短編
□掛け違えたボタン
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久しぶりに終一くんと会った。
私達は恋人だけれど、そんな頻繁に会えるわけじゃない。
彼は探偵をしていて仕事が忙しい。
私も私で社会人なので就職をしているため、都合があって会える日は限られていた。
良くて2週間に1回会えれば良い。
本当に会えない時は3ヶ月ぐらい会えない。
久しぶりに会っても彼は資料ばかり見ていた。
いつものカフェにいつもの席、いつものコーヒー。
全部好きだけれど、嫌い。
愛しければ、愛おしい程、全部嫌いになってしまいそうだった。
私はこんなに好きなのに。
ずっと一緒にいたいのに。
終一くんは仕事のことばかりで私のことなんか二の次な気がした。
「終一くん。愛してるよ」
愛の言葉じゃ足りない気がして、身体を重ねても全然満たされなくて。
会いたい時に電話やメールをしても仕事で返してくれないことが多かった。
もちろん後でちゃんと返事はくれるし、仕事が大事なことも仕事に一生懸命な終一くんが好きだけれど、でも。
でも、もう限界な気がした。
重い女になりたくないし、彼の人生の枷にもなりたくない。
だから、私は終一くんから離れようと思った。
なかなか別れを切り出すことは出来なくて。
偶に会えるとやっぱり嬉しくて、でも無性に苦しくて。
いつからか嘘をついて終一くんから逃げようとしている。
そんな自分が堪らなく嫌いで泣きたくなった。
『掛け違えたボタン』
冷めたコーヒーが並ぶテーブルにいつものように目の前の席に座っている夏菜さん。
デートでよく来るカフェはもう常連客のようもので、いつもの席に座っていつもと同じコーヒーとちょっとしたデザートなんかを頼んで、夏菜さんとのんびり話しをする。
何回もこうしていれば、いつか聞いた話をする君に相槌をうつ。
ちゃんと聞いてる?なんて拗ねたように言う夏菜さんに「聞いてるよ」って返せば「そう…」なんて納得いかなそうな顔で頬杖をついた彼女。
そういう君だって最近僕といる時、上の空で窓の外ばかり見ているくせに。
なんて言えるわけもなく、腕時計をチラッと確認した夏菜さんが席を立つ。
「ごめん、終一くん。私もう行くね」
そう言った彼女はもう僕なんか見えていない遠くを見ているような目をしていた。
その目にぞっとして、それを誤魔化すように笑顔を貼り付けた。
「何か用事があるの?」
下手くそな笑顔だったと思う。ちゃんと笑えていたかもわからない。
焦燥感とか不安、彼女をここで行かせては行けないような気さえしていた。
「うん。前から友達と会う約束してたんだ。じゃあ、またね」
「……っ」
「…………終一くん?」
別れてさっさと行こうとする夏菜さんの手を掴んだ。
そんな僕の手をそっと握り返してきた彼女。
「もう、いきなりビックリしたよ」
そう彼女が笑ったのに何故か安心できないままだ。
「駅まで送るよ」
「えっ、あ、んー。うん。じゃあ、お願いしようかな」
即答はしてくれなかった夏菜さんの手を強く握り直して、お会計を済ませカフェから出た。
しっかり繋いだままの手。
付き合ったばかりの頃はお互いテレてガチガチになって、頬を紅くしてぎこちない会話ばかりしていたのに、今では薄っぺらい会話に彼女の意識は僕にはもう向いていない気さえしてくる。
隣にいるのに、今夏菜さんが何を考えているのか僕にはわからなかった。
いや、本当はわかっているんだ。
でも、それを口にして確認することが怖いだけで……。
「明日、晴れるみたいだね」
「そっか。よかった」
違う。そんな話しがしたいわけじゃないのに。
もうすぐ駅に着いてしまう。
別れたら、次いつまた夏菜さんに会えるかわからない。
いや、もしかしたらもう会ってはくれないかもしれない。
「ねぇ、夏菜さん」
「なぁに?」
「行かないで……」
「……!!」
「夏菜さん」
縋るように夏菜さんを見つめれば彼女は歩む足を止めた。
「ただ、友達と会うだけだよ?」
困ったように笑う彼女を抱きしめた。
強く強く。僕の気持ちが伝わるように。
「愛してるよ」
「終一くん……」
「愛してるんだ」
少しの沈黙。
その間にもう捨てられたような気分に陥りそうになる。
いずれそうなるだろうってわかっているから。
夏菜さんから別れを告げられるだろうって。
「私も愛してるよ、終一くん」
そう言って重なった唇は冷たくて、無性に泣きたくなった。
その言動は上辺で綺麗に取り繕ったものに感じた。
「じゃあね、終一くん」
「うん。……またね」
いつか終わってしまう関係だとしても、彼女が別れを切り出すまではこの関係が続けば良いとそう思ってしまうんだ。
遠ざかっていく彼女の背を追いかけようとしてぐっと堪えた。
いくら好きでも、夏菜さんの迷惑になることはするべきじゃない。
ポケットの中に入れたままの未だに渡せていない指輪がやけに重く感じた。