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□櫻色ヒステリカ
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躊躇いながら、言葉は続いた。
「言ってはならない……と思っていました。隠し通さなければ、きっと貴方に負担を掛けてしまう……から。それでも、想いを止めることなんて出来なかった。貴方が笑う度、幸せで……貴方が苦しむ姿が、何よりも辛くて、その姿を護ることが出来たなら……どんなにいいか、そればかり思ってしまいます。……部下として、最低ですね」
ゆっくりと、一語一語を迷うように口にした猫屋敷。
自分より人生経験豊富で、どんなことがあっても、自分を支えて導いてくれた彼でも、迷うことがある。
それが、とても嬉しかった。
「……最低、なんかじゃないです」
「社長……?」
「それが最低なら、それを嬉しいって思った僕は……もっと最低な人間になります」
ハッとして、埋めていた顔を上げる猫屋敷。
「それって……」
言葉は続かなかった。
いつきの笑顔に、心を奪われてしまったからだ。
「僕も……ううん。こういう言い方は良くないですよね」
微笑みつつ、真っ直ぐに見つめてくるいつき。
「……僕は、猫屋敷さんのことが好きです」
驚き、目を見開く。
そんな彼を、たまらなく愛しいと感じた。
「社長……」
「……僕は、猫屋敷さんに守ってもらえることで、まだ戦えるような気がしました。好きだと気づいてからも、この想いは父親がいないことに対する無意識の甘え……それとすり替えているだけ。そう思い込まなければ苦しくて……でも、猫屋敷さんが笑ってくれることが、すごく嬉しくて……やっぱり、これは恋だったのだと思います。……社長として、最低ですよね」
言い切った瞬間、重なる唇。
触れ合ったのは、ほんの一瞬だが。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
「猫屋敷さん……」
今までに見たことのないくらいに、幸せそうな笑顔。
さらりと髪を撫でられ、くすぐったさに思わず顔が綻ぶ。
「……好きです」
「私も、好きですよ」
囁くような声が、甘く染まる。
秘密を共有するときみたいな、ほどよい緊張感がそこにはあった。
「……」
通じ合うように、ごく自然に両目の瞼を閉じた。
小さなリップ音を立てて、瞼に落とされる口づけ。
宝物にそうするときみたいに、優しく触れる唇は、春に似つかわしくないくらいの熱を持っていた。
瞼からその温度が離れる。
少しだけ、目を開くと……彼と視線が合わさった。
「……キスをするときに目を開けるのは、マナー違反ですよ」
そう注意する猫屋敷。
それでも、どこまでもその口調と眼差しは甘く優しくて。
(本当に……僕のことを、好きでいてくれてるんだ)
心が、じんわりとあたたかい何かで満たされていく。
……ちなみにそれが、愛だと気づくのはまた別の話である。
そして再び、瞼を閉じた。
春の陽射しによって生まれた影が、静かに重なる。
桜の淡くも存在感のある香りに包まれて、熱をどんどん孕んでいく2人。
軽く触れている唇から零れる吐息。
その吐息に色をが含みはじめたとき、素早く離される身体。
面を食らっていると、いつきからの視線を外すために顔を逸らす猫屋敷。
「……猫屋敷さん?」
「ちょっと、その……これ以上は精神的と言いますか、肉体的と言いますか……危険かなぁ、と」
よく見れば、耳が仄かな朱色に染まっていた。
だが、色恋沙汰にほとんど興味の無かったいつきにはどういう意味なのか通じない。
「……?」
「あー……分かりませんか。うん、ですよね……」
俯きつつ、若干虚ろな目をして呟く。
「……まぁ、何と言いますか」
腰に回された腕に力が入り、身体同士が密着する。
そのまま流れように、唇が合わさる。
……だけでは、無かった。
隙間から、唇の比ではないほど熱を持った舌が入り込む。
(あれ!?)
ぎゅっと猫屋敷の羽織を掴む。
呼吸が出来なくなる寸前に、唇は離された。
「……こういうことです。私も男、ですから。お分かりいただけましたか、社長」
「は、はい」
にこやかにそう告げる彼の、艶っぽさに流されうなづくいつき。
それを見て、さらに笑みを強くした猫屋敷。
「……言い忘れてました」
“最低な者同士、よろしくお願いします”
……そんな言葉を呟いたのは、はたしてどちらだったか。
それは、まさしく神のみぞ知る……である。