これから知っていけばいい、と元気に言い放つこの人はどうしたんだろう。

「頭でも打ちましたか?しのぶ様なら今おられますが」

「俺は至って正常だ」

とてもそうは見えない。
いや、ほんと大丈夫なのだろうか。
はっと気付いてしまった。任務帰りならもしや血鬼術にかかってるのではと思い、その旨を質問するも昨夜は巡回に赴いたが鬼とは遭遇していないとのこと。
ということは、真面目に頭が狂ってしまったということでいいのだろうか。
真面目に頭が狂うってどんな状況なんだろう。

「君は、理由が分からないと言ったな」

そうですね、どんだけ考えても分からないです。
頑張って捻り出した丁寧な言葉も最後まで言わせてもらえず、消化不良をおこしてしまったこの気持ちはどうしたら良いのか。
声に出せば、きっと暴言を飛ばしてしまうのではないだろうか。
今すぐ死にたい訳ではないので、どうにかそれは回避したいところである。
なので正解の選択肢は無言でしかないと思う。

「何度でも言おう。俺は君に惚れてしまった。
 蝶屋敷で働いている姿も、隠と共に派遣されてきたときの姿にも。
 いつ死ぬか分からない身ではあるが、生きている間は君と共に寄り添っていきたい。
 結婚しよう。ややはそうだなぁ、できるだけたくさん、」

「前半すごいのに、後半のぶっちぎった感じはなんですか?」

これは本当に不味いのでは。

「惚れた腫れたはもうどうしようもないにしても、まず順序というものがあってですね」

「ならば君が俺を知るための時間をくれないか」

「そうなりますよねー…」

しのぶ様、どうか助けてください。押し切られそうです。
もう丁寧とか誠意とか言ってる場合じゃない。
何としてでも諦めてもらおう。
考えてもみろ、知らない相手からの求婚ほど怖いものなんてない。

「煉獄杏寿郎。俺の名前だ」

「れんごく、きょうじゅろう、さん」

そうだ、と煉獄さんは私よりも多分歳は上のはずだが、笑った顔は少し少年のようだった。

「え、っと、私は、」

「知っている。サキだろう?」

「えぇ…。合ってるけど、こっわ…」

もう本音がダダ漏れだ。明日の日の目を拝むことはできないかもしれない。
大概なことを言ってるにも関わらずびくともしないこの精神力の強さを私にも分けてほしい。

「炎柱だ」

「はい」

「歳は十九」

「はい」

「君の二つ上だ!」

「はい、…ん?」

それからと続けられる言葉の中には、私と話をしなければ拾うことのできないはずのものが多々ある気がするのは何故だろうか。
一個人の情報って柱なら誰でも持ってるものなの?
え、それって怖くない?鬼殺隊ってこんなにひどいところなの?

「待って待って、あの、」

「ああ、愛いなあ」

「そうじゃな、」

「それで?」

「え」

それで、とは。え?そんな流れでした?
そんなことないよね。私もういっぱいいっぱいでどうしたら良いのか分かりませんが。

未だに離してくれはしないこの両手。
既に手汗が尋常じゃないくらいに出ている気がする。
何も感じていないのだろうか、煉獄さんは。私はもう気持ち悪さでいっぱいで手を離してほしいです。

「十分に俺は伝えているはずだが」

ふと、思った。
今は何時で、太陽はどの位置にいたのかと。

先程まで可愛らしく、少年のようだと思っていた人はどこに行ってしまったのだろうか。

「ああ。そんなに怖がらないでくれないか」

じりじりと距離を詰めてくる人の顔には、こんなにも影がかかっていただろうか。

「俺は、サキが欲しい」

あながち、私は間違っていなかったのかもしれない。
真面目に頭が狂うとは今でも理解できないが、その言葉が当てはまってしまうような気がする。

私は今、どこにいるんだっけ。
煉獄さんに呼び止められ、君が好きだと告げられ、漏洩しまくりな情報を聞かされ。
まるで行き止まりにでもぶち当たってしまったような。
とん。と優しく背中と後頭部に何かが当たった。
ちらりと何に当たったのか確認すると、蝶屋敷の門だった。
そうだ、門の前を箒で掃いて葉っぱなどの処理をしていたのだったっけ。

「サキ」

低い声が、耳を支配していく。
ああ。悪い顔してるなあ。
するりと右手を解放され、右の掌がとてもすーすーしている。
汗をかいたせいだろう。煉獄さんの手が、とても熱かったせいだろう。
どうして右手だけと思っていたら、煉獄さんの左手は下がることなくそのまま上に持ち上げられ私の右頬を撫でていく。

「返事は、はいしか聞きたくないのだが?」

頭の中ではどうでもいい事ばっか考えているのに、あ、う、と声にならずに煉獄さんを見つめてしまっている。
どうしよう、どうしよう。

右頬が、熱い。


「は、い」


喉の奥、腹の底から捻り出した言葉に自分で絶望した。
いやもう、だって。無理でしょ。

すう、と眼が細められ、とても綺麗に弧を描く口元。
そして、ゆっくり近付いていく、顔の距離。

今日のこの日に来たのは、何も唐突に伝えたくなったからじゃなかったのだ。
確信していたのだろう。今日しかないと。

「狙っ、てたんですか、今日を、」

もう少しというところで、ぴたりと止まる。

ずるいなあ。
いつもなら、もっとうまく返せているはずなのに。

卑怯だなあ。
家族の命日だと知っていた。私の心が揺れる日だと。

「ずるい男だと罵ってくれて構わん」

ずるいどころか。
人としてどうかと思うよ。
いや、ほんとに。

「今がその好機なら、みすみす逃しはしないさ」

もう待ちはしないと言わんばかりに、少し強めに重ねられた唇は、少しカサついていて。

とても、熱かった。




2020.12.30



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